遺書

姐川

小説

3,029文字

人間誰にも悪い部分はあるけれど、この小説家はその悪い部分が人より多い人生を送ってきました。人生の終わりをこんな形で迎えるのは自業自得だと思う人も多いはず。バチが当たったのだと。それでも彼は言います。「夢を追い続けて何が悪いのか」と。

コンクールに出す予定だったのですが出し忘れていたので、もしよければ読んでいただいて感想を聞きたいです。初投稿で至らぬ点が多いと思いますが、楽しんでいただきたいです。

 これは遺書である。死刑になってしまった以上、物書きとして誰かに伝えねばと思った。私の最後の生き様を、惨めさを。人を殺したことなどない。良い人間ではなかったが、悪人にはなれなかった。あらぬ疑いをかけられ無実を叫んでも、ここには檻の中の私と看守しかいない。ここにいる二人目の看守は私と一言しか言葉を交わさずにいた。

 一人目の看守は私を憐れんだ。妻の収入に頼って売れない小説を書き続けていることが、お国に勤めている看守様には今まで想像に及ばなかったのか、私の半生、いいや私の一生を神妙な面持ちで聞いた。だが、「どうか、ここから出してください」と必死に懇願しても、「それは無茶だ」と言って、なにかしてくれるわけでもない。同情するだけの看守に私はだんだんと腹が立っていた。いつもならどこかもやもやするような、気持ちの悪い感情に満たされるところが、自分の死が目前に迫っていることで心臓が熱を帯びたような、脈が早くなるような感覚が私の体を支配していった。「そうやって、なにがなんだかわからない私に同情して、自分が可愛いのでしょう」私は確かにそう言った。彼は「可愛いわけないでしょう」へらへらと笑い、「脱走の手伝いは出来ないが、貴方がそこにいる理由くらいなら教えてやろう」と鉄格子越しに私の隣へ腰をおろした。

 

 あの日、家の戸を誰かが叩いた。妻は働きに出ており、子供達も学校に行っているので家には私以外おらず、出ざるを得なかった。珍しく家で書いている時に捗っていたので、舌を打ったのを覚えている。勢いをつけて戸を開けると、なにやら妙にかしこまった格好のした男が立っていた。にこにこしながら「貴方様に招待状が届いています」と真っ白な封筒をずいと差し出した。「招待状」つぶやくと、またもや不気味な笑顔で「ええ、招待状」と言う。絶対に来てくださいよ、と残して彼は去った。呆然としたまま封筒を開けば、内容は私の小説があの名高い文筆家の目に留まり、彼が主催のパーティーに、直々に招待してくださったとのことだった。彼の目に留まったのは、5年煮詰めた、私の小説の中で最高の出来だろうもので、こんなことがあるのだろうかと、私は歓喜した。その先生は私が子供の頃に何度も読み耽った小説をお書きになった方だった。微かにタバコの匂いのする封筒を胸に抱いて、まるで少年のように妻の元へ走った。いつも怒号を飛ばしてばかりの妻も、このときばかりは自分事のように喜んだ。浮気者の愛人も「さすがですわ」と褒めてくださった。着ていく服も新しく見繕い、やっと認められたのだと信じて疑わなかった。

