還る場所

応募作品

曾根崎十三

小説

4,371文字

11月合評会テーマ「ノスタルジア」応募作品
ものすごくかえるために、ものすごくがんばる話。

「部屋を作ってるんだ」

確かに祐一は変人の類ではあったが、気狂いではないと思っていた。だが、その認識を訂正しなければいけない出来事が起こってしまった。目の前にいる友人を私は気狂いだと認めざるを得ない。元々気狂いだったことに私が気付けていなかったのか、それとも祐一が気狂いになってしまったのかは分からない。よくよく思い返してみれば、子供の頃から気狂いの片鱗を感じさせる事も何度かあった。虫の脚を引き抜いて並べ、もがき苦しんでいる様を観察することに随分と執心している時期があった。否、理由は後付けだ。幼少期に残酷な遊びをする奴は祐一だけではなかった。この事に直面するまで私は祐一をただの変人だと思っていた。変えようのない事実だ。過去を修正することはできない。事実を歪めてはいけない。

今すぐにでも通報すべきだろう。祐一は然るべき罰を受け、罪を償うべきだ。しかし体が動かなかった。衝撃は思った以上に私を疲弊させているらしい。

「もう少しで完成する」

愛おしそうに「部屋」と呼ぶ塊を撫でる祐一はまるで母親のようだった。母を求めるうちに彼自身が母親になってしまったのだろうか。

祐一には母親がいない。彼を産む時に亡くなった。嘘か真か彼には胎児の頃の記憶があるという。真っ暗で温かいところでボンヤリとした音が聞こえていたそうだ。そしてそこはとても安心できる場所だったと。彼にとっての母の記憶はそれだけだ。母の中に居た記憶があるだけだ。顔は写真でしか知らない。どのような声でどのように話すのか、どのように表情を浮かべるのか、彼は一切知らない。今も母が健在の私には分かり得ない、彼なりの孤独があるのだろう。そしてそれは誰も癒すことができなかったのだろう。だからこそこのような凶行に及んだ。彼の凶行を知れば、新聞社もこぞってそのような書き方をするだろう。

「お前のことだから、俺が母親を求めてこうしているとでも思っているのだろうな。しかし全ての生命は求めている。全ての生命はここからやってきた。その懐かしさ、望郷の念を忘れているだけなのだ。何しろ胎児の頃の記憶がないのだから仕方ない。しかし、俺は記憶のお陰で、幼少の時分より真理に気付くことができていた。ずっと俺はこれを求めていたよ。実行に随分と時間がかかってしまったが。ひょっとすると俺よりも早く『部屋』に還ることに成功している者もいるかもしれないが、ここで大切なのは各々が気付くことだ。気付かなければ理解できない。お前も気付くことができる」

熱血漢の教師のような堂々たる口ぶりで彼は私に訴え、陶酔した瞳で満足げに微笑んだ。彼からすれば胎児の頃の記憶がない私の方が可哀想だとでも言いたいのだろう。最古の記憶に則って彼は最高の故郷を自宅に作りだろうとしている。なるべく呼吸をしないようにしていたが、つい大きく吸い込んでしまった。噎せ返るような生臭さ。こみ上げてくる物を喉の奥で押しとどめる。ツンとした胃酸の刺激が目頭にまでせりあがってくるような気持ち悪い感覚に眩暈がする。間違っている、と言おうとしたが上手く言葉にならない。これは恐怖だろうか。それとももっと別の何かだろうか。吐き気と戦っている私に構うことなく、祐一は臭いなどまるで気にならないそぶりでうっとりとしながら自分が作った「部屋」とやらを撫でている。

「生まれてこなければ、よかったと、思っているのか」

途切れ途切れに私はかろうじてようやく伝えることができた。吐き気は一向に収まらない。痺れるように喉の奥が痛む。酸い液体が口の中に溢れてきてなおさら吐きそうになる。

「ああ、そうだな」

あっけらかんと祐一は答えた。彼は死にたがっているのだろうか。そのようなそぶりはまるで感じられなかった。自ら命を絶つ者があっても、心を痛める私とは裏腹に無関心だった。むしろ自死する者を嘲るような発言すらあった。

