枯木朽株

月に鳴く(第15話)

合評会2022年05月応募作品

松尾模糊

小説

4,004文字

戦後、ソ連崩壊時にモダニズム建築家・灰井によってウラジオストクに建てられた記念碑。老朽化により取り壊しが決まったそれをVRで再現し残す計画を持ち掛けられた弟子は、灰井の真意を知ることとなる。

満州の大連で巨大コンクリート船を建造する計画があった。わたしもそこに参画し、設計に携わった。全長六〇メートル、五千八〇〇トン、八〇〇馬力ディーゼル機関型式、全速一八ノット。しかし、物資の調達に難航している間に計画は頓挫した。八月六日に広島に新型爆弾が落ちたと噂が広まり、大連も標的になっているのではないかと、皆不安になっていた。その前から関東軍は劣勢で将校クラスはすでに引き揚げてしまっている、という帝国の敗戦が濃厚らしいという諦観のようなものが、わたしの勤務していた造船所に広がっていた。それにソ連の極東軍が国境近くに展開しているという情報もあったから、彼らが中立を破るんじゃないかと、皆気が気でなかった。予想通り、奴らは攻め込んできた。粗末な筏みたいな船で逃げ出す連中もいたが、翌日には死体になって岸に戻っているのを見て、わたしたちはとにかく南に逃げた。でも、ソ連を食い止めるはずの関東軍は逃げ惑うわたしたちなんかよりはるかに少なく、やせ細った少年みたいな頼りない奴らだった。当然、彼らは蟻んこのように蹴散らされて、わたしたちもすぐにソ連軍に捕まった。一五日にはポツダム宣言を受け入れて降伏したと聞いたし、ソ連軍の奴らは「トウキョウ・ダモイ」と言って、貨物列車にわたしたちを詰めこんだ。わたしたちはてっきりそれで東京に帰れると思っていた。でも違った。外からガチャリと鍵をかけるような音がして、閉じ込められたと気づいた時には遅かった。列車は止まることなく、コンテナの中は人がぎゅうぎゅうに押し込まれた中でもだんだんと肌寒さを感じるくらいに冷え込んできていた。どれくらい経ったのだろうか、寒すぎて目を覚ました時に列車は止まっているようだった。やがて、がちゃがちゃと外で音がしてコンテナの扉が開けられた。まぶしすぎて何も外の様子は見えなかったが、それは外が真っ白な雪に覆われているからだと機関銃で突っつかれながら外に出た瞬間にわかった。だまされたと思った。しかし、逃げ道はなかった。身ぐるみをはがされ、ぼろぼろの白い一枚布を裸の上に羽織っただけですきま風が絶え間なく吹きこむ丸太小屋の中に押し込まれた。わたしたちは折り重なるようにして眠った。翌朝は、味のしない茶色のスープだけが配られてすぐに農耕作業をさせられた。手は凍えてろくに動かないが、作業を止めると見張りの軍人が鞭打った。かならず帰れる、そう信じることでしか耐えられなかった。「きっと帰れる」そう言って、次の瞬間すわったまま死んでしまったやつもいた。死体はまとめて穴の中に放り込まれるだけだった。シベリアの凍てつく大地に土と雪をかぶって、幾人もの日本人が埋まったまま忘れ去られた。

そこまで話して、先生は黙って目を閉じた。先生に渡された設計図に改めて視線を落とすと、ここに慰霊の想いを込めているのではないかと思った。一九九二年、ソ連崩壊により閉鎖都市に指定されていたウラジオストクも解放された。その前年に姉妹都市となった新潟市とウラジオストクの間で記念碑を建てるという計画が持ち上がり、新潟市出身の先生の事務所に打診があった。先生はあまり乗り気でなかったが、先生と同窓だった当時の市長の懇願で重い腰を上げた。記念碑は、コンクリート造りのモニュメントで曲線を帯びた外殻の下に黒い棺のような黒曜石の石碑を配置するというものだった。しかし、ここに友好記念の文字が刻まれることには違和感を感じざるを得ない。「先生……」率直に意見しようとすると、先生は右手を上げてそれを制した。事務机から立ち上がってから、設計図を取り戻して机の上に置いて数字を書き足していった。

2022年5月16日公開

作品集『月に鳴く』第15話 (全16話)

月に鳴く

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© 2022 松尾模糊

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"枯木朽株"へのコメント 11

  • ゲスト | 2022-05-25 20:59

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  • 投稿者 | 2022-05-26 23:38

    崩れ落ちることで完成する記念碑って現代アートみたいだなと思いましたが、それを作った先生の少し悲観的な歴史観に色々考えさせられました。
    それは少し単純に抽象化した形で言いなおすと人間が何をやろうが人間に何が起ころうが全部無意味だし、歴史の背後には虚無だけが本体としてでーんと居座ってるという思想だと思うのですが、まあ自分も理屈としてはそういう考えもあるよなあぐらいに思って真面目に考えないですけども、本当にそれが自分らの、大袈裟な言い方すると実存かもしれない訳ですよね。別にそれでもいいじゃないかという人もいると思いますが、この先生みたいに理屈として知るんじゃなくて実感した人というのはそれじゃ済まなくなるのだろうなと思います。本当は何につけそこから始めないといけないのだろうな、などと考えたものでした。

  • 投稿者 | 2022-05-27 09:05

    抑留者である先生がモニュメントの設計に携わった経緯や気持ちに迫る、サイコサスペンスとして読みました。語り手は一貫して先生の弟子である「わたし」ですが、師弟関係や玉井の描写で広がりのある物語になっていると思います。
    ただ、最後のメタフィクション展開は「原稿を焼いて日本海ヘ撒いて欲しい」を書きたかったがためのものと解しましたが、もっと他に処理の仕方がなかったかなあと思います。

  • 投稿者 | 2022-05-28 00:54

    たとえ記念碑のデジタルアーカイヴィングを断ったとしても、先生の語りを密度の高い文章で詳細に記述しているこのテクストそのものがアーカイヴ熱に冒されているのではないかなと思っていたら、ちゃんとオチがついていて安心した。記録からはこぼれ落ちる過去の記憶を拾おうとした意欲を評価したい。

    ただ、日本の戦争映画は「自分たちはこんな悲惨な目に遭った、これだけ苦労した」ってのばかりで〈敵〉がほとんど描かれてこなかった、という大島渚の評言をどうしても思い出してしまう。先生が恒久的なモニュメント化を拒んだ被害の記憶は、むしろ「都合のいい記憶」として動員されやすい性質をもっているのではないか?

  • 投稿者 | 2022-05-28 10:49

    先生のえ?が威圧的ですね。あれは威圧ですね。ああ、すいませんって思いました。はいはいすいませんすいませんって思いました。でも、前半の先生のなんか尊敬できる感じが、後半のあの幽体の先生で、なんかこう、ちょっとこう、尊敬値が減ったとでもいうのか。でも生きてる人を優先してほしいですよね。過去がどんだけだったのかとかあるだろうけどもさ。でも玉井さんだってがっかりしているよ。しんどいよおって思いました。面白かったです。

  • 投稿者 | 2022-05-28 12:51

    いくら口で『永遠』と言っても、物理的には永遠に存続し得ない芸術というものについて考えさせられます。西洋の芸術家たちが、『永遠』というとき、それはやはり物理的な話ではなく、魂のことであると、改めて思いました。

  • 投稿者 | 2022-05-28 22:30

    私には書けない話です。すごいですね。
    小林さんも仰ってますが、前半の寡黙な先生と幽霊の先生の饒舌さににギャップがありました。主人公が生み出した幻覚? 願望? そういう深読みもできる余韻をあえて残しているなら良いなと思いました。
    私の読み違えかもしれませんが、「遺作」は亡くなってから見つかった作品では? 記念碑ができた時は先生が生きていたのに遺作?と思いました。

    • 編集者 | 2022-05-29 00:08

      ご指摘ごもっともです。結果的に最期の作品となったというので、遺作ではないですね。

      著者
  • 投稿者 | 2022-05-29 02:02

    難しくてわたしにはよく分かりませんでした。
    すみません。

  • 投稿者 | 2022-05-29 04:37

    満州かぶりかなと思ったのですが、軸足はそこではなく、「崩壊が仕込まれていたもの」としてソビエトとモニュメントをダブらせるなど、重厚な仕掛けがしてあるのではと邪推させられました。語り口が噛み締めるようで、実に渋い!良き。

  • 編集者 | 2022-05-29 11:02

    崩れ落ちる記念碑に込められていた思いに、歴史の重みを感じた。単に朽ち果てるのではないのだと。

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