岡本尊文とその時代(十二)

岡本尊文とその時代(第12話)

吉田柚葉

小説

4,328文字

二〇一一年、宇宙の法則はインターチェンジしました。

翌日、フォーラムの出席を諾する旨の電子メールを宮崎氏に送信した。五分と間を置かずに、感謝を綴った文面が返って来た。

その明くる日には、amazonで注文した本が届いた。更にその次の日には、身に覚えの無い段ボールが届いた。宮崎氏が送って来たものであった。それは、『晴天の会』に関する資料であったり、気学に関する本であったりして、中には私が買った本と重複するものも含まれていた。しかるに私は、原稿執筆や大学での講義準備等の合間を見てそれらに目を通した。が、当然ながら走り読みで理解出来るものでは無かった。加えて言えば、『晴天の会』の教えは、「気学」をベースに、「すべての哲学の原点」である「仏教」と、「宇宙と臨場感を共にする」とされる「引寄せの法則」を複合したものであるらしく、その複雑さは迷路を為す。が、それでも頗る興味ふかく感ぜられる所以は、氏が著す文章の力に在るものとおもわれる。

 

  二〇一一年、宇宙の法則はインターチェンジしました。「行動学」の時代が来たのです。ほんの十年前までは、国民の生活に「平均」というものがあり、誰かがそこから落っこちそうになれば、他の誰かが手を差し出して、助けてあげることが出来ました。しかし今は、そうはいかない。落ちてしまった人間を助けてあげることは、もう誰にも出来ないのです。落ちた者は、自分で這い上がって来るしかない。良い・悪いではなく、そういう時代なのです。(猪原誠一郎『「気」に合わせる――宇宙を味方につける方法――』)

 

この猪原の著作は、『財団法人晴天の会』発足から二ヵ月後の二〇一五年一〇月に刊行された。冒頭から読者の不安を煽動する文章である。「良い・悪いではなく、そういう時代なのです。」と云う一文からは、尊文お得意の断定的なレトリックを見て取る事が出来るが……、果たしてどうか。この先を読めば明かなのだが、本書は、丁寧な「引寄せの法則」指南書、或いは明晰な自己啓発本として実に完成度が高く、尊文の小説やエッセイに見られる、ある種の「あいまいさ」とは殆ど無縁の文章なのである。

例えば、

 

  少し仏教的な物言いになりますが、真理と言って良いことなのでどうか聞いてください。物事に良い・悪いはありません。もっと言えば、「すべて良い」のです。「悪い」と見えることは、すべて我々の価値観に拠っています。ためしに今日起きた「悪い」ことのマイナス面とプラス面をノートに書き出してみてください。案外、「悪い」ことにもプラス面が多くあることにあなたは気づくと思います。(第二章「『中庸』を身に着ける」)

 

 或いは、

 

  我々の「思考パターン」は、まず以て十七歳までに形成されます。つまり、十七歳を超えてしまえば、「思考パターン」を変えることは出来なくなるのです。たとえば、仮にあなたが今、もっと多くの収入が欲しいと感じていて、しかし現実に理想の十分の一の収入しかないとしたら、幼い頃に親から言われた「お金はたくさんの人が触ってきたものだから、汚いものなんだよ。」なんていう言葉があなたの深層心理に働いているからかもしれません。あなたはどこかで、「お金は汚い」、「自分はそんなに大量のお金を貰うことに適した人間ではない」という風に感じているのではありませんか。あなたの願いを叶えるためには、そうした「負の思考パターン」を解消させないことには仕方がありません。しかし先に述べたように、それは何十年にも及ぶ人生の中で凝り固まってしまった「思考パターン」であるため、完全に解消してしまうことは残念ながら不可能です。可能なのは、「思考パターン」を形成する過程に立ち返って、あなたを癒してあげることだけです。しかし、これはすこぶる効果がある。この章では、「インナーチャイルドを癒す」ということをお伝えします。(第三章「『感情』を感じきる」)

 

 或いは、

 

 

  心地良い流れを引き寄せるのに、最も簡単で単純な方法を提案させて頂きます。本当に簡単で、単純で、しかし抜群に意味のある方法なので、是非とも実行してくださいね。

 

①まず、あなたの一週間の生活リズムに組み込まれていることの中で、「気持ち良い」と感じるものを想像してください。

②その日のうちに、その「気持ち良い」ことを叶えてください。

 

以上です。

この「気持ち良い」ことは、何でもかまいません。もしあなたがコーヒーを飲むことが「気持ち良い」と感じるのならば、馴染みのカフェのソファーに腰かけ、コーヒーを楽しむあなたを想像すると良いでしょう。このとき、出来る限り臨場感を持って、リアルに想像してください。一〇〇パーセント楽しんでください。

それから、くれぐれもこれだけは忘れないでいただきたいのですが、その想像したことは必ず実行するようにしてください。

このような、小さな「幸せの想像」→「叶う」の積み重ねが、大きな心地良い流れを創り出すのです。(第六章「宇宙の応援を借りる」)

 

