「それは一つの失敗から始まった」
序章「暗き宿にて」
焔が渦を巻いて上へ上へと昇っていく。
その焔の姿は幻想的で…しかし、私たちにとって、それは一つの脅威でしかなかった。
何故なら、あたりを見渡せば家屋の残骸…もう面影もない、そして、ただ横たわり一向に動く気配のない私の家族…などが否が応にも視界に入り込んでくるからだ。
絶望的な光景を眺めている間に私は
「目を逸らすな」
ーーー嫌だ、見たくない
「過ちを認めろ」
ーーー私は、間違っては…
自問自答を繰り返し、…心の奥底にある…何かをもしかしたら認めたくなかったのだろう、その問いの全てを否定しようとした。
だが、
「ならば…これを」
「声」に促され私は指定されたものを見ようとする。
駄目だ…見たら駄目だ
体が心からの拒絶を無視して、勝手に動く。
見たら戻れなくなる!
そして、心の声とは裏腹に私は見てしまった。
その…人影を
違う。
私はもう気づいていた。
その人影の正体。
それは…未来、つまり、
私自身の腐食した死体、その物なのだと
「っ⁉︎…はあはあ」
私は覚醒し、上半身を跳ね起こした。
暗い。
私が先ほどまで寝ていたのはふかふかしたベッドの上だったらしい。
しかし、ここは何処なのだろう。
頭がぼうっとしていて、正常に機能していないせいで…思い出せないだけなのかもしれない。
私はそう思い、…首筋に触れた。
しっとり。
ひんやりとして少し濡れた感触。
ーーー冷や汗、か
私は…先ほどの「夢」かと思い至り、この年にもなってと苦笑した。
「っ…」
だが、その汗の所為で気がついた。
あの「悪夢」は偶像ではなく、現実に起こったあの事件の「再現」であることを。
「………」
ついで私はここが何処なのか、ようやく思い出した。五年前、東京から神奈川に引っ越した際に私が借りた宿舎の一室である。
私はベッドから降りて閉め切った窓…遮光カーテンまで閉めてあるので光は一切射し込むことはない…その窓際にある机に向かい座り、電灯をつけた。
そして私はペンを手に原稿用紙に書き記し始めた。
今から十五年前、私自身の「失敗」から始まり、復興後の現在もなお解かれていない、しかし、私だけが知る…
ーーーあの怪事件の「真実」を。
一章「暗がりの中の己」
日が眩しい。
もう夏は過ぎ、すっかり秋空になったが、まだ、日が照りつけると若干気温が高く感じる。
私はそんな今日、新宿を歩いていた。…片手に原稿の入ったファイルを持って。
そして、私はある編集部の前に立ち、眼を瞑った。
(緊張するなぁ…)
書いた原稿を投稿して二ヶ月後、小説家デビューして以来、加筆修正で丸一ヶ月ほどかかり、作成した原稿を持ってくるのは今日が当然初めて。
ある人から聞いたのだが、「一発OKはほぼ少数、だけど一発OKがもらえる人は確実にいい波に乗れるはず」らしい。…つまり、今私が手にしている原稿をどう評価されるか否かで自身の小説家としての将来があらかた決まってしまう、ということなのだろう。
だとするなら、緊張するのは当たり前だ。
「よし…行こう」
私は覚悟を決め、…その編集部へと入って行った。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「ふう…。…あとは呼ばれるのを待つだけか」
私は喫茶店の窓際の席に座り、外の景色をコーヒーを飲みつつ、眺めていた。
「しかし…なんで嫌そうな顔してたんだ、あの編集者」
私は編集部での出来事を思い出しつつ、眉を顰めた。
数時間前、私は受付を通じて、編集部へと入り、そこで担当の編集者に会った。
私は流れ的にその人に原稿を取り出し渡したのだが、…その受け取った方の表情は露骨に嫌そうな顔つきだった。
しかし、手際は良く、「一週間後に」と言われて帰され、モヤモヤした感じが抜けずに今に至るわけなのだが、
「何なんだろう…正直全然分からない」
手渡し方が悪かったのだろうか、それとも原稿にちょっとしたシミ…もしくは皺が寄っていたのだろうか。
いや、昨日から徹夜で原稿を仕上げたがその辺は細心の注意を払っていたはず。
ならば、私には少しも非がないのは確実だ。
だが、あの編集者は…。
「……あ〜、もうやめやめ。…考えるだけで頭が痛くなる」
ぶんぶんと首を左右に振り、一服とばかりにコーヒーをグイッと飲んだ。
「熱っ⁉︎…げほげほ!」
勢い余って多めに口に含んでしまったらしい…咳と同時にコーヒーを少し吐き出してしまった。…ジーパンが少し黒く染み付いている。
「熱ち…。…はあ、やっちゃった…」
ため息をつき、私は手拭きを店員からもらうと、ジーパンについた黒いシミを拭い、カウンターで代金を払うと喫茶店を去った。
帰宅途中、私は少し寒く感じて空を見上げ…
「あーあ、今日はいいことないなぁ」
と苦笑した。
空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうなほどくろずんでいた。
帰宅後、玄関で靴を脱いで、揃えると私は家族にただいまを言うこともなく、階段を上がった。
そして、そそくさと自分の部屋に閉じこもり、ベッドの中に潜り込んだ。
すると、まだ夕方だと言うのに瞼が重くなり、私はその日、眠りに落ちた。
私は朝起きると、妙に何かが足りないという感覚に囚われた。
その何かは分からないが私は机の引き出し、ベッドの下、カバンの中を探しても見つからない。
