奴隷道徳寿司詰地獄

眞山大知

小説

2,603文字

朝の埼京線は地獄よりも地獄的である――。

 朝の北戸田駅には必ず目つきの悪い駅員がいる。ホームに電車が到着すると、その駅員が無理やり俺を車内に詰めこんだ。振り向くと目が合った。駅員はにっこり笑いやがった。
 気持ち悪い。サイコパスかよ。ああ、胸元のバッジが朝日に光って目が眩むんだよ!
 扉が閉まって電車が動き出す。サイコパス駅員にすこし鳥肌が立ちながら周囲を見渡す。大量のおっさんどもの肉体が蠢いて、おそろしいほどの圧力で圧迫される。
 寿司でもこんなに詰められたら激怒するぞ。寿司が人権(寿司権?)を主張して人間を襲うはずだ。
 クソ、隣のハゲジジイの腕が喉仏を圧迫してきた。やめろ、気道を塞ぐな。苦しい。呼吸ができない――。
 意識が遠くなる。脳裏にぼんやりと大量の寿司が現れた。
 大量の寿司たちは国会議事堂を占拠。寿司たちは牙と翼を生やし、怪鳥さながらに永田町を飛び回って、官僚や国会議員の肉を食いちぎっていた。

 

 

 赤羽でハゲジジイが降りたおかげで気道が確保。脳に酸素が行き届き、人間を襲っていた邪悪な寿司たちは瞬く間に無へ消え去った。
 畜生。給料がもっと高ければ、北戸田なんてろくでもないところじゃなくて、池袋に住むんだけどな。こんな奴隷船みたいな埼京線に乗らなくてもよくなる。
 だが、文句を垂れても仕方ない。ひび割れたスマホでメールを打つ。
「いつも大変お世話になっております。先ほどお問い合わせいただきました件につきまして、本日の午前中に御社へお伺いいたします。誠に申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします」
 別になにも悪いことをしていないが、とりあえず謝罪しておく。慇懃無礼は生存戦略。わざと卑屈そうに見せないと裏で何を言われるかわからない。傲慢だと噂を立てられて身を滅ぼすよりは遥かにマシ。
 メールを送信してひと息つく。そして思い切り空気を吸った瞬間、後悔した。加齢臭が死ぬほどひどい。いや、もはや死臭に近い。死臭を醸し出すのはリーマンやOLたち。みな一様に、死んだような無様な顔。
 奴隷船は、生きているのか死んでいるのかわからない、スーツ姿の奴隷たちを載せ、基本的人権を踏みにじりながら疾走していく。
 朝の埼京線は地獄よりも地獄的である。地獄の責め苦に遭う罪人は、釈迦如来がときどき哀れんで救ってくださるが、埼京線に詰めこまれた社畜どもは誰も救ってくれない。国も、会社も、家族も、会社に勤める立派な社会人として奴隷を褒めたたえ、奴隷船のひどい環境に疑問を持ったことすらない。
 電車が池袋に到着する。人の頭が、腐ったジャガイモが廃棄されるかのように雑に放出されていった。

 

 

 会社は駅から歩いて一分のオフィスビルにある。出勤した後、新商品のサンプルを持って地下駐車場に行く。社用車のプロボックスに乗ろうとすると背後から声をかけられた。
「おお、榎本。今日はどこに?」
 振り返ると部長がいた。胸元の銀バッジが今日も光っている。銀は管理職を示す。
「お疲れ様です。今日は人材派遣の会社に行きます」
「だろうなあ。お前の持っているの、みんな緑だし」
 部長の言う通り、新商品は緑色だ。手元のサンプル品を見ると、透明のケースには異様なほど大きいゴシック体で「雇用形態表示バッジ:緑」と書かれ、そのなかに緑のバッジが寿司詰めされている。
「お、そうだ。これ、誰にも言うなよ。社長がお前を管理職にしたがっている。そのうち昇進試験の話が正式に来るはずだからよろしく。銀バッジになりたいんだろ? 期待してるぞ」
 部長は妙に恩着せがましく言い放つと、俺の胸元をつんつんとつついた。指先には青いバッチ。これは、正社員を示す色。

 

 雇用形態表示法――すべての国民は雇用形態に従い、体の一部に、政令で定めた表示板を常時携帯しなければならない。

 

 コロナ禍以降、在宅勤務が普及するにつれて警察に「いい歳した男が私服姿で昼間から住宅街をうろついている」という通報が増えだした。
 警察官が現場に駆けつけると、たいてい男はどこかの会社員で、休憩がてら散歩しているだけだった。 そのような通報が全国同時多発的に起きたため、警察の業務が逼迫。緊急性のある通報に対応できないおそれが生じたため、この法律が制定されることになった。
 川口の単なるバッジ工場だった弊社が、たった二年で池袋に本社を構えられたのは、この雇用形態表示法のおかげ、そして、バッジの納入先が警視庁ということもあり、警察行政に太いパイプがあったためだ。

 

 

 神楽坂の人材派遣会社を出て、プロボックスで首都高を爆走。今日の打ち合わせでバッジ八千個の受注が決まった。これでノルマを達成。
 新商品のバッジはICチップが組み込まれ、マイナンバーと紐づけられる。偽造はほぼ不可能だ。
 新商品の発売発表以降、弊社の公式Twitterには「新しい身分制だ。差別だ!」、「監視社会だ!」と罵詈雑言のリプライが殺到したが、まったく気にしない。こっちもビジネスとしてやっているんだし。少ない給料だけど二年前より遥かに手取りがいい。もっと、もっと成長して、会社に認められたい。
 それに、下手に会社に楯突いてクビにされたくない。無職はバッジを取り上げられる。バッジがない人間、無バッジは殺される可能性がある。昨日の夜、帰宅途中の道すがら、北戸田駅のロータリーにパトカーが数台集まっていた。パトカーに近づくと、すぐそばの歩道で無バッジが二人刺し殺されていた。通行人は、死体をちらりと見るとすぐ嫌そうな顔をして立ち去っていった。
 魯迅の『阿Q正伝』よりもド畜生な世界。退廃した清朝の中国人は、強い人間が現れたらすぐこびへつらい、弱い人間がいたらボコボコに叩く。溺れた犬を叩く。だが、現代の日本人はもっと酷い。叩く犬がいなけりゃ、適当な犬を見つけて溺れさせる。叩く。

 

 

 次の日の朝、北戸田駅のホームにはあの駅員がいなかった。ニュースアプリを開くと、「埼玉・北戸田 無バッジ狩りの犯人逮捕」という見出しとともに、あの目つきの悪い駅員の顔写真が画面に映し出された。
 ホームに電車が到着。あの駅員に会わなくて済むと思ったら、別の駅員が駆けつけて、俺の体を埼京線に詰めこんだ。
 奴隷の代わりなんて誰だっていいのだ。けど、自分は奴隷をやめたくない。さすがに殺されたくはない。
 寿司詰めの奴隷船は今日も人権を無視して走りゆく。

2023年4月24日公開

© 2023 眞山大知

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