ある日、智は考えていたのです。なぜこんなにも雨が冷たいのかと。体を打つ雨は針で刺されるように、金属の痛みを肌に与えます。
それは冬だからでしょうか。だからとても冷たいのでしょうか。と自分の心に問いただして見ましたが、心の中の神様は、違うのだよ、と一言だけ頭を振ってお答えになりました。
「神様、僕はとても辛いのです。雨は傘を指せば防げますが、心の中の雨に対してはとても無力なのです。僕はとても辛いのです」
「智よ。お前の心に降るのは雨ではない。雨ではなく、もっと別のものなのだよ。よく見てごらん。それは本当に雨かな?」
智は空を見上げました。これから夕暮れに差し掛かる時刻ですがカボチャの身のようなオレンジ色も、分厚く覆われた雨雲に遮られて見ることはできません。それでも智はその上にある夕焼け空を想像しました。
でも、それがかえって智の心をいっそう寂しくしたのです。いつの日か、お母さんと手を繋いで歩いた帰り道の空も熟したカボチャの身のようなオレンジで、智の心に焼け付いています。
幼稚園か小学校の低学年の頃でしょうか、お迎えに来たお母さんの温かい手を握って、集団登校で通った道をお話ししながら帰ります。その時にその日の晩御飯の話をするのです。智が給食の献立がなんだったのかを伝えると、お母さんはそれに合わせて智の好きなものを用意してくれました。テレビの番組を見ながらお父さんも加わって食卓を囲み家族でご飯を食べて、そしてお風呂からあがってふかふかの布団に入ると、いつも夢の中でした。幸せに満ちた日々、でももう、それは訪れない日なのです。あの帰り道も今では殆ど通ることないし、風景も大きく変わり、春の花粉の風も夏の蒸した風も秋の渇き始めた風も冬の冷たい風も、もう感じることはできません。言われなければ同じ道と分からないくらいに、登下校の道も様子が変わりました。最後に通ったのは何時だったろうかと智は思い返します。
ポツポツと降る雨は次第に落とす水玉を増やし、智は目を閉じました。瞼の上を水玉はノックし、それはまるで智に現実に戻るように知らせて、もしくは警告しているようにも思えるのでした。
智はとても悲しんでいます。
なぜなのか、そしてどのくらいなのかは、智本人でなければわかりません。ただ言えるのは、相反する物が迫ってきた時、人はとても驚き恐れおののき、そういったものの積み重ねが人の心に古代の地層のようになってトラウマを作るのだろうとではないかということ。智の心の雨は、おそらくそういった類いのものなのかもしれません。
智はお母さんが好きでしたが、それと同じくらいにお母さんに恐れを持っていました。子供の無邪気さは可愛いのですが、時としてそれは大人をとても豹変させるきっかけであり、智のお母さんはそれを智本人に見せていたのです。死を見せようとしたこともありましたし、泣き叫ぶ智を追いかけ回したこともあります。
そういったそれぞれが智の心に堆積してバームクーヘンのようになったのだろうと、心の神様は知っています。ですがそれは智には分からないものでした。
「神様、やはり僕にはわかりません。雨は雨でしかなく、体を濡らすだけです」
「そうか、まだお前にはわからぬか」神様は少し寂しそうに頷きました。自分で気付くことが出来ないと、言われても分からない物なのです。聞かされても理解しがたいものでもあるのです。
時が来ればそれが何か分かる日が来るし、お前の心の雨雲に一筋の光が差し込む時も来るだろう、といって神様は優しく微笑みました。智にはそれがなんのことなのかよくわかりませんでしたが、神様の優しい微笑みと言葉を忘れないようにしようと、心に刻むのでした。
神様が智の前に現れなくなってから、何年の時が過ぎたのでしょうか。智はお嫁さんを迎えて、毎日が明るく楽しい日々が続いていて、そしてお母さんの元を離れ時々会うだけの関係になりました。それでもお母さんとの関係は切れかかった吊り橋のように、危ないバランスの上で成り立っています。
今でも時々、智の上で広がった雨雲は、ポツポツとにわか雨を降らせるのです。
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