ユタとトカレフ

合評会2021年07月応募作品

波野發作

小説

4,215文字

海に流れた儚い恋のものがたり。ちょっとバイオレンス、そしてアドミニストレーション。破滅派合評「海」参加作品。Copyright: petarpaunchev

その海には誰もいなかった。その海、というよりその時代の海と云うほうがいいのだろうが、時代という概念ももはやかすれて失われていた。神は、神という者がもしもいたとすらならばではあるが、その神、あるいは神と呼ばれるかもしれない存在はとある実験を行った。愛という概念は存在するのか否か。それを確かめたかった。選ばれた二人は海辺の街に置かれた。

二人は育ち、出会い、17歳になり恋に落ちた。ここまではいい。問われているのは愛だ。

天啓を受けた女は男の腕をすり抜けて浜辺を走り出した。遥か天空には神が用意した太陽が光源となり、溢れんばかりにあらゆる波長の(波長の短いX線から長長波の電波まであますところなく)電磁波が降り注いでいた。女が走っていく砂(岩石の粒子、細かい)の堆積した海と陸の境界線域(砂浜)は海水の波長と陸地側の電子振動の間で、極めて曖昧な概念崩壊空間を創造し、それは連鎖した。酸素は破壊され、呼吸は困難になったが、男は遂に走り出した。それは逃げる女からの要求であり、高速かつ強力に奪取、確保、捕縛することが、女の求める愛の証明であり、神の期待値だったからだ。

「好きなんだもの」

みつお。そうだアイアム生きている。

 

「なんだこれは」

「2番もあるけど」

「そういうことではなく、なんなんだこれは」

海の家・エトランジェのバックでソウスケが頭を抱えていた。ミリオがロルバーンに書いた文章を押し付けてきて感想を求めているのだが、なにを云っているのかよくわからなかったようだ。3番まであるという。神とは。愛とは。なんなんだ。

エトランジェがエトランジェなのは、オーナーが衛藤で、ランジェリーショップを経営しているからだと先任のユタが云っていた。店長はその娘だそうだが、そもそも店長なのにまったく店に来ない。だがそれは客もいないからどうでもいい。問題は、ミリオとソウスケがヒマだということだ。

海開きの時期にまたしても政府の例の宣言が出て、客足はさらに遠のいた。オーナーは最後まで開店を迷っていたが、娘にねだられ押し切られる形で仕方なく俺たちを雇って今年もオープンすることに決めた。固定費人件費はすべてランジェリーエトウの売上から補填されるだろう。ランジェリーショップの売上は巣ごもり需要で右肩上がりだという。通販の処理でてんてこ舞いだと先週実家を手伝わされている店長がぼやいていた。とりあえず俺たちは夏の終りに給料未払いで現物支給を受ける心配はないからあまり売上は気にせず、ただ、のんべんたらりと客のいない海の家でたむろするというだけのかんたんなお仕事に邁進していた。

「ケイ、これどう思う?」

俺を巻き込むなよ。焼きそばを炒める俺の顔面に、コロコロとしたかわいらしい文字の並ぶ紙面を押し付けてきた。

「食ったら読むよ。皿並べてくれ」

「あいよ」

俺はまかないの焼きそばをソウスケが並べた皿によそいわけた。4枚目の皿には少し多めに盛る。ラップをかけて割り箸を載せる。1枚めと2枚めを後輩らに差し出す。

「ほれ、お前らは食ってろ」

「さーんきゅ」ミリオとソウスケは割り箸をパキリと分けて、湯気の上がる焼きそばに食らいついた。こいつらはとりあえず食わせておけば文句も言わず働く。俺は3枚めの皿にもかるくラップをかぶせると、4枚目の皿を持ってエトランジェの外に出た。浜には家族連れがひと組だけ、シートを敷き、パラソルを立てて団欒していた。あれが団欒だ。あれこそが伝統としての家族団欒なのだ。