語り口は柔らかい。内容にもしゃちほこばった処が無く、手軽に実行出来るものばかりである。白状すれば、第六章を読みながら私は、知らず知らず湯船に浸かっている自分を想像してしまった。そしてその事により、頭の濁りが幾分マシになった気がした。私は自分を恥じた。が、それだけ吸引力のある本だと云う事が出来そうである。それは、ともかくも内容が詰まっているからであるが、一方で、文章の力が担う部分も大きいとおもわれる。しかしその筆力の拠る処が、尊文にあるかどうかは、一読した限りでは断ずる事が出来ない。『2017年の過ごし方』を読んだ際には確かに見られた「尊文」の指紋が、ここにあっては綺麗に拭い取られていると見える。

してみると、ここからは奴のけはいを感じ取る作業に相成るわけだが……、いや、確かにここには尊文が居るような気がするのである。具体的に、ここ、と云う一文や表現を指摘する事は無理だが、一応は尊文の書いたものに一通り目を通した「専門家」の目を以て判定を下すとすれば、間違いなくこれは尊文の文章である。殆ど山勘でしかないが、それでも自信はある。なるほど確かにここでは尊文の文体らしい特徴が綺麗に削り取られていると見える。しかしその削り方に、例えば件の『hip hop が好きで何が悪い!?』に近いものを感じるのである。

 

  ヒップホップミュージックのリスナーは、総じてプライドが高い。端的に言えばジャマくさい奴らだ。大体が、ヒップホップが黒人が始めた音楽ジャンルだということもあり、何か政治的な意味を含んだ、メッセージ性の強いものだと思い込んでいる感じがアリアリなのだ。まぁそう言っても、日本でヒップホップをやるとなると、まさか差別問題を全面に押し出すわけにはいかないし、ラッパーにはわりあい高学歴が多いということもあり、つまりハングリー精神に欠けたボンボンなので、エロかったり下品だったりすることを「歌う」よりは「喋る」に近い歌唱法で単調なリズムに乗せているだけ、というのが日本のラップミュージックシーンの現状である。もっと言えば、ラップをやる、というのは、「自分には音楽の才能がなくて作曲もアレンジもできないけど、それでも音楽をやりたい、歌を歌いたい」という意味合いが強いのであって、その開き直りから、ラッパーはやたらとオラつくのだ。そしてそのリスナーも、ラッパーの堂々たる振る舞いにしびれて、同じようにオラつくのだ。しかし勘違いしていただきたくないのだが、そういうところが、わたしは好きなのである。まずはそんな宣言からこの本を始める。(『hip hop が好きで何が悪い!?』)

 

これまで、「指紋」と云う言葉をして尊文の文体に言及してきたが、もう少し具体的に氏の文体の特徴に就て触れるとすれば、端的に言ってそれは「反語」である。一読して、褒めているのか貶しているのか判然としないし、途中までは確かに貶しているらしいが、最後まで読むとどうも褒めているらしい……、しかしその褒めている部分は一般的に見て褒められる類の処ではない、と云うのが尊文の批評の基本構成である。たとえば、二〇一三年の群像新人賞を受賞した尾形陽介『エンドレス・ワルツ』の選評で尊文は次のように書いている。

 

  どこからどう見てもヘタクソな小説である。文章もコキコキしていて、読みづらいことこの上ない。しかし読み手が腹を決め、この歪な文章にじっくりと付き合ってやると、これが案外な吸引力を有した文体であることに気づくだろう。そうなるとしめたものだ。もう文章の良し悪しなんぞいう小説の入口付近のゴタゴタなんぞどこ吹く風、なに、つまらんことである。しかるにこの、「この先に何かある」という予感一つで読者を引っ張ってゆく力は認める必要がある。当然と言えばあまりに当然の技術であるが、当然のことが出来るということを低く見るのは素人のやることである。すなわち、わたしは今、一応は長年小説を書いてきた、ある種の「小説のプロ」の目を以て発言している。

 

念を押すが、これは褒めているのである。『エンドレス・ワルツ』の文章は「コキコキしてい」て「読みづらい」が、それがために「案外な吸引力」を持っており、読者の期待感を煽る、技巧的なものであると、褒めているのだ(ちなみに、私もこの選評を受けて『エンドレス・ワルツ』を読んでみたが、尊文のような感想は持たなかった。ただ下手なだけだと感じた)。

この事を踏まえた上で、『「気」に合わせる――宇宙を味方につける方法――』を読んでみよう。すると、「しかるに」や「すなわち」と云った、尊文特有の古風な語彙は綺麗に削り取られているが、幾つかの「反語」的表現が散見することが判る。「はじめに」に於ける「良い・悪いではなく、そういう時代なのです」と云う表現は勿論のこと、「第二章」に於ける、物事に「良い・悪いはない」と言い切った直後に、「もっと言えば『すべて良い』のです」と繋げるレトリック、或いは、「第六章」に於ける「本当に簡単で、しかし非常に意味のあること」だという念の押し方……、いずれも、「尊文的」と言える。

が、これは一寸無理やりな感じもする。こんな程度の推理では、結論ありきのこじつけとのそしりを免れられない。このくらいのレトリックは、一般的に広く使われるものだし、実際、『「気」に合わせる』には、尊文のお家芸の如きあざとさは見られない。だからやはりこれが尊文の文章だと論証するのは、如何にも困難なことなのである。それはそうなのだが……。

2019年5月15日公開

作品集『岡本尊文とその時代』第12話 (全36話)

© 2019 吉田柚葉

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