~1~
山谷感人は、チャーターされたバスの後方座席で、スマートフォンを弄っていた。気分は明るかった。長崎の僻地の生活保護者シェルターを脱し、いよいよ新しい仕事に就く事が出来たのだ。アル中で死に行くだけだと思っていた山谷は、自分にまだ仕事が、それも「エネルギー広報センター」の清掃員という職が得られるとは思っていなかった。何をするかはよく分からないが、あのシェルターを抜け出せただけでももう充分だった。これからは酒もまた自由に飲める。そう考えながら山谷は、スマホの画面に再び目をやった。「会員制お悩み相談サイト」で、山谷は昨日知り合ったばかりの二十代女性の悩みに答えていた。
ミツコ 自然な人間関係って、どうやってできるんですか?
サンヤ それはオープンマインドだよ。ロックンロール。
ミツコ 私ロックンロールきいたことないんです。
サンヤ ロックロック。人間みんなそうだから、まずは聞いてみなよ。
ミツコ 聞く音楽も親が決めちゃうんです。
サンヤ フリーダムになりなよ。
答えになっているのかも不明な返答をしていると、返答が止まった。山谷は横の席に座る男が読んでいた新聞に目をやった。
社会面
「あかるい核のみらい館With東京わくわく高速増殖炉」でトラブル続出か 市民の反対運動も拡大 千葉県浦安市千葉県浦安市で操業が予定され、現在テスト稼働中と見られる、「あかるい核のみらい館With東京わくわく高速増殖炉」内部で軽度の事故が相次いでいるとの内部告発があり、関係省庁が対応に追われている。……「東京わくわく高速増殖炉」は、足利内閣の「2030にっぽんバリバリナウくてイカすビジョン」に基き試験的に建造されたもので、「全国ミニ原発」構想による都市直下型ミニ原発を支える高速増殖炉としてモデルケース開拓事業としての役割が期待されていた。ミニ原発構想は、都市の直近で発電することからエネルギーロスがなく、需要をすぐに満たせるのが利点とされている。足利総理は、広瀬隆による1986年の書籍『東京に原発を!』に感銘を受け、いわば肝煎りプロジェクトとして国全体で推進……。
また、体験型原子力アミューズメント施設「あかるい核のみらい館」も併設される。「あかるい核のみらい館」では、「デーモンコアをくっつけてみよう!」「エノラ・ゲイにのってみよう!」「ひばくしてみよう!」「ヒューミントをしてみよう!」……などのアトラクションがある他、第五福竜丸を東京・夢の島から移設して展示する予定。食堂では、人体に影響のない微量の放射能を浴びせたマグロを使った「原爆マグロ定食」を提供する。付近にある東京ディズニーランドや商業施設との相乗効果が期待されているが、市民団体は抗議……。
~2~
係員がカメラを構え、B29「エノラ・ゲイ」のレプリカの前に並ぶ小学生たちに呼びかけた。
「エノラー?」
「ゲイー!」
小学生たちの満面の笑みがカメラに収まった。「あかるい核のみらい館With東京わくわく高速増殖炉」はプレオープン期間ながら、近隣の学校などから多くの見学者を受け入れていた。ガラスで覆われたドームの中のあちこちに、日本の芸術家による「核芸術」が展示されている。中心にはエノラ・ゲイのレプリカが置かれ、その前にはアメリカのスミソニアン博物館による公式レプリカ認定プレートが輝き、奥には実物と同じ大きさの「リトルボーイ」も展示されている。そんな光景を横目に、山谷感人は研修のために敷地内を回っていた。森という係長が甲高い声で、マニュアル通りの説明を行った。
「これがエノラ・ゲイのレプリカです。当施設の目玉で、スミソニアン博物館に唯一認定された公式のレプリカです。清掃員といえども、来場者の方に質問をされたら、答えられるようにしなければなりません」
係長は、このどこから来たのかもわからない、ただ寄せ集められた人材を見て胃が痛んだ。無精ひげ、目のクマ、シミにアバタだらけの壮年の男たちの中に、帽子を斜めに被った山谷も立っている。胃の辺りを抑えながら、並んでいる新入り達の中で、比較的身なりのマシな山谷に目を付けた。
「そこの……山谷さん。このエノラ・ゲイが、どこに原子爆弾を落としたか、その爆弾が何という名前か、知っていますね?」
「広島ァ、リトルボーイ」
「その通りです」
「でも俺は長崎に落ちたファットマンの方が好きなんだよね、地元だし。ロックロック」
「……」
「あれ、面白くなかった?」
この受け答えのせいで、山谷感人は裏方の業務に回されることになったが、山谷はそのことに気付きもしなかった。その数日後、移築されてきた第五福竜丸にペンキを塗りなおす作業に参加させられたが、これまで人生の中で何一つ作業らしい作業を完遂したことがなかった山谷は、シルバー人材センターから派遣されてきた元塗装工がペンキを塗るのを後ろから誉めそやすだけでやり過ごした。そして、他人が後片付けをする裏で、スマートフォンで大貧民をしているうちに一日が終わってしまった。山谷は宛てがわれた宿舎の一室に荷物の中身を放り出し、一日で布団の近辺を汚染し、その汚れた布団の上で横になりながら、ミツコとやり取りをした。
ミツコ サンヤカントさんて、どこに住んでるんですか?
