~8~
パウロとタキは、茂みを前に、立ち尽くしていた。鳥のさえずる声や木々のかすれる音がする。入り口には古ぼけて鍵で結び付けられた誰かの自転車が置いてあった。
「懐かしい……なんかそれだけだよ、あんまり変わってないな」
「秘密基地とか出来そうだなー」
「ノコギリとか持ち出すか……俺のツールじゃダメだな」
「作った事あるのか」
「いや……でも今もこの近くの子供なら作ってるかも知れないな……でも新しい学校も出来たからそれほどでも無いか」
フーッと息を吐いてから、パウロは静かにうつむいた。
「……ちくしょう、本当にあいつともう一度ここに来れれば……」
タキがそれに反応しようとしたその時、後から走行音が聞こえてきた。
「ん……!」
近付いてくるのはパトカーであった。
「パ、パウロ……パトカーだ」
「……」
パウロは特に言葉の出ないような顔で振り向き、確かにパトカーが近付いてくるのを見た。そして、後ろの茂みにパトカーが止まり、運転席から急いで男の警官が出てきた。
「ここで何をしているんだ!」
パウロとタキは、心臓が高鳴るのを覚えた。そしてまた、二人とも脳裏にエンリケが浮かんだ。
「何をしていると言うんだ、分からないのか」
タキの方が静かに答えた。
「……何もしていないですよ、見に来ただけです」
「ふん、そちらは日本人か?こっちは?」
パウロは何かショックに駆られた表情で押し黙っている。
「か、彼も日本人だ、日本国籍だ」
「一応確認させてもらおうか、あとその自転車も……草薙さん、来てくれ!」
助手席の婦警が降りてきてタキの自転車に近付いた。
「それは俺の自転車ではないよ!」
「照会するだけだから落ち着いて、鍵を外して下さい」
「俺の自転車じゃねえんだからそんなの知らないって!」
「嘘をつかないで、鍵を外しなさい、身元を証明出来る物を……」
草薙と言う婦警は全く抑揚の無い声で対応した。そして男の警官はパウロの方を見据えていた。
「おい、日本人と証明できるものを出しなさい」
しかしパウロは呆然とした様な表情のまま何もしない。
「聞いてるのか!保険証か免許証か、あるいはパスポートを」
「だからそいつは日本人だって!パスポートは持ってないんですよ!」
「あんたの話は聞いていない!このガイジンは不審だ!」
「いきなりなんでそんな」
タキが擁護する横で、パウロは口をパクパクさせ始めた。
「何だ?口が利けないのか?もしかしてこの間のドミニカとか言う所の奴の真似か?」
パウロとタキの顔が一瞬にして凍りついた。
「……」
「おい、これで応じなかったら不審者として連れて行くぞ、証明出来る者を出せ」
「……お前がエンリケを……」
「何だ日本語喋れるのか……ん?」
「……エンリケが……おお、嗚呼……!」
「な、何だ、早く証明出来る物を……うあっ!」
「この野朗!」
パウロは石原と言う警官にいきなり掴みかかった。
「お前がこの間職質した奴が自殺したんだぞ!」
「な、何だッ!離せ!公務執行妨害で……」
「この野朗!ポリ公!くたばれ!権力め!みんなくたばってしまえ!」
パウロはそのまま石原の頭を掴んで右側にパンチを食らわせようとした。しかしすぐにもみ合いになる。制帽がずり落ちた。
「石原さん!」
照会を行おうとしていた草薙が悲鳴を上げた。
「ええい、公務しっ、公務っ、逮捕オッ、畜生、草薙!本署に連絡ッ、ソイツもッ」
石原は逮捕術をパウロに掛けようとしている。草薙は一度に多くの命令を受け取り、しかし反応できない。とりあえずパトカーの方に意識が向くが、この日本人か日系人の男にも対応しなければならない。警察学校ではこの時何を言うだろうか。
「ええい!」
「この野朗ぅ!」
その時、逮捕術の為に足を掛けようとした石原の柔道技と同時に、パウロのリーチの長いストレートが石原の顔面に当たり、互いが倒れこんだ。そして一瞬の動きの後、パウロが石原の上に乗りかかった。そのパウロの手には、ツールのナイフが握られていた。石原の無線機がずれて外れた。身長ではパウロが勝っているが、格闘技術は分からない。
「ウアアッ、さ、殺人未遂だぞッぐおおお、うあっ、お、おい、そこの日本人!日本人なら助けッ」
「タキィ!そのクソ女をやれえ!」
タキは再び思考が凍り付いた。
警察か、パウロか。
パウロは権力との関係より優等な人間か、否か。
これから先普通に生きて苦しさの無い未来はあるか、否か。
自分は日本人か、否か。
自分は人間か、否か。
自分か、否か。
「く、草薙っ」
「タキッ」
草薙は署への連絡を優先しようとして、しかし自分の無線を使うという考えが浮かばず急いでパトカーに駆け寄った。そして、タキは。
「……ウオオ!」
パトカーのドアの前で戸惑った草薙の方にタキは飛び掛り、横腹に蹴り込んだ。
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