石神井池からすぐのところにある居留珈という喫茶店では、
この日も常連らしき人が何人か陣取っている。
なにやら深刻な面持ちで話し合う二人の男の隣が空いていたので、
ブレンドコーヒーを頼んでくつろいでいると、隣から男たちの会話が聞こえてきた。
その話を要約すると、どうやら二人の内、年配の方の男が仕事を定年退職した際、
会社の起こした不祥事の責任を担がされて、退職金を支払わないと言われたのだそうだ。
年配の男が不祥事に関わったわけではないのだが、
この男はしきりに「お世話になったから、しょうがない」というようなことを繰り返し、
条件を飲んでしまったのだという。
しかし飲んではしまったものの、やはり腑に落ちないものがあったようで、
話し声にも不甲斐なさや、もどかしさのような震えが滲み、
冷静になったのか、人に相談することにしたようだった。
年配の男に説得を続けていた中年の男は、どうも弁護士らしく、
徹底抗戦の構えで年配の男を焚きつけようとしていた。
私が席に座ってからコーヒーを飲み終わるまで、しきりに
「――さんは何も悪いことしていないんだから、絶対に言いなりになっちゃダメだよ。
退職金をもらう権利があるんだから、絶対にもらわなきゃ」
というようなことを言っていた。
年配の男もわかってはいるのだろうが、なかなか踏ん切りがつかずにいる。
この年配の男のために奮闘しようという弁護士の言葉に、すぐに頷けずにいるのは
どういう理由があるのか、
私は席についている間、ずっと考えていた。
それから二人がどのような決断をしたのかは、私にはわからない。
ある時、夜の十時前に行くと、居留珈は相変わらず温かな灯りに包まれながら営業していた。
白髪頭のマスターに「ここは何時までやっているのですか?」と尋ねたところ、
少し間をおいてマスターは、
「そうですね、今日は十一時くらいまでにしましょうか」と答えたのだった。
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