 パーティーの日がやってきて、あの妙な笑みの男が迎えに来た。木造建築の前に車が止まっているのが不可思議で、間近で見る自家用車に子供達ははしゃぎ、乗り込もうとしたところで妻に叱られていた。義父は無言で私の背中を強く叩き、義母はいつもの微笑みが嘘のように顔を強張らせていた。「行きましょう」彼は腕をぐいと引っ張って私を車に乗せた。私も初めて乗る車に内心浮かれていた。「行ってくる」と家族に言うと「いってらっしゃい」と各々の声が閑静な住宅街に響いた。男は手を振った。それが最後の別れとも知らずに。あの車はバスと比べれば静かだった。その分慣れない沈黙の気まずさで、新調したジャケットの微かな汚れをじっと見るしかなかった。「着きましたよ」彼は言った。目の前の豪邸より自分の身なりを気にしていた。多数の下女が出迎えている長い庭を闊歩して、パーティー会場に入った。そこは、シャングリ・ラであった。見たこともない西洋のインテリアに小洒落た軽食の数々、私が一生で使う金額を一本で軽く超えるであろうシャンパンやワインがテーブルに所狭しと置かれていた。見渡せば小説家や政治家、官僚など名だたる人々が談笑を楽しんでいた。「ようこそ、我が屋敷へ」少しばかり背の低い、小太りの男性が立っていた。彼の脇には青年がいた。「このようなパーティーに呼んでいただきとても光栄です」緊張しながらも軽く抱擁した。「こっちは息子です。この前東京帝国大学に合格しまして」「どうも」彼の息子自慢がペラペラと続く中、当の息子はこちらを見てなにやらにやついていた。不気味な笑みに戸惑いながら、私は適当な相槌を打っていた。話の中で「お酒は好きですか」と問いかけられ、はいと答えざるを得なかった。高価な酒をぐびぐびとやった。普段酒を飲まないからか、前に一度飲んだときよりも酔いが早く回り、頭がぼうとした。そこからの記憶はもうない。

 

 「それじゃあ、ほとんどわからないのだな」彼奴は言った。「ええ。誰がここにやったのすら本当のところを知らないのです。」本当に知りたいのか、と彼は聞いた。私は首を縦に振った。「あらかた目星は付いてるだろうが、お前はあの小説家の息子の濡衣を着せられたのさ」やはり、思っていた通りだった。想像以上のことではないことに安堵と同時に憤りを感じた。顔がかあと熱くなって、悲しくもないが涙が出た。「あの息子はまあ有名な不良息子。あんまり大きな声では言えないが、噂によれば東大に入ったのもお父様の権力だと。」そうか、私は呟いた。熱の籠もった声になる。人に濡れ衣を着せてまで、地位と名誉を獲得したいのだろうか。人一人の、いやおそらくもっと多くの人の人生を狂わせて。狂わせるどころの騒ぎではない。私はこれから死んでしまうのだから。頭の中に止めどなく怒りの言葉が流れてきて、だがどこにも吐き出せないもどかしさで破裂しそうだった。彼らの人生で私は捨て駒、いや、それ以下なのだろう、と。同時に、涙が止まらなかった。毎日机に向かってなにかいい案はないかと朝から晩まで考え込んだり、妻に尻に敷かれ子供のことも、収入すら彼女を頼りにすることに罪悪感を覚えたり、自分の才能の無さに枕を濡らしたり、いつ死ぬかわからないままいつ売れるか、一生売れないのかもしれない小説を書き続けることに焦燥を駆られたり、自分の人生に意味はあるのかとレーゾン・デートルを問うたり。そんな目まぐるしく回る感情の波に飲まれながら、エゴイズムを突き通したこの人生は彼らにとっては風の前の塵程度なのだと。嗚咽を繰り返して気持ちが悪くなっていた。横の男は私を慰めるでもなく、いつからか澄ました顔で虚空を見つめていた。薄情な奴め。そう、思った。

 次の日、寝心地の悪い布団から起き上がると看守が変わっていることに気がついた。もしかしたらあの会話を誰かが聞いていたのかもしれない。あの看守と違い、今度のは話しかけもせずに私をじっと見ていた。話したのは、この紙と鉛筆をもらったときだけだ。遺書を書きたい、と駄目は元々でぽつりとこぼすと、ふ、と何処かに消え、無言で渡された。「遺書。」彼はそれだけ言って私をじっと見た。その目は確かに憐れんでいた。



ハツ子様、申し訳なく存じます。私はもう死にます。これは神様からの罰でしょうか。自分のエゴイズムに縋りついて、貴方や家庭のことを顧みなかった罰。貴方には十分の迷惑をかけました。本来なら私が子供達も貴方も養わなくてはならぬ。然るに、未練がましい私に小説を書き続けさせてくれたことに感謝してもしきれません。私は地獄に行くことになるでしょう。貴方とは死んでも会うことはできません。子供達のこと、よろしくおねがいします。おかあさんたちにもよろしくお伝えください。愛していました。屹度。




2022年10月2日公開

© 2022 姐川

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