書斎の真ん中で老人がうつぶせに倒れている。後頭部に深い裂傷があり、そこから流れ出た赤黒い血がカーペットに丸い血だまりを作っていた。倒れているのは館の主、白井史郎である。その白井を囲むように白井の専属医である黒川九郎、弁護士の赤嶺晶子、使用人兼コックの青山誠司、舞台監督の桃井武史、そして私立探偵の諏訪靖彦が立っていた。皆、白井と縁がある者たちで、八〇歳の誕生日を祝うために白井の隠居先である人里離れた館までやってきた。参加者が館についたころ天気が崩れ吹雪となったが、屋内で行われた誕生日パーティは滞りなく終わり、各自が部屋に戻ったころ、白井の絶叫が館に響き渡った。何事かと参加者たちが白井の部屋に集まり、皆でドアを開けて部屋の中に入ったところ、書斎の中央で頭から血を流し倒れている白井を発見した。
「脈がありません。既に亡くなられているようです」
腰をかがめ白井の首元に手を置いて黒川が言った。黒川は白井の生死を確認すると立ち上がり話を続ける。
「見ての通り自然死ではありません。何者かによって後頭部を殴打され殺されたようです」
「事故ってことはないの? ほら、白井さんはもういい歳でしょ、夕食の時も結構飲んでたじゃない。ふらふらして机の角に頭をぶつけちゃったとか?」
赤嶺が黒川に言った。赤嶺は軽くウェーブのかかった髪を後ろでまとめ、持ち上げうなじを露出させている。歳は五〇を超えているが自分をよく見せることにたけているようだ。赤嶺から質問を受けた黒川はメガネの中心を人差し指で押し上げ赤嶺を見る。
「それはないですね。頭部の傷跡は一度の衝撃ではなく複数回殴られたことによってできた広範囲の裂傷です。もし事故や自殺であるならば床に座って後頭部を複数回、意識を失うまで自分で机の角にたたきつけたことになります」
「机は関係ないみたいだよ」
ひょうひょうとした声で諏訪が言った。諏訪は背が高く容姿端麗、眉目秀麗、長い髪の毛から覗くきりりとした切れ長の目は、探偵というより映画俳優のようである。諏訪は窓の前にデンと置かれた大きな机の淵を端から端までスーッとさすり、手のひらを広げて皆に見せる。
「毛髪どころか血痕の付着もない。白井さんの傷口から見て凶器はこれじゃないかな?」
そう言って諏訪は机の上に置かれた灰皿に手を伸ばした。
「あ、やっぱりそうだ。ほらみて、べっとり血がついてるよ」
諏訪がガラス製の灰皿を持ち上げ皆に見せる。灰皿には毛髪と血痕が付着していた。
「そ、それじゃあ、やっぱり、殺人ってことですかね? け、警察を、呼ばなくては」
給仕服姿の青山が蒼い顔で言った。青山は坊主頭にあばた顔、顎が張り出し下膨れした口元を震わせながら机の上に置かれた電話機に手を伸ばした。そして受話器を取り上げ、ダイヤルボタンをプッシュする。
「あれ、おかしいな」
青山は何度もフックボタンを押す。その様子を見て諏訪はひょいと机の上に腰を乗せ青山から受話器を取り上げて自身の耳に押し当てた。
「うん、繋がってないね。電話線が切られているんじゃないかな。それと携帯電話も繋がらないみたい、電波が一つも立ってないからね。吹雪で基地局が機能不全に陥ったか、もしくは携帯電波を無力化する装置が動いているかどっちか」
皆自分の携帯電話を取り出して確認する。確かに電波を掴んでいないようだ。
「それって、もしかして」
赤嶺が小さく声を上げる。
「うん、僕たちはこの館に閉じ込められたみたいだ。この天候は数日続くようだから、外界との通信手段がないなか、吹雪が止むまで白井さんを殺した犯人と一緒にいなければならない。犯人が白井さんだけ殺して満足してなければ厄介だね」
机の後ろの窓には大粒の雪が叩きつけ窓枠がガタガタと音を立てて揺れている。窓から見える外の視界はゼロに等しく、これでは車を運転することはおろか駐車場まで行くこともできないだろう。
「私は天候が回復するまで自分の部屋にこもることにする。数日くらいなら食事をしなくても生きていられるからな。白井さんを殺した犯人と一緒にいるなど耐えられん」
それまで黙って状況を見守っていた桃井が言った。
「ああ、それよくない、一番よくないやつだ」
諏訪の言葉に黒川が続ける。
「桃井さん、ここは皆さん同じ部屋で過ごして天候が回復するのを待ちましょう。全員固まっていれば犯人も手を出せませんから」
桃井、赤嶺、青山は黒川の言葉に頷くが、諏訪は黒川を見据え、笑みを浮かべる。
「うん、それが定石だよね。だけど白井さんを殺した犯人が分かれば話は違ってくる。犯人が分かれば犯人の行動を制限するのが一番いいからね。犯人以外のプライベートは守られるし好きに行動できる。ほら、この館には遊び道具が沢山あるでしょ? ビリヤードとかステレオとか。天候が回復するまで暇つぶしができるよ」
「諏訪さんは犯人が分かったんですか? 夕食のあと、皆さん部屋に戻ってから白井さんの悲鳴を聞いて各々がこの部屋の前に集まりました。全員にアリバイがない状態です。全員が白井さんを殺すことができたし、全員が白井さんを殺したあと、白井さんの部屋を出てまた白井さんの部屋の前に戻ることができたんです」
「黒川さんの言う通り犯行時のアリバイから犯人を割り出すことできない。でもね、白井さんは犯人に繋がる重要な情報を僕たちに残してくれたんだ。ほら、あれを見てよ」