「じゃあ、死にたいのか」

強烈な臭いの中で呼吸を整えながら私がそう言うと祐一は鼻で笑った。

「生まれてこないのと死にたいのは違う」

そんなこともわからんのか、とでも言いたげである。癪に障る物言いだ。血塗れの室内で彼は演説家よろしく両手を広げた。

「生物がなぜ性交するのか知っているか」

頭痛がする。視界が白濁している。吐瀉物の代わりに涙が頼りなくこぼれ始めた。

「子孫を、増やすためだろう」

言葉と一緒に胃の内容物を吐き出しそうになるのを堪えた。祐一は静かに首を横に振った。呆れているようにも見えた。しかし、私がそう解釈しているだけかもしれない。なんせよく見えていないのだから。

「あれは皆、還ろうとしているのだ」

聞いた瞬間は理解が追い付かなかった。朦朧とする頭で理解した時には馬鹿馬鹿しくて思わず吹き出してしまいそうになった。しかし、あまりにも彼が真剣なので、すぐに思い直した。私がおかしいのだろうか。いや、彼が気狂いなだけだ。童貞の狂った空想だろうか。いや、恋人もあったし、風俗にも行っていた彼が童貞のわけがない。私が知らないだけでこれは当然の事実なのだろうか。そんんなはずがない。私は性交中にもちろんそんなことを考えたことはない。そもそも抜き差ししているわけで、入るだけであれば抜く意味がない。子宮に入ろうだなんて思ったことはない。そもそもペニスからどうやって全身を胎内にしまうというのだ。本当に還ろうとするのであれば、挿入すべきはペニスではなく頭や脚だろう。入らないからだろうか。いや、入れようとしたこともない。産道を逆流しようとしたことなどない。できるわけがない。したいとも思わない。できないからと言って祐一のようにどうにかしようとも思わない。気は確かだ。祐一は気がふれてしまったのだ。私が気付いていないだけだろうか。そんなわけがない。そんな馬鹿げたことを私は考えたことがない。しかし祐一にとってはそれが真理であるようだ。狂っている。それ真理だというのならば女はどうなのだ。女だって女から産まれてきているのだから、還りたいにちがいない。

「女はどうなんだ」

「女は還してやりたがっている。そのために子宮がついている。中には還りたがる者もいるから、そういう者は女同士で交わる。だから俺は女の合意の下、この部屋を作っている。この部屋を構成する一部となっている女たちは俺の素晴らしい発明に皆賛同してくれた」

狂っている。彼の恋人ももうこの「部屋」を一部になってしまったのだろう。本当に同意の下なのだろうか。だとしたら、随分と狂った世の中になってしまった。関わった者たちが皆同意しているのであれば、私が口を挟みそれを乱す権利などない。それともこれは彼の妄言だろうか。猟奇殺人犯の一方的な主張にすぎない。死人に口なし。同意があるという彼の主張を何故私は鵜呑みにようとしたのだろうか。頭がおかしくなりそうだ。臭いで私はすっかり正常な思考を奪われている。彼の堂々たる振る舞いを見ていると狂っているのは自分ではないのかという気がしてくるのだ。気を確かに持たねば。彼の主張は穴だらけだ。胎内に還るために交わるというのならば、男同士で交わる者はどうなるのだ。本当に生命が皆子宮に還りたがっているのなら、彼のような行為に出るものがもっと多くいるはずだ。ただの詭弁にすぎない。

「お前ならこの素晴らしい部屋を理解してくれると思ったのだがな」

不満げな私の顔を見てか、祐一は落胆した表情を浮かべた。私を気狂いの仲間だと思わないで欲しい。確かに少年時代は彼と共に虫を捕まえてバラバラに解体していたが、そんなことは誰もが通る道だ。それだけで気狂い扱いされてしまったら、世の中は気狂いだらけになってしまう。子どもが残酷な遊びをするのはよくあることだ。しかし、成人した男が凶行に走るのはよくあることではない。一体この化け物じみた狂気に駆られた彼は私を何だと思っているのだろうか。気が狂っても尚彼は私を親友と思っているのだとしたら、傍から見れば美しい友情物語かもしれないが、私からすればありがた迷惑も良いところだ。