ベンサンの穴から加熱された砂(ミリオはなんて云っていたかな)が足の裏に流れ込む。次の一歩で後ろに跳ね飛ばされる。そしてつがいのもう片方に砂が入り、そして出ていく。これは人の営みか。去年までエトランジェのバイトリーダーだったユタはこの夏はライフセイバーの資格をとってライフガードとして背の高い椅子に座る仕事に就いていた。去年より明らかに分厚くなった胸板に、伸ばしていた髪はバッサリ切り落として角刈りにしていた。俺たちは角刈りと云ってたが、ユタはスポーツ刈りと云っていた。店長はGIカットと呼んでいた。実際はなんなのかはわからない。

「ユタ」

椅子の下で声をかけると、上の方からハスキーな返事がある。

「ケイか、どうした」

「差し入れ。食う?」

「お、サンキュ」

ユタは体をぐいと折り曲げて、長くて太い腕を伸ばし、俺の差し出した焼きそばの皿(4)を取り上げた。本当はなんか服務規程とかあるのだろうが、客のいないこの浜で、誰からのなんの批判があるというのか。いやない。家族連れは一向に海に近づかず、砂でなにか建築物を建築していた。城?

「あれは城のようなんだが、」

暇つぶしにずっと家族連れを中心に監視していた監視員のユタは誰よりもその家族の築き上げる建造物に詳しかった。もはやエキスパートと云ってもいい。

「ただの城ではない。日本の城だ」

「え、そっち?」

確かに少し四角くはあるが、そうなのか。月見櫓がある。松本城か。普通は砂で作るなら西洋の城だろうに。

「店はヒマそうだな」

「ヒマ」

誰が見てもそう思うだろう。そもそも浜に客がいない。海の家にもいない。家族連れは海の家サガンのパラソルを借りているから、うちには寄ってこないだろうから、実質ゼロだ。しかし新たな客が現れる奇跡に期待して15時までは営業しなければならない。

客がいたらこうしてユタのところで油を売ることもできないだろうから、それはいいことなのか、わるいことなのか、今の俺には判定はできない。
「お前、夜ヒマか?」

「なにもないよ。ゲームやって寝るだけ」

「ウチ来いよ」

「なにすんの」

「酒飲むだけ」

悪くない提案だ。

「なんかつまみ作っていくわ」

「いいねえ」

ユタは空になった皿をよこして、俺の頭をクシャクシャとかき回した。感謝の印なのかなんなのか。

 

エトランジェに戻ると、ソウスケとミリオがニヤニヤと見ていた。

「サボりですかバイトリーダー」

「地域に貢献しているライフセイバーをねぎらってきたのだよ」

「はいはい」

俺はキッチンに入り、まかないの焼きそばを口に放り込んだ。よし。今日もうまくできている。
空が青いのはなんでだったか。なんかのアニメでウンチクを並べていたが、よくわからなかった。高校の教科書には載っているのかな。なんの教科書だろう。物理か、地学か。あるいは現国か。教科書どうしたっけ。捨てちまったかな。二人になると、光の中に溶解していくという。俺じゃない。ミリオが云っている。そして鳥になって飛んでいくという。風は強いが、二羽でどこまでも飛んでいく。そこに生を感じるのだと、俺じゃない。ミリオが云う。
「ちょ、なんだあれ」

「ヤバくね?」

「どうした?」

俺がこいつらの目線の先を見ると、ユタのところに白い影があった。白い、ワンピース? 女? 麦わら帽子に白いひらついたワンピースの女。何か黒いもの、拳銃のようなものを手に、いや水鉄砲か、スマホか? ユタに向けている。

 

パアン

 

花火のような爆竹のような音が響き、監視台の上からユタが転がり落ちた。俺は裸足で熱砂の上を走り出していた。

もう一度銃声が聞こえて、女の頭が赤く飛び散るのが見えた。そっちはいい。どうでもいい。ユタは。

白いワンピースが赤くグラデーションして砂に崩れるのを蹴散らして、横たわるユタに抱きついた。体を起こす、血だらけだ。どこを撃たれたのか全然わからない。意識がない。

後ろからソウスケとミリオがやってきた。俺はソウスケに隣の海の家に助けを呼びに行くように指示、ミリオに警察に通報させた。

ユタを砂に寝かせる。熱いかもしれないが、今は動かせない。すまない。犯人の女は頭が血だらけで、顔の半分が真っ黒になって原型を留めていない上に、ピクリともしないから即死なのだろう。なんなんだこいつは。名前はなんだ。誰なんだ。なんで銃なんか持ってんだ。ユタは知っているのか。聞きたいが、ユタも反応がない。あちこち血がついているが、傷口がわからない。ソウスケが戻ってきたので、AEDを持ってくるように云った。どこにあるか知らないが、どこかにあると思うし、必要になるかもしれない。