諏訪は床に倒れた白井の右手付近を指さした。白井の右手はカーペットからはみ出し、板張りの床の上に置かれた指の先には文字のようなものが見て取れた。黒川は「何か書かれていますね」と言って腰を落とす。
「カタカナで『アボカド』ですかね?」
「うん、『アボカド』って書いてあるよね。白井さんは死の間際、頭から流れ出る血を手で掬い犯人に繋がる手がかりを残したんだ」
「ダイニングメッセージってやつだな」
桃井が血文字を見ながらつぶやいた。それを聞いて諏訪が「さすが舞台監督、よく知ってらっしゃる」と言うが桃井は「ふん」と鼻を鳴らすだけで言葉を返さない。
「そのダイニングメッセージとやらで犯人が分かったのならさっさと教えてちょうだい」
「そんなに焦らないでよ、赤嶺さん。推理には順序ってものがあるんだから」
諏訪は一呼吸おいて話を続ける。
「みんなが『アボカド』と聞いて真っ先に思い浮かべるのは果物だよね? でも『アボカド』には果物以外の意味もあるんだ。どうやらフランス語で『アボカド』は弁護士を意味する言葉らしい」
皆の視線が赤嶺に集まる。疑いの目を向けられた赤嶺は自分を弁護するため声を張った。
「ちょっと、待ちなさいよ。なんで私が白井さんを殺さなきゃならないのよ。しかもその根拠がダイニングメッセージに書かれた『アボカド』がフランス語で弁護士の意味を持っているからだなんて、こじつけもいいところだわ。第一、ダイニングメッセージにはフランス語じゃなくてカタカナで『アボカド』って書いてあるのよ。弁護士を意味で書いたならフランス語で書くでしょ。そんな無茶苦茶な理論で犯人にされてたまるもんですか!」
赤嶺はファンデーションが欠け落ちるほど眉間にしわを寄せ、顔を真っ赤にして諏訪に訴えかける。諏訪は「他になにか言いたいことはある?」と煽った。
「それにダイニングメッセージっていうのは被害者が犯人を示すため死の間際に必死で書いたものなんでしょ? それなのになんでこんなにまわりくどいことを書くのよ。死に際にフランス語で弁護士の意味を持っているから『アボカド』と書いておこう、……なんて思うわけないでしょ! それにそのことを知っている人がこの中にいなかったら意味がないじゃない!」
諏訪は机から降りるとニッと笑って赤嶺に言った。
「そう、そこなんだ。『アボカド』という果物はみんな知っているけど、『アボカド』という言葉に他の意味があることをここにいる人たちが知っているとは限らない。そんな不確かな情報では犯人を伝えることはできないんだ。ダイニングメッセージにはならないんだよ。ダイニングメッセージというのは、みんなが知っていてる言葉で、そこから犯人が分かることが書かれていなければならないんだ」
「え、あなたは私が犯人だって言いたかったんじゃないの?」
赤嶺はキョトンとした表情で諏訪を見つめる。急に弛緩したためか、顔の所々が粉を吹いている。
「僕はあなたが犯人だなんて一言も言ってないよ。ダイニングメッセージの意味を説明していたら途中で勝手に勘違いしたんじゃない」
赤嶺は恥ずかしそうに一歩後にさがりボソりと「続きをどうぞ」と言った。
「白井さんは誰にでも分かるようにメッセージを残したんだ。『アボカド』と聞いてまず思い浮かべるのは何か? はい、青山さん答えて」
名指しされ青山はビクッと肩を上げる。
「え、えっと、醤油をつけるとトロの味がするとか……」
「うーん、それもみんなが知っているわけではないな、もっと表面的で、ぱっと思いつくことは何だろう。はい、桃井さん『アボカド』といえば?」
「皮がザラザラしている」
「そう、『アボカド』の皮はザラザラしていてるよね。他の特徴は? 次、黒川さん」
「洋ナシのような形」
「はい、正解。『アボカド』はザラザラしていて洋ナシのように下部が膨らんだ形をしている。それなんだ、白井さんが伝えたかったのはそれなんだよ。白井さんが残したダイニングメッセージは犯人の容姿を示したものだったんだ。ねえ、青山さん」
皆の視線が青山に集まる。青山の下膨れしたあばた顔が緊張で引きつった。
「以上のことからあなたが犯人で間違いない。なぜ殺したのかまでは分からないけどね」
「え、え、あの、私が犯人? え、なに? どういうこと?」
諏訪は青山の言葉を聞き流し、他の参加者を見渡す。
「ねえ、誰か縛るもの持ってない?」
「あの、私、結束バンドとロープを持っています」
「ありがとう、阿保さん。気が利くね」
諏訪が私に向かって言った。
「角ちゃんはいつもそんなものを持っているの?」
赤嶺が私に向かって言った。
「いえ、なんとなく今日使うかなって思ったんです」
私は結束バンドとロープをポケットから取り出し諏訪に手渡した。
了
Fujiki 投稿者 | 2023-01-24 20:17
迷探偵・諏訪靖彦はぜひシリーズ化してほしい。ダイニング(食堂)メッセージの連呼が間が抜けていて笑える。「犯人以外のプライベート」と名詞のプライバシーの代わりに形容詞のプライベートを使うところに山谷先生っぽさを感じた。
我那覇キヨ 投稿者 | 2023-01-26 01:19
面白い!