だが、長いこと探す間に明らかに足りないものは確認できた。
手帳だ。
その手帳には小説を書くのに必要な構成そのものが記述されている。
これがなくなっては、来週に困る。
「……うう…、どこにあるんだ?」
私は半泣きになりながらその手帳を探した。
それから1日かけても見つからず、私は焦燥の念を胸に、次の日、また次の日とバイト終わりに探し続けた。
だが、一週間経っても一向に見つからなかった。
そして、当日。私は電話で編集者に呼ばれ、その彼のもとへと向かった。
「こんにちは、向井涼さん」
そう微笑みながら、編集者はあいさつするが、「眼」が笑っていない。…その眼だけを見ると私に対する嫌悪感が感じ取れた。
私は感情を表に出さないよう、必死に沸き立つ憤りに耐え、
「こんにちは、川谷さん。…本日はよろしくお願い致します」
と上手く作れているかと心配だったが、強引に笑みを浮かべた。…今思えば、私の作り笑いなんて、歪なものだっただろう。…だが、この時の私は自分自身の感情を相手に悟られたくなかったのだ。
「では、そのソファに座ってください。…今、原稿と通知書をお持ちますので」
「はい」
担当に促されるまま、私はソファに座り、その原稿が通るのを願った。
そして、担当が向かいの椅子に座ると
「結果です」
通知書を私に手渡した。
私は期待よりも不安を胸に抱き、封を切り、中にある書類に目を通した。
最初に目に入ったのは「不採用」の3文字。
この時、酷く落胆したのを覚えている。
だが、それよりも…。
下記には…。
「……え?」
一瞬目を疑った。
あり得ないと。
これは夢なのだと。
…しかし…、
「はい、キャラクターの心理描写。…それから、最後の文章に少なからず粗が目立ちます。…結果として、ボツです」
冷静に分析、そして解説する彼の言葉がやけに遠く感じた。
「……」
私は無言で立ち上がり、原稿を受け取るとおぼつかない足取りで帰宅した。
階段を上がる途中、娘の声が聴こえたような気がしたが答えず、自分の部屋に閉じこもると
…膝から崩れ落ちた。
あまりのことに堪えきれなかったのだろう…嗚咽は出ない、……だが、涙は止めどなく溢れる。
「っ…ああああああああああああ‼︎」
私は絶叫し、通知書と原稿を床に叩き落とした。
衝撃で原稿の閉じた紐が切れ、原稿用紙がばら撒かれた。
「なんで…」
彼が指摘した箇所…それらは私自身のストーリーになくてはならない表現、…キーマンそのものだった。
それがなくなってはストーリー自体が成り立たなくなってしまう。文体、心理描写はインターネット他多くの情報媒体から研究し、オリジナリティーを交えながら、完璧に仕上げたはずだった。
だから私は…あの様に指摘されたのに耐え切れなかった。
…私自身の存在そのものを否定されたような気がして。
「なんでだよ…」
そもそもおかしい。
ならば何故、私は小説家デビュー出来たのだ?
あの作品の全てが気に入らないなら、デビューさせずに落選させればいい。
なのに何故、今になって……。
考えれば考えるほど、頭が痛くなる。
気付けば私は頭を掻きむしっていた。
目をかたく瞑り、負の感情が心を支配する為に身体が重くなる。
私は糸が切れた人形のようにベッドに倒れ、…暗闇の中に沈んだ。
第2章「影」
霧が深い。
前後左右どこを見回しても、白い霧で道や光が見えない。かろうじて足下は見えるが。
人の気配すら感じられず、彷徨い(さまよい)歩き、声を出しても返答がない。
ならばなぜ、「人の影」が霧に映っている?
一瞬、自分の影かと思ったが、自分のそれとは明らかに身長が小さく、10歳になりたての子どもに見えた。
私は訝しく思ったが、
「怖がらずに出ておいで?」
相変わらず人の気配は感じない。
だが、「影」に向けて、そう諭すように言った。
「行かない」
影はそう言った。
思った通りの言葉だったが、何故か大人のような低い声であった。
「そっか…じゃあ」
「でも、伝えるべきことがある」
私が何故こんな霧の濃い場所にいるのかと聞こうとすると、被せて彼女、または彼は言った。
当然、疑問符が脳裏に浮かぶ。
それは告げた。
「あなたは、明日。…とある占い師にあう」
一旦拍を置き、
「そして、それからは人生の転機だ」
と言った。
「どういうこと?」
そう訊くと、「影」は
「注意しても、はたまた関係のないものだと切り捨てるも、あなたの自由。…しかし、もうことは転がりだしている」
何故か頭が痛い。
耳鳴りもひどくなってきた。
影の言っていることが一つも理解できない。
私は思わず、頭を抑えた。
泥沼にはまるとはこういうことをいうのか、私は苦笑した。
意識が薄れてくに連れ視界が霞み、かつ、聴力も消えかけていく中で、
「気をつけて」
という影の言葉を確かに聴いた。
ジリリッ!
騒々しいアラームが鳴っている。
カーテン越しに太陽の光が射て、眩しい。
「うう…」
閉じる瞼に力を入れて、少し唸ったのち、私は上体だけ起こした。
「朝…か」
振動する目覚まし時計は6時半を指している。
私は少しだけ背伸びをして、深呼吸した。
「よし!」
その後ベッドから立ち上がり、部屋を出て玄関まで降り、散歩に出た。
ズボンのポケットには財布が入っていた。
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