永遠なるもの

絶世の美女(第10話)

吉田柚葉

小説

7,893文字

リード文が思いつかなくて十五分ほど悩みました。

めざめたがまだ夜中だ。となりでねむる妻のひとりごとでおこされた。なにを言っていたのかはわからない。ここ一週間ほど、こんなことがつづいている。すぐにねむりにつくことができないので、ひんぱんにからだの位置をかえたりして、とつぜんにできてしまった時間をやりすごす。いろいろな思考があたまをかけめぐる。じぶんの意志ではなく、なにごとかを声にして発するしゅんかんがある。なにを言ったのか、わからない。耳がとおくなって、ときがたちどまる。このとき、私は私ではなくなる。だれかの意識につながったのだ。それはほかならぬ妻なのだという確信がある。そして私はねむりについた。

 

あくる日オフィスでインターネットを閲覧していると、JALのロゴが目にはいった。いわゆる「鶴丸」というやつだ。たしかこのロゴは二〇〇二年だか二〇〇四年だかに廃止になったはずだった。しらべてみると、JALと日本エアシステムの経営統合を機に二〇〇二年に「鶴丸」がなくなり、JALという文字をかたどっただけのロゴにかわっていた。ところが二〇一一年に「鶴丸」が復活し、現在までつづいているのだという。この記憶はなかった。この十年ほどのあいだにおそらく五回程度はJALを利用しているが、あの「鶴丸」を目にしたことがない。ロゴが「鶴丸」でなくなってから、JALの経営がふるわない、ということをときおり見聞きしていたし、ここ半年のあいだにもそんなことをだれかとの雑談で話した気がする。私が言ったのか、会話の相手が言ったのか、それはさだかではないが、ふたりとも「鶴丸」はとうのむかしになくなってしまったという理解で一致していた。

さいきんつとにこういうおもいちがいがおおいのだ。たとえば、大田区は太田区だった。かつてオフィスのパソコンで「おおたく」とうつと、「太田区」と一発変換された。しかしいつからか「大田区」としか変換されなくなった。ある日そのことに気づいて、わざわざ「太田」と変換してから「区」を足したところ、事務の八代さんに訂正された。

あるいは、実家にかえったときにみた父親のボルボのエンブレムのふちどりに矢印がついていたのもまったく記憶にないことだった。

 

それから何日かたって、ある晩に妻から離婚をきりだされた。理想の結婚生活ができていないのが不満だと言った。しごとで精いっぱいで、ろくに夕食もつくれずに惣菜ばかりだし、そうじだって週に一回掃除機をかけるくらい。あなたはちっとももとめてこないしもとめられてもそういう気にならない。これを結婚生活だとみとめたくない。そういうことだった。

かんがえておく、と私はこたえた。で、いまは物置になっている書斎に私のベッドを移動した。離婚もわるくないとおもった。とうぜんではあるが、それからは妻のひとりごとで夜中にめざめることがなくなった。

しかし、どうにもねむりがあさかった。じゅうぶんに睡眠時間はとっているはずだったが、日中にうとうとすることがふえた。

「おつかれのようですね」

お昼にオフィスの屋上でベンチに腰かけてコンビニのおにぎりを食べていると、八代さんにそう声をかけられた。私はこたえにつまった。

「あの、大田区のことですけど」

と八代さんは私のとなりにすわってつづけた。「川田さんがすごくおどろいていらっしゃったのがおもしろくて」

「ああ」

と私はうなずいた。

「それ以来、話しかけたいなとおもってたんです」

「いまだにちょっとしんじられないところがあるよ。でも、そういうかんちがいがおおくて。あたまがわるくなってしまったのかな」

と言って私は苦笑した。

「ほかにどんなかんちがいがあるのですか」

「二階幹事長は二階堂だった気がするし、オーストラリアの位置がずいぶん記憶とちがう」

「なるほど」

「八代さんみたいな若い子にはそういうことはないと思うから、おもしろがってくれるかもしれないけど、私としてはこれでなかなかなやんでいるところがある」

「しごとの悩みがないだけ、うらやましいですけど」

と八代さんは言った。「わたしはミスばっかりするんで。だから大田区の件も、川田さんでもそういうミスがあるんだなとおもって、ちょっとうれしくて。だからそんなのわたしの方で直しておけばよかったんですけど、いじわるで直接指摘しちゃいました」

「ああ。なるほど」

「その件はすみませんでした」

「いや、ぜんぜん……」

と言って私は空に目をやった。はやくどこかに行ってほしかった。

「八代さんはもうお昼食べたの」

「お昼は食べないことにしてるんです。ダイエットです」

「ああ、ダイエット」

2022年10月31日公開

作品集『絶世の美女』最終話 (全10話)

絶世の美女

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© 2022 吉田柚葉

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