痛むおケツがこれ以上ひろがらないように、そっと歩きながら坂を下り、宿舎へ戻る。真っ白いパイプベッドにうつ伏せになり、貰ったUSBメモリーに「舌読み」を試みる。
一舐めして、マイクロソフトの<PowerPoint 2010>で作成したらしいプレゼン用のデータが入っていることがわかる。ファイルのタイトルを「舌読み」するぐらいなら、そんなに疲れないけど、すべてを読むのはメンドくさそうだ。パスワードの解読は疲れるし、人間の認知神経とは異なるコードから構成されるファイルはイメージが安定しない。それにそもそも、USBメモリーは端子が小さいから、舐めづらいんだよな。
ぼくはうつらうつらしながら、情報を少しずつ読み取っていく。真っ白いシーツの上でうつ伏せになり、何日もかけてゆっくりと。
パスワードの解読に半日がかかる。それからやっと出会えたのは、『私の裸体考古学Ⅱ』という奇妙なタイトルのデータ。ファイルを開くと、一文字ずつ飛んでくる。やがて、「その女の部屋には全身鏡があった」という一文が完成される。文字通りの「舌打ち(クリック)」をするたび、一文字ずつ飛んでくる。一文が歓声するたびに休憩し、少しずつ読んでいく。
その女の部屋には全身鏡があった。
小さなワンルームマンションのユニットバスの扉を開けたところにある。
用途はすぐにわかる。
女は毎晩風呂から上がるたび、自分の裸体を眺めるのだ。
ナルシシズムへの嫌悪。
ただそれだけで、彼女の家へ忍び込むには十分だった。
深夜まで彼女が帰ってこないことはそれまでの張り込みで確認していた。
私はベランダに上がり、ガラスカッターで窓を切った。
つんと押すと、子供が不器用に砂を噛むような音がした。
指で鍵を開けるだけの隙間が生まれた。
鍵は軽く押しただけで従順に回った。
玄関に近い全身鏡へとにじり寄る。
突然、サムターンの回る音がする。
