「わあ、スゴい! これだけあれば、ご馳走じゃない!」
家に持ち帰った札束を見て、喪々々は歓声を上げる。ぼくの恥辱などお構いなしで、貧乏人御用達のスーパーへ買出しに出かけ、いそいそと食卓を整えていく。鼻頭がアイゴを見て怒り出したなんて、とても言えない。
「れも、シャイ谷の行方は聞きそびれらよ。アロロロ……ろうしていいかわからないな」
「あら、お金できたんだから、お菓子をいっぱい食べて、『舌読み』しまくればいいじゃない。インシュリンのことは心配しなくても大丈夫よ」
「そうらけろ……むやみやららに『舌読み』するわけにもいかないよ。お金には限りがあるから」
「そうねえ……あ、でも」と、喪々々はカレーのついた指を舐め取り、味見しながら言う。「荒野台には行ったの?」
「なんら、それ? ろうしてぼくが荒野台に行くの?」
「え、言ってたじゃない」
「いつ?」
「白熊の檻に落ちる前よ。私がそう言ったじゃない」
「そんなわけないらろ。探索者であるぼくが忘れるわけないじゃないか」
「嘘よ、じゃあ自分で『舌読み』してみなさいよ。出てくるから」
ぼくは喪々々の言う通り、自分の頭を「舌読み」する。でも、「荒野台にシャイ谷が行ったと喪々々から聞く」という情報を見つけることはできない。ぼくは得意げな笑みを浮かべる。「舌読み」で見つからないとなると、喪々々が記憶違いをしているのだ。
「そんなはずないわよ。私、絶対に憶えてるもの。だったら、『舌読み』してみなさいよ」
喪々々はそう言って、頭を差し出す。
「いいの? 一応、人の頭の『舌読み』は礼儀上しないことにしてるんらけろ……」
「いいわよ。その代わり、他のところは読まないでね」
ぼくは喪々々のかぶっていたコアラのフードを外し、頭をそっと舐める。あった。彼女が檻の中の外にいるぼくに向けて、たしかに言っている。その後、ぼくは勢い余って白熊の檻に落ちてしまう……。
「しかも、この味は……本物の記憶の味ら」
「だから言ったでしょう」
喪々々は得意げに顎を突き出し、ぼくの舌を払う。でも……どうしてぼくからこの記憶が抜け落ちているのだろう? ぼくは不安げに後頭部のUSB5・0スロットを撫でる。
「もしかして、入院中に消されたんじゃないの? なんかハードディスクに繋いでたし」
喪々々は眉をひそめる。
「たぶんそうらと思う。れも、ろうして消したんらろう。なにか、荒野台にまずいことれもあるんらろうか?」
ぼくは首を傾げる。明確な答えは出ないが、それがますます不気味さを増す。久しぶりに賑やかだった食卓は、一気に暗い雰囲気に包まれる。それでも、ぼくは食べねばならない。明日から始まる探索のために。
「明日は仕事を休むから、アイゴは置いていっていいわよ」
喪々々が気を使っていう。ぼくはしっかりと頷き、砂糖をいっぱいかけた甘あいカレーを口に運びつづける。
ぼくは朝からワレメ谷にある国会図書館へ向かう。ダウンロードした情報によると、AS二年の時点ですでにあらゆる文書が電子化されていて、文中語検索が可能になっている。検閲プログラムが働いている可能性はあるけれど、その場合はUSBで脳内に落としてから「舌読み」すればいい。
入り口には大袈裟なゲートが二つある。どちらも住民コードを登録し、入館カードを作らなければならないらしい。ぼくにはIDがないけれど、幸い、このカード発行機自体はカードリーダー式や指紋認証式じゃない。入力するコードさえ合っていれば入れるだろう。ぼくはカード発行機を舐める。昨日に入館した人のコードとパスワードを読み取る。それを入力し、入館カードを受け取る。
日本最大の図書館には、すべての資料が収められている。五階建ての建物には、ずらりとパソコンが並んでいて、老人と若者が多い。とはいえ、なにを調べるというわけでもなく、ぼんやりと画面を眺めている。ぼくが学んだデータによると、この図書館は「自由監獄」と呼ばれているらしい。資料がたくさんありすぎて、なにを調べたらいいのかがわからないのだ。
ぼくもまた、端末の前に座り、検索を始める。とりあえずは昨日鼻頭が言っていた、ぼくの生体おしゃぶりの件だ。「二〇〇九年」、「生体おしゃぶり」、「ホッキョクグマorシロクマ」、「オオサカズキ動物園」で記事検索にかけてみる。
○朝曰新聞(二〇〇九・九・七)第五面「くらしのページ」から
先月大杯市オオサカズキ動物園で雌ホッキョクグマのハルエ(7)に襲われて重症を負ったTさん(25)は、フリーヶ丘の私立里崎総合病院で手術を受け一命を取りとめた。その際に導入されたのが人造生体移植技術である。
人造生体は二〇〇五年にネズミの背中で耳を培養した実験で知られている。もともと人体の一部を復元するために用いられていたが、このたび、Tさんの妻(32)のたっての希望で、生体おしゃぶりの製造が実験的に行われた。
Tさんは持病があり、肛門を塞ぐためのおしゃぶりが手放せなかったが、従来のおしゃぶりはプラスチック製だった。乳幼児用の低刺激おしゃぶりでも、長期間肛門に入れておくと粘膜が荒れる等の症状に悩まされる。その点、自分の細胞から培養する人造生体おしゃぶりならばその心配はない。
反応も上々だ。Tさんの妻は「主人の意識は戻っていませんが、以前のように肛門が荒れるということはなくなりました。もうおしゃぶりが肛門の一部みたいに動くんですよ」と治療の手ごたえを感じている。
アロロロ……ほんとうに載っている。しかし、驚くべきは喪々々が三十二歳だったという事実だ。単純に考えて、二〇一八年現在で……何歳だろうか? ぼくは頭の負傷で足し算ができないことを幸福に感じる。とにかく、現在の喪々々が普通にオバさんであることは間違いない。
続いて、《使徒69》関連記事を検索。どうやら、図書館内のデータベース検索では検閲プログラムが働かないらしく、「使徒69」でも、「ペス」でも、「スマッキー屍頭」でもヒットする。どうやら、ドニートの集いの場である《こっちにおいで》でヒット数ゼロだったのは、若者への悪影響を心配してのことらしい。ぼくは代表的な記事を読む。
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