ユタの呼吸がない。俺は習ったとおりに気道を確保し、心臓マッサージをはじめた。救急隊員が来るまで続けるのだ。それがユタを救う唯一の道だ。

なんかの曲に合わせて続けるといいと聞いた。アンパンマンマーチ、歌いだしを忘れた。仕方がないので17歳の曲を口ずさみながら続ける。誰もいない海。ふたりの……。愛を……。俺は何を確かめたかったのか。

規定回数を続けたので、人工呼吸を。ユタの口に口をつけて息を吹き込む。どこかから漏れている気がするが、気にしない。続ける必要が俺にはある。諦めない。俺は君の命を諦めない。心臓マッサージを再開する。青い空の下。

好きなんだもの。みつお。

 

俺は生きている。ユタも生きている。生きているんだ。

 

救急隊員に脇を抱えられて、ユタから、いやユタだったものから引き剥がされるまで、俺は蘇生を試みていたが、これ以上は死体損壊に問われると誰かが云って、手を止めた。女のトカレフの弾丸はユタの延髄から飛び込んで頭蓋骨の中を踊り回り、彼の中にあった彼のすべてを破壊した。次の弾丸はその犯人の左脳のほとんどを砂地にばらまいて、少し湿らせた。この女はまんまとユタと同じ命日を祀られる立場に収まり、俺は永遠にユタを失ったのだ。太陽のせいにするな。

 

潮が満ちてきて、ユタと俺からユタを奪った女の痕跡は海へと流れ出していった。警察や救急の足跡も消えていく。

空は太陽を包み隠して、次第に光量を落としていく。

俺はただそこに立ち尽くして、状況の消化に努めていたが、それは難しかった。そのうち店長とオーナーが飛んできたが、対応はミリオに任せて、俺はユタのいた場所に立ち続けていた。遠くからソウスケが走ってくるのが見えた。

脇腹を抱えて痛そうに、苦しそうに走っている。ソウスケ、もう走らなくていいんだ。

俺の前で砂地にひざまづいて乱れきった呼吸を息を飲みながら必死で整えて、云った。

「AED、ありませんでした」

「そか。ありがとう。ごめんな」

「いえ、すみません」

ソウスケ、お前は悪くない。悪いのは行政だ。

日本救命機器開発株式会社・啓蒙パンフレット「ユタと俺とカミュあるいは南沙織と森高」より抜粋。

2021年7月18日公開

© 2021 波野發作

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"ユタとトカレフ"へのコメント 14

  • 投稿者 | 2021-07-21 22:07

    最初からいきなりかましていて一体何事かと思った。三段落目から五段落目にかけてはじわじわ平常運転の語り口が出てきてニヤニヤ。

    今回はいつもと違ってなんかシリアス。ユタは沖縄の霊媒からとったのかなーとか、そういえば『海辺のエトランゼ』っていう沖縄モノのBLアニメがあったなーとか、やっぱりサガンはフランス文学つながりかなーとか、いつもの調子で小ネタ/元ネタを探しながら読んだけど、なんか小ネタに力を入れているわけでもなさそう……。最後の出典の記載は、照れ隠しか?

  • 投稿者 | 2021-07-22 00:41

    神の実験対象は、ユタたちだった?
    神を暴いた気でいる主人公に降りかかる愛の試練に、焦燥感にも似た思いを抱きました。
    海、森、都会に住む生物たちは、等しく一つの命を持ち、それを失う。
    そんな無常を感じさせる作品でした。
    素敵です。

  • 投稿者 | 2021-07-22 23:41

    「17歳」、カミュ風に翻訳したら冒頭の深遠な詩になるのかしら。やっぱり南沙織だよね。おや相田みつを、でも、みつおとあるから他の人かな、とか思いながら読み進めたら、衛藤とランジェリーでエトランジェとかかましてくるし。
    ユタを撃った女は衛藤オーナーの娘なのか?ケイとユタの関係は?客が来ないことが分かっていて三人もバイトを置くのはなぜなのか、などが愚問に思えるのは太陽のせいだ。いや、デフォルメされた「17歳」のせいだ。

