はじめに

「治療」

Hospitality（歓待）とHostility（敵意）が僕を同時に襲うので

僕はHostage（人質）にでもされた気分だよ

でも気球ほどの巨大な僕の目が上空から僕らを滑空グライダーで舐める。映像。純粋性動画。いや、グライダーは語弊がある。目玉は気球よろしく浮いているのだから。目玉がスキャンする対象はいま、垂直と水平のラインをそれぞれ五本以上組み合わせて攻撃してくる。そうなると、僕はもうわからない。でこぼこ。でこぼこ。ただの四角、つまり立方体ならこちらは余裕でスキャンできる。だが升目……。だが図形……。結果、マップは完成しない。その建造物は僕の力など必要なく、土にわずかに沈みこみ、存在。しかもそれに加えて斜め四十五度の角度の線を含んだペイントまで表面に、ああ、それがタイル貼りの模様にされていてはもう僕は太刀打ちできない。そこまで複雑なものは僕の目で見ては脳内に再現できない。ただまだ思い込みの段階。でも僕には本当のことのように思えた。建物の全貌は消えていく。なぜなら巨大な目は今やスキャンをあきらめて僕の本来の目に戻り、そして当の僕はその建造物自体の中の部屋にいるからだ。目はこうして巨大化する、気球大化する。それが僕にとっては当たり前なのだ。耳？　耳は頭の左右、両脇にあって、ラジオ放送と隣の部屋の音をずっと聴いているよ。耳は大きくならない。気球大化しない。当り前じゃないか。身体の一部が大きくなることってある？　性器や乳頭以外で？　僕は部屋にいる。僕のマッチ箱はずぶ濡れて、一体いつ、このような劣悪な労働環境（びしょびしょの僕のシャツの胸ポケの中）からマッチ棒くんたち、言ってみれば無数のジミニー・クリケットたちが、本当に一体いつ逃げ出していくかもわからない。そんな想像。胸ポケの中の妄想。ベッドで起き上がる僕。いつか誰かに尋ねてみようか。僕ら、あるいは僕は、一体なんの治療を受けるために、ずっとこんな建物に閉じ込められているのかってことを

まるでモン・サン＝ミシェル、浮かぶ小島に築かれた修道院。「西洋の驚異」に登録された。なんのこっちゃ。おそらくだけどあの目自体が一般生活において法に触れるため、つまり僕が悪の華を咲かせた罪業により、僕らのこの場所に閉じ込めた。僕（ら）の悪の華とは何？　閉じ込められたらそれはやっぱり、囚人的感覚にもなる。けれど僕らは病人的感覚で考えるほうがいいのだ。あの目、というのは先ほどから言ってる、僕が時たま感じる気球大の目。大視症とも呼べる不思議の国のアリス症候群にも似ているが、どちらかというと監視の妄想の一種だと思っている。セルフ監視。の妄想。今その目は僕のもとへ帰ってきていて、僕の記憶の反芻のためにその黒目を内側に向ける。つまり、ある日の昼まで巻き戻しされ「モラトリアム煙草」が大声を張り上げるのを無視するために、僕は何遍も仕方なくここ、この部屋で、先日の回診で医者の言った言葉を引用することになる。医者はこう口にした――

「私たちもあなたを治療しているのだから

そこであなたが煙草をやめぬのなら

私たちのしていることは一体

な、な、な、なんなんだということになるんですよ……」

ベッドに腰かけた僕と目を合わせた時からもう怪しかったが、僕があからさまに胸ポケから取り出したマッチで火をつけ煙を吸って吐いてやると、そののち、その途端、堰切って、医者は大粒の涙。冷静さを失って、カラカラ演技はもとより吹き飛び、治療者としての、患者に対する冷徹な作戦・泣き落とし作戦は失敗――

「治療が病気に追いつかないんです。追いつかないんです！　アー、アー、アー！」

そしてただの滂沱と化す。ぐしゅぐしゅ――

「アー、アー、いったい、ぜんたい、な、な、なんなんだ、ということに、なるう！」

喚く医者がじたばた駄々を捏ねるのを脇から看護師がハンケチで慰める。香水のしみ込んだハンケチの香りを嗅いだ医者はまたぐら付近の性的反応も隠さない（テント（テント！

ティキティキ。それならば売店などで煙草のたぐいを売らねばよいのに。廉価版ニコチンパイプ「マザーズ・ステップ」がここにある売店には並んでいるのだ

でもまあ、僕はそれに手を出さなかった。僕は僕のお気に入りを大量に部屋にストックしてあったからね。ここへ眠らされて連れてこられる時、僕はお気に入りの煙草を大量にたまたま持っていたから。買い物の帰り道だったんだ。きみがスーパーに猫の缶詰を買いに行くようにね。だから購入品の煙草も（あとは野菜。もう腐っちゃったから捨てたけど）、一緒にここへ攫われてきたってわけ。ちなみに僕のは「マザーズ」でなく「ブラザーズ」のほう、「ブラザーズ・ステップ」ね。そして医師の前でもう一度、僕は素知らぬ鼻穴から煙を吐いたんだった

そんな記憶のほうを向いていた目が内側から戻ってくる。ぐるん。マッチの入ったシャツはびしょ濡れている。灰皿もシンクで水浸し。やっぱりもういい加減、禁煙だろうか。台所はＩＨだから、火種になるものはもうない。覚悟を決めていくつかの煙草の残りもすべて濡らしてしまおうか。さっき吸ったのが運命の最後の一本だったのだ。僕のマッチ棒はびしょ濡れ。胸ポケットまでびしょ濡れて僕は煙を吐く。だが言っておくと、けっして間違っても、お医者に同情したから禁煙という指示に従うのでないよ。びしょ濡れの僕の姿が誰かに見られたら？　それはそれは恥ずかしい。それじゃ医者と同じ姿だから。医者は涙でびしょ濡れ、濡れネズミ。知能が高いのに気が弱いからすぐ泣くのだ。だが、僕は泣き落としには屈しない。医者の全員がこんなふうな人物だというつもりは勿論ないが、僕の担当医の幾人かのうち、こんな感じにいつも事が進むのは、だいたい三分の二といったところだ、みんな泣き喚くか、それを必死で我慢して大声を発し、偉ぶる態度をとっている。それかもしくは患者に（つまり僕に）性的興奮を覚えている。本当は女性看護師の香水ハンケチなど眼中にないのだ。僕も、まあ頼まれれば手でしごき上げてはあげるよ、治療の一環だからなどと言われなくてもさ、イクときだって、先っちょに口をつけて飲んであげるよ、それが本来の医師と患者の関係なんてものではない、出鱈目なものだと分かっていたとしてもね

まあ、比率的にこんなお医者は案外多いのかもしれない。そう、僕はいくつかの科にまたがって診察を受けているのだ。いくつかの病気が併発しているのかもしれない。……僕は多分、無意識のうちに煙草をやめるために、ポケットのマッチごと、着ているシャツをびしょ濡れにさせられたんだろう。さっきされた注射の薬剤が僕をそうさせたのだと睨んでいる。はたしてこの推測はどうか

――喫煙（煙草）について

喫煙は血管を収縮させて血圧を上昇させ、動脈硬化を促進しますよ。喫煙により脳卒中による死亡率は二～四倍増加しますよ。軽い煙草に替えても効果は期待できません。五～十年の禁煙により脳卒中の危険は低下しますよ。少しずつ本数を減らしても禁煙は難しいとされており、完全に絶つことが大事とされていますよ

「予防には煙草を止める意思を持て！」

ほうら、こんな戯言を口走るってことはやっぱりあの冷たい薬剤が脳に何らかの働きかけをしたんだ。ティキティキ。僕は部屋に取り付けられたラジオのスイッチをひねる。「さて、次は国産ロケットについてです。こうしたなか、明日打ち上げられるのが――です。運搬可能のダンスを数トン、積荷として打ち上げコストは半減。お値打ち価格にてベンチャー企業で研究開発が折衝。考え得るうえで象徴になっている雪が、一世紀のあいだ射精を控えた結果、多くの家が建ち並び、二重のイルカの願い載せていま、拍手。喝采。待ち望み涙。お話お聞かせ願ってもいいですか？　はい、そうですね考えてみれば贅沢な職場かも知れませんよ、降り積もった雪がライトを浴びて見えるんですから。いやー。きれい。きれい。光ってる。光ってる。夜景もイルミネーションも、あと雪があると一層魅力を増します。ありがとうございました、次の人に声をかけてみましょう。あ、ぼく、ねえ、ぼく。ほら、こんなお子さんまで観に来ています。ぼく、ねえ、きみはそれ出店で買ったの、それ、ホットドッグ。一人で全部、食べられるかな？　いやー。きれい。光ってる、光ってる。いや、あんたはもういいから。うん。美味しい食べられる。そうですかー。はーい、元気な子供たちもいっぱいです。以上、打ち上げ基地に集まった人々の様子でした」

僕、ラジオをオフる。ティキティキ。天然幽霊入りガーデンクォーツを、僕の目が、舐める。さっき抽斗から取り出したのだ。いつ眺めてもいい感じ！

ガーデンクォーツ

こぶし大の水晶

僕の昔からのお気に入り

水晶の中にドライフラワーの欠片が細々と閉じ込められているかのようなガーデンクォーツ。大事にそれを巾着袋に入れて、ベッドの脇の鍵付き抽斗に戻す

「庭園水晶」。別名「幽霊水晶」と呼ばれ、「向上心の発揚」「解放感の高揚」などの効力があると信じられてきた。また、「心臓循環器機能の強化」「リラックス」「緊張からの解放」「不眠症の解消」などの効力があると信じられている。なーんかスピリチュアルだけども、こればっかりは僕、信じるよ。心の内面を落ち着かせ、深い癒しをもたらすという。硬度：七。その名前は水晶の内部に他の鉱物が入り込み、それがまるで景色や、庭園のミニチュアのように見えることに由来。ティキティキ。日本では「苔入り水晶」や「草入り水晶」とも呼ばれたり。一つとして同じものがないのはいわずもがな

つるつると水晶を滑空。僕の部屋で目が、通常の大きさの目が。水晶つるつる。その後、ベッドで午睡。リラックス。夜の睡眠に差支えのないように。僕は閉じ込められたこの場所で、夢見る！

ティキティキ

保険限度額適用認定証

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当院で手続きできます

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自署の場合は押印を省略できます

医療費が高額になる場合

窓口でのお支払いが一定の金額までとなる認定証を交付します