「完成した姿を見ればお前も分かる」

その言葉を背に私はとうとう走り出した。分かりたくなどなかった。この場所にいると頭がおかしくなってしまう。狂人から一刻も早く逃げなければいけない。走り去る私に祐一が何か言っていた気がしたが、私は振り返ることなく彼の家を後にし、一目散に自宅へ戻った。

それがもう一週間前となる。帰宅してすぐに風呂には入ったが、臭いがいつまでも残っている気がする。いくら洗ってもあの臭いがこびり付いている。肉を食べようとするとあの光景が蘇り、吐いてしまう。そして狂人の声。お前も分かる、と。ふとした瞬間にまるで耳元で祐一が囁いているかのような錯覚に陥る。ひょっとすると本当に耳元で祐一が囁いているのではないかと幾度となく思ったが、辺りを見渡しても彼の姿はどこにもなかった。そしてあの「部屋」と呼ばれる醜悪な塊。目を閉じるとうっすらと浮かぶ赤。それが徐々にあの塊へと変貌し、眠りにつこうとしても飛び起きてしまう。睡魔が限界を超えると、気を失うように眠ってしまうこともあったが、夢の中に何度もあの光景が出てくる。得意げに語る祐一とあの「部屋」。彼は新しい宗教でも作るのだろうか。教祖にでもなるつもりだろうか。自分こそが真理に気付いているのだと信じて疑わない彼ならばあり得る気がする。恐ろしい。もう二度とあそこには行きたくない。しかし、早鐘を打つ心臓があの狂った場所を催促している。逃げても逃げても追いかけてくる。追いかけてくるのであれば私は対峙しなければならない。祐一の狂気に震えて生き続けるなど想像するだけで身の毛がよだつ。この苦しみから解放されたい。生きた心地がしない。死んだように生きるなどご免だ。幼い頃から共に過ごしてきた彼がこのような形で私を苦しめることになるとは誰が想像し得ただろうか。

一歩進むにつれて臭いが前回よりも一層酷くなっているのが分かる。口内にまでせりあがってきた吐瀉を飲み込んだ。喉が焼け付くように痛む。燃えているようだ。

鍵のかかっていない戸を開け、私はあの場所に辿り着いた。彼は私を待っていたようだ。

ちょうど大人の男が一人入りそうな赤黒い塊が部屋の中央にぽつねんとあった。祐一が「部屋」に包まれているのだ、と理解した。祐一は全身をくまなく「部屋」に覆われていた。微動だにしない彼を見て、彼は完全に還ってしまったのだと悟った。

なぜだろう。私は彼のことが心底羨ましくなった。それと同時に腹立たしくなった。私は温かい場所で鼓動を聞きながら浮かんでいたかった。それを再現するためには彼の行為では甘すぎる。この切実な望郷の想いを叶えることなどまるでできていないではないか。

私は気付いてしまった。

2020年11月16日公開

© 2020 曾根崎十三

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"還る場所"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2020-11-16 15:29

    いろいろな人に言ってるのですが「ノスタルジー」と「トラウマ」は違います。映画『三丁目の夕日』のような「あの頃は本当によかった」と美化するのがノスタルジーです。あの頃に帰りたいというのが「ノスタルジー」です。この作品も残念ながら「トラウマ」です。

  • 投稿者 | 2020-11-16 21:02

    太い樹を、繊細で鋭利な彫刻刀で削っているような文体を甚だ、面白く感じました。
    「ノスタルジー」ではなく「トラウマ」だ、との意見も有るみたいですが、それは読み手の自由、黄金権利で誰も否定は出来ない。だが然し、あり得ないハナシだが、ここに太宰治の「思ひ出」や「逆行」などが掲載されていたとしても、そう云った人々はトラウマ作品だと評価するのだろう。
    僕にはノスタルジーな雰囲気に包まれた力作と思えた。

