rain on you

掌編奇譚(第1話)

吉田柚葉

小説

1,753文字

台風でひまなのでブンゲイファイトクラブごっこをしました。

台風が来ているので妻と外に出た。

 二日前にツイッターで見た、「地球史上最大規模」という前評判のキャッチーさに惹かれ、はなし半分に信じてみることにしたのだが、二〇一九年一〇月一二日の奈良県奈良市にあってそれはまったく肩すかしも良いところだった。二人は午前午後と部屋でユーチューブ動画を見てすごしたが、夕方にさしかかり、大雨洪水警報が出た五分後に我々はマンションを出た。徒歩で駅近のスターバックスコーヒーに向かった。

 小雨だった。なので、我々がつきあいたての頃に奈良公園近くで買った巨大な傘も妻のお気に入りである花柄の傘も出番がなかった。

 町は息をひそめていた。

 人の往来はなく、道路に車は少なかった。古い酒屋も、個人経営のクリーニング屋も閉まっていた。俺は、つい二週間前に発表した電子書籍がいつもどおり売れていないことを妻に報告した。妻は俺の書いたものを読んだことがないため、普段はこうした話題は控えるのだが、今回の小説は妻の体験をもとに書いたものだったので、話題にしても少しは食いつきが良いのだった。

「そう」

 と妻は言った。それでしまいかと思ったが、おもむろに妻はつづけた。「宣伝してないからじゃない」

 俺はうなずいた。そうして、「やっぱり小説なんて作者読者双方に手間なものをやるより、ユーチューバーになる方がいいと思うんだよな」と言った。同じことを三ヵ月くらい言っている。だが、三ヵ月前よりも真剣の度合いはずいぶん増していた。

 スターバックスに到着した。客はまばらだった。

 持参したタンブラーに珈琲を淹れてもらい、入口近くの席に着いた。妻は、なにやらややこしいものを注文したらしく、しばらくカウンターで待ったのち、クリームが乗ったカップを持って俺の目の前に座った。

「少し雨が強くなったみたい」

 と言って妻はややこしいものを飲んだ。俺はTシャツで眼鏡を拭いていた。

「警報が出たからね」

 と俺は言った。

「警報が出たのに、あなたは外に出ようと言ったのね」

 俺は眼鏡を掛けた。そして珈琲を口に含んだ。外に出ようと言ったのは妻であった。で、準備に一時間ほどかけ、さあ出ようというときに警報が出たのである。ばっちり着飾った妻を家にとどまらせておくことなんぞなんびとにも出来ようはずがない。

 が、俺は、

「ああ、悪かったよ」

 と言った。そう言うほかなかった。

 雨風が窓を叩いた。我々に会話はなかった。俺はいたたまれなくなり、トイレに行くと言って、スターバックスを出た。駅に隣接する店内にトイレはなく、用を足すには駅内に入らねばならないのである。

 トイレの近くに初老の男がいた。シャツにネクタイを締め、スマートフォンで通話しているらしかった。

「ああ、はいはい、そうですね、それはでも、仕方ないですね、はい、はい、それはユーチューバーさんは悪くないですよ、はい、はい、しょうがないね」

 と大声で言っている。

 俺は店内に戻り、そのことを妻に話した。が、妻はまったく関心を示さなかった。ただ一言、

「嘘でしょう」

 と言うばかりだった。俺は珈琲を飲んだ。

 少しして、妻が立ち上がった。先に帰ると言った。だが、外は嵐である。俺は彼女を引きとめた。今は駄目だと言った。頭がおかしいのではないかとも言った。つまり口が滑った。

 妻は何も言わず、俺の持ってきた巨大な傘を持って外に飛び出して行った。

 しばらく俺は珈琲の入ったタンブラーとむきあった。駅からマンションまで徒歩十分圏内なので、ひょっとするとすでに妻は家に着いているかもしれない。だから今から慌てて彼女を追いかけても、関係修復の役には立たない。ほんの数分間の空白が、今日もまた、いのちとりになってしまったのだ。

 次の瞬間、店の自動ドアが開いた。

 入ってきたのは、さきほどトイレ近くで見た初老の男だった。男は注文に行かず、俺の近くの席に腰を下ろした。そして、

「まったく、とんでもないことになってしまった」

 と沈んだ声で呟いた。そして、「なんで台風なんか来るんだよ」とつづけた。

 雨風は、毎秒ひどくなっているようであった。

 珈琲をちびちびと飲みながら俺は、ひょっとすると妻は、自分のことを小説に書かれたのが厭だったのではないかと思った。

俺はタンブラーのふたを閉めてそれを鞄に入れると、妻が置いていった花柄の傘を手にして嵐の中に飛びこんだ。

2019年10月12日公開

作品集『掌編奇譚』第1話 (全12話)

© 2019 吉田柚葉

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