手早くセットアップを進めて、最短で推理まで突き進み、ちょっとしたギャグを連呼しつつ一気に畳み掛けている。
いやー匠のワザですね。
春風亭どれみ 投稿者 | 2023-01-27 15:57
ラバーガールのコントみたいな穏やかにイカれていく流れ面白かったです。
小林TKG 投稿者 | 2023-01-27 19:23
これが世に言う、アンフェア推理小説ですね?え?違う? え、え、あの、私が犯人? え、なに?
松尾模糊 編集者 | 2023-01-28 23:07
コントサスペンス、素晴らしい!
大猫 投稿者 | 2023-01-29 22:16
「名探偵破滅派」で課題図書になったら、本をモニターに叩きつけるでしょう。
でもさすがはミステリーの手だれですね。十枚しかないと分かっているのに引き込まれました。当日に慌てて書いたとうかがったのですがすごいな。
ところで平安時代に阿保親王って方がいて、在原業平のお父さんでして、おかげで「伊勢物語」が生まれ、東武線に「業平橋」って雅な名前の駅があったのですが、今は「東京スカイツリー」駅になってしまいました。けしからんことです。
ヨゴロウザ 投稿者 | 2023-01-29 23:04
なんか古典的すぎるぐらい古典的なミステリーかと思いましたが、作者と同じ名前の探偵の一人だけ妙に詳細な容姿描写にはじまり、メタ的な視点で定石をばらすところ、んなアホなという推理、たぶん真犯人であろう人物の登場およびツッコミどころ満載の所有アイテム、了じゃあないんだよという感じにポツンと置かれた「了」、しかもそれらがこれ見よがしに置かれてないというか、はいここ笑うところですよみたいな押しつけがましさがなくさりげないところに、老獪と言っていいほどの技量を感じました。自分はこういうジャンルそのもののパロディみたいな作品が好きだなあと思いました。
退会したユーザー ゲスト | 2023-01-30 00:38
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黍ノ由 投稿者 | 2023-01-30 04:37
不条理ですねぇ。
探偵の終始冷静で、かつどこか他人事のような軽い物腰につられるように、すいすい物語に入り込めました。
そのトーンのまま見事に進む最後の8行。雰囲気って恐いですね。こんな風に起こる冤罪もあるんじゃないかなって思ってしまいました。
曾根崎十三 投稿者 | 2023-01-30 09:06
すごくまとまってますね! 靖彦さんにもっていかれてもう1人いることに最後の最後まで見事に気づきませんでした。
過不足がないというのはすごい。オチの描き方も面白いです。登場人物全員馬鹿じゃん!とずっこけました。新ジャンル(?)コメディミステリーを築き上げられそうです。
眞山大知 投稿者 | 2023-01-30 12:48
典型的な探偵小説と思いきや、いきなり話が警戒になって、最後はドタバタ劇になる……。IQ2の登場人物たちがどこか愛おしくなる。そんな不条理ギャグ
波野發作 投稿者 | 2023-01-30 12:16
「ダイニングメッセージ」の連呼でお腹が痛いですw
流れるようなコント味に脱帽です。ぼくもシリーズ化を希望します。
あと惚れてまうやろ>背が高く容姿端麗、眉目秀麗、長い髪の毛から覗くきりりとした切れ長の目は、探偵というより映画俳優のよう
鈴木沢雉 投稿者 | 2023-01-30 19:41
最初に色の名前が羅列され始めた瞬間に「名前ネタだ!」と確信しました。
でもさすがにこのラストは想像しませんでした。一言言わせてください「ズルい!」。
騙される方が悪いんですけどね……