白状すれば、私は活字で嘘を売って食っている男である。『裸線』という誌名からして嘘だ。裸のような真実を電線のように送り届ける、と創刊の辞にはご大層に書いたが、実際に送り届けているのは温泉場の醜聞と猟奇殺人の焼き直しと、あとは編集長の借金の言い訳ばかりである。仙花紙に刷って一部十円、読み捨てられ、尻を拭かれ、闇市の焚き付けになる。それでいいのだ。カストリ雑誌は三合で潰れるカストリ焼酎の兄弟分、三号で潰れてこそ本懐である。もっとも『裸線』は義理堅くも五号まで生き延びてしまい、私は六号の目玉記事を探して、三月の鶴橋をうろついていた。
嘘を売るのは、実は二度目の商売である。一度目は御国の勘定でやった。徴用で報道班に回され、南方の島々の「転進」を書いた。全滅を転進と書く。飢死を玉砕と書く。書けば新聞に載り、載れば銃後はそのように信じ、そのように信じられた戦争が、また次の転進を作った。あの頃の私は知ったのだ。言葉が現実の写しなのではない、現実のほうが言葉の写しに回ることがある、と。復員して、私は二度と本当のことを書くまいと決めた。本当のことを書く紙面は、必ず誰かに使われる。嘘と分かる嘘だけを書いて、読み捨てられ、尻を拭かれる。それが私の考え得るかぎり、この世で一番罪の軽い文筆であった。
換算表の噂を拾ったのは、市場の飲み屋である。飲み屋といって、ドラム缶を縦に割った卓にカストリを注ぐだけの店だが、闇市の情報はここに集まる。酒精が舌の栓を抜き、抜けた舌から出た話が、隣の卓で尾鰭を得て、三日後には市場の反対の端で真実の顔をして歩いている。私はこの噂の醸造工程を商売柄よく知っていて、だからこそ、換算表の噂だけが工程に乗らぬことに気づいた。尾鰭が付かぬのである。曰く、あの紙に載らぬ品を扱う店は潰れる。曰く、書き手を見た者は居らぬ。曰く、剥がして持ち帰った男が高熱を出した。誰に聞いても、この三つが三つのまま、一言一句ほとんど違わずに出てくる。噂が育たぬのは、皆が話を盛る気にならぬからだ。盛る気にならぬのは、腹の底で本当に怖いからである。カストリ十杯分の取材で、私はそれだけを確信した。結構、結構。怪談と経済の合いの子など、こんな上等の記事の種はない。私はさっそく取材に掛かった。乾物屋の帳簿付けだという生真面目な復員者は、筆跡がどうのと言いかけて口を噤んだ。朝鮮人の女主人は、あんたが書いて、あんたが消されるだけや、と笑いもせずに言った。占領軍の日系の調査員までが市場をうろついて何やら書き付けている、という噂も拾った。役者は揃っている。私は書いた。一晩で書いた。題して「鶴橋闇市・比率の怪」。我ながら冴えた見出しである。
入稿し、校正刷りを検め、責了とし、六号は刷り上がった。
刷り上がった誌面で、数字が違っていた。
私は原稿に、米一升は軍足三足と書いた。取材の通りである。誌面には、米一升は軍足四足とある。誤植だろう、植字工の弥吉つぁんも人の子だ。ところが弥吉は組版を見せて言うのである。「原稿通りに組んだで。ほれ」――活字は確かに「四」を拾っている。ならば原稿が違うのか。私は突き返された原稿を検めた。私の字で、四、と書いてある。書いた覚えのない四である。いや、待て。書いた覚えというやつほど当てにならぬものはない。締切前の徹夜の頭で、三と四を書き違えることくらい、私にだってある。私はそう思うことにした。思うことにした、というこの言い回しを、後になって私は幾度も噛み締めることになる。
六号は売れた。怪談は闇市の好物である。そして発売から五日目の朝、市場の辻で、私は自分の商売の相場を知った。
換算表の末尾に、新しい一行が加わっていたのである。
『裸線』一冊 = 煙草「光」二本。
函ではない。二本である。読み捨ての仙花紙に、これはむしろ過分の値である――と、咄嗟に相場を値踏みした自分の浅ましさはさておき、私は棒立ちになった。分かるか。私は書く側の人間である。書く側の人間が、書かれる側の欄に載ったのだ。しかも品目として。米や鰊や石鹸と同じ資格で。私が表について書いた途端、表は私を書き返してきた。記事への返礼、あるいは訂正。そうだ、これは訂正なのだ。あの誌面の「四」も。表は私の記事を先に読み、間違いを――いや、表にとっての正しさを、私の原稿に書き込んだのだ。
馬鹿馬鹿しい。書きながら馬鹿馬鹿しいと言っておく。こんな筋は『裸線』でも没にする。だが没にできぬ事実が一つある。翌週、煙草二本の比率は二・五本に上がった。六号が版元で品切れたからである。表は、私の雑誌の売れ行きを、私より早く知っていた。
その晩から、私は妙な癖がついた。原稿を書く前に、書こうとする数字を声に出して確かめるのである。三、と言ってから三と書く。書いてから、また三と読む。それでも翌朝になると、自分の書いた三が、夜の間に誰かの四に化けていないか、原稿を灯りに翳して検める。報道班の頃、私は転進と書く前に一度だけ、全滅、と下書きした。検閲で消され、消した私の手で転進と書き直した。あのとき消えた「全滅」の二文字は、どこへ行ったのだろう。消された言葉は消えるのではなく、どこかの欄外に溜まっていくのではないか。溜まった言葉が、比率という顔で戻ってきているのではないか――カストリの回った頭は、そこまで考えて、考えたことをまた記事の種と値踏みする。書く側の浅ましさは、書かれる側に回っても治らぬのである。
私は七号の目玉を決めた。書き手を探すのである。見つけて、面を拝んで、あわよくば独占手記を書かせる。編集長は膝を打った。弥吉は活字を拾いながら、ぽつりと言った。
「周さん、字ぃ書く相手を探すのに、字ぃで探すんか」
拾われた活字が、箱の中で小さく鳴った。
――昭和二十二年三月附 換算表(写・末尾)
メチル一合 = 「光」五本
『裸線』六号一冊 = 「光」二・五本
(活字体と手書きの混在、この行より始まる)
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