  • 投稿者 | 2021-07-24 00:19

    波野節炸裂という感じでいつもながら面白く読ませて頂きました。
    空が青いのはレイリー散乱、と僕も何かのアニメでウンチクを得たような気が(汗)
    AEDの啓蒙パンフレットの一部だった、という結末には思わずタブレットのペンを投げそうになりました。

  • 投稿者 | 2021-07-24 04:05

    新しさを感じました。もしかしたらテーマは新しくないかも知れませんが、それでも新しく感じるのは作者の力量であると思います。「空が青いのはなんでだったか」で始まる文章の、清々しいリリシズムに共感しました。

  • 投稿者 | 2021-07-24 21:29

    勝手に一括りにするのも良くないとは思いますが、こういう発想のできる小説は、破滅派ならではだよなあと感じました。
    最後の会話のやりとりの妙にユーモラスで印象に残りました。

  • 投稿者 | 2021-07-24 22:32

    海の家で食べる焼きそばは最高なんすよね。出来合いの茹で麺と業務用の3リットルソースをジュワーッとかけて湯気が立って、発泡スチロールの容器に盛り付けて青のり(本当に海苔なのか怪しい緑のやつ)と紅ショウガで飾り付けられている。出来立てではなくて少し麺がふやけた感じだとさらに良い。
    それで本題ですが、神と呼ばれるものが愛について測る値とするものをこの物語から見出すには私には難解すぎました。

  • 投稿者 | 2021-07-25 01:02

    はじめまして。
    引用されている様々な元ネタにあまり馴染みがない私には読解が困難で、全部知っていれば面白く読めたのだろうと自分の無教養を歯がゆく思いました。ただ「そっちはいい。どうでもいい」とかそういう言葉の端々や、夕暮れまで帰ってこないソウスケなどにユーモアを感じたにとどまりました。
    よく言われることだと思いますが、私はチャーハンと焼きそばは家で作っても美味しく出来ないので、店(屋台)のしか食べません。

  • 投稿者 | 2021-07-25 15:49

    みつおのおかげで、なんとなくマイルドになってるのかなあ。と。あるいはみつおに緊張の緩和を一任しているのかと。そう考えるとみつおってすげーなー。って思いました。あとバイトリーダーいじりが面白かったです。

  • 投稿者 | 2021-07-25 18:33

    何かいつもとは違う変化球を投げられた感じでした。
    愛という概念は存在するのか否か。もしそのような深遠なテーマがか書かれているなら、みつおの一言に答えを委ねるのではなく、これからはポストに入っている啓蒙パンフレットを丁寧に読み込もうと思った次第です。

  • 投稿者 | 2021-07-26 10:32

    ジェットコースター、いえ、USJのXRライド的な何かに乗せられた気分でした。
    「17歳」の「好きなんだもの」の部分が流れるのはその後の「私は今生きている」に繋がって、死んでない側の生きてる感を表されているのかしらと思いました。
    多分私だけだと思いますが、なぜか「17歳が」森高千里版ではなく銀杏BOYZとかのカバー版でおっさんの声で叫んでいるのがめちゃくちゃ脳内再生されました。心臓マッサージは森高千里でした。
    その後みつをフォントでドドンと「みつを」が出てくるような。

  • 編集者 | 2021-07-26 14:18

    出題者らしくストレートな海の描写に学ぶ。時折挟まれる波野節にニッコリ。ちょっとどころではないバイオレンスや恋を楽しく読みつつ…そうだ、悪いのは行政だ。

  • 投稿者 | 2021-07-26 14:54

    17歳は森高さんのイメージだなあなんて思いながら。シンシアはある一定の世代以上には永遠のヒロインなのかもしれませんが。波野節も健在でした。

  • 投稿者 | 2021-07-26 22:09

    「ソウスケ、お前は悪くない。悪いのは行政だ。」
    この一文に物凄いシュールさを感じました。。

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