  • 投稿者 | 2020-11-17 03:51

    どうやったらかき集めた材料で温かくて血の通った「部屋」を作れるのか、思わず考えてしまいました。能動的な「変身」かも知れないと思いました。

  • 投稿者 | 2020-11-19 08:15

    最初のあたりで、気狂いっていうのが連呼されてて、思わず明るい場所で見なきゃって思って、ヘッドライトを付けて読みました。

    あとは釈然としないその部屋というものを一つずつ出てくる単語をもとにイメージをしていきました。

    結果、私の中では、サイレントヒルに出てくるおかしな宗教+魍魎の匣という感じになりました。間違っていたらごめんなさい。

    あれだけ否定していたのに、最後は同調みたい感じになっちゃう主人公はもはや萌でしたね。

  • 編集者 | 2020-11-19 15:56

    読み手の、恐らく母や胎内への愛着にも左右される作品だろうが、俺はあまり愛着がないので、少し戸惑った。主人公は最後教化された様だが、母のいる彼は何をするのか気になる所だ。
    本人が幸せならそれで良いことだと思うが、人間製の何かを使用しているなら、動物製品に変えるようにお勧めしたい。何かに入りたいなら、カンガルーの養子になるとか。しかし、大家さんは大変だろうなあ。

  • 投稿者 | 2020-11-20 23:36

    とぼけた問答しとらんで、はよ警察呼びー! と最初は思ったが、「私」が祐一の部屋が完成するのを楽しみにしていることに途中で気がついてゾッとした。母胎に還りたがる祐一よりも、表面的には常識人ぶったことを考えつつ部屋に執着し続け、最後は部屋が完成しても満ち足りない「私」のほうがはるかに怖い。どこか座間の事件を思い起こさせるところがあって、いやにリアルだった。

  • 投稿者 | 2020-11-21 12:18

    部屋に母胎を再現する……やばい前衛アートの闇感が良かったです。どこまでもグロテスクな話をここまで読ませるということに高い技術力を感じます。

  • 投稿者 | 2020-11-21 15:18

    たとえば初めて飲むビールが大方のひとにとっては苦いのと同じように、一度拒否反応を示した後は、それを通過して何かが降りてくるのを待つだけ。主人公が祐一のノスタルジアに感染する最後の一文を書くために長い拒絶があったのだと感じました。

  • 投稿者 | 2020-11-21 15:41

    読み手の想像力に訴える旨い描写です。アイキャッチ画像の赤黒さがそのままイメージになって読後に残ります。主人公がいろいろ理屈を述べて否定すればするほど、魂はどんどん「部屋」に惹かれて行く様が不気味にリアルに表現されています。匂いまでが漂ってくるようです。
    藤城さんが指摘されていますが、私も座間の事件を思い起こしました。
    胎内記憶が残っている(と称する)人がまれにいますけど、胎児は外界の音をちゃんと聞いているし、母親の情緒に鋭く反応するようです。祐一が覚えているそれは幸福なものだったのでしょうが、胎内記憶を絶対視して人を殺めるというのは、新手の反出生主義なのかなと思いました。

  • 投稿者 | 2020-11-22 00:12

    これは語り手である「私」が最初から気が狂っている可能性があるので、「私」の見た光景はすべて歪んで伝えられているのかもしれないなあと思いました。「私」のいう「切実な望郷の想いを叶える」とは理想郷を追い求める事とどこか似ていると思い、それには際限がなく、永遠とも思えるその道のりのなかで気が狂うのは必至のことなのかもしれないなあと思いました。

  • 投稿者 | 2020-11-22 00:25

    まったく個人的な印象です。
    本当にその「部屋」が子宮を模しているなら、子宮は確かに一時的に戻る場所であっても、やがてそこから出て行く場所でもあるので、その内出てきたくなるのではないかなと。
    もしいつまでも留まる場所なら、きっとそれは別の何かではないかと思います。

  • 投稿者 | 2020-11-22 13:05

    暗闇を前後確認しながら進むような文体に好感をもちました。ある種の宗教にハマっていく過程のようにも思いました。「私」が彼を羨ましく思ってしまった部分に共感しきれなかったのですが、これをあらゆる読者に共感させられたら、いよいよ危険な小説だな、と思いました。

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