サンヤ 浦安だよ。俺、シティボーイ。
ミツコ すごい。ディズニーランドがあるんですよね。
サンヤ まだ行ってないんだよね。でも浦安は良い街だよ。
ミツコ 私もディズニーランド行ったことないんです。行ってみたいんだけど、誰も許してくれなくて。
サンヤ ランナウェイしちゃいなよ。ドントウォーリー、ビーハッピー。
ミツコ ランナウェイってなんですか?
サンヤ 自由になるってこと。束縛から逃れるってことだよ。
ミツコ 束縛ですか。逃げたいですね。
ランナウェイしちゃいなよ、と書きながら、山谷はディズニーランドよりも自分の職場を案内してやりたいと思った。研修では、放射能がどのような性質のものなのか色々話していたが、山谷はそれがよく理解できなかった。たぶん、微量なら体にいいのだろう。放射線を浴びてキャバクラに行ったら、モテるかもしれない。
~3~
「まあ……」
東京わくわく増殖炉に派遣されてきた石井という所長代理は、革製の高級椅子に座ったまま、手を伸ばしてオフィスの窓のシェードを下げ、現場係長の森と顔を突き合わせた。二人に挟まれた机の上には、核燃料製造に関する正規の工程と、別の「創意的」工程を示すそれぞれの用紙が広げられていた。早朝に呼び出された森係長は青ざめた顔をして、書類と、太って厚ぼったい石井の顔の間で視線を上下させた。石井が深い息の後で言葉を発した。
「こんな溶解塔とかなんとか、この煩雑な工程をそのままそっくりやる訳にはいかないだろう。一ヶ月後までに、テスト用の原子爆弾を製造するんだからな」
「しかし……」
「私は前に東海村に居たんだ。東海村ではこの、『創意的』工程で問題はなかった」
「ですが、倫理的に……」
「東京の目と鼻の先に、こんな施設を作って、何が倫理的なんだ? お前、分かるだろ?」
石井は、笑いとも罵声ともつかない、引きつった声を出して、わざとらしくリクライニングを最大にした。森係長は言葉を失い、きりきり痛む胃と目の前の所長の間で板挟みになった。
「……この工程を行うには、適当な作業員が何人かいれば良い。特に、施設の管轄を跨ぐこの『運搬役』は、証拠を残さない為にも、状況を理解していない奴が必要だ」
「はあ……」
俯いた森係長の脳裏には、研修の時に散々見せつけられた、特にどうしようもないある男の顔が浮かんだ。
「います。全く何も出来ないアル中の男が……手は付いてるから流石にバケツは運べるはずです……」
「ロックロック。高橋クン、オレオレ。オレだよオレ。浦安にいまーす。ホントホント。でも今研修中ですぐ行けないんだよね。え、雪が降るー? 言ってくれるねえ。どこで働いてるかはー、浦安だけど東京。ちょっとお楽しみだねそれは。ディズニーじゃないって。いや夢の国だけど。ロックンロール。でも言い方に依っちゃ俺は公務員だからね。公務員だよ。ホントだって。ロックロック。俺も一時期どうなるかと思ったけど、まあどうにかなりそうだわ。うん。ロックロック。いや。お子さん元気? ロックロック。え、破滅的じゃない? それは高橋クンの考え方だよね。俺は働く方が破滅的じゃん。なあ。え? 酒? 飲んでるよ。人生逆噴射。ロックンロール」
昼休みが過ぎてもなお、リトルボーイのレプリカに寄り掛かりながら、山谷は大声を出して高橋という男に意味不明な電話をかけていた。その手には缶ビールが握られ、既に二缶も開けられている。山谷が昼休みを大幅に超過した長電話を掛け終えるとほぼ同時に、山谷を探し回っていた森係長が近づいてきた。山谷の足元に転がるビール缶を眺め、顔を歪めた。しかし森がひねり出せた言葉は、中学の生真面目な教師程度の言動だった。
「山谷さん、飲酒はしてはいけない決まりだったよね」
「これ、ジュース」
山谷は平然とビールを飲み続けた。係長はうつ向いたが、意を決したように急ににこやかになると、ガラスドームの向こうに見える、膨らんだ煙突を擁した別の建物を指さした。
「あなたには別の仕事が必要だね。一緒に来てください」
「仕事ォ。ロックロック」
「ha、ha。仕事」
サンヤ ミツコちゃん。俺給料が上がったよ。バケツ運ぶだけで五千円。
ミツコ すごいですね。給料って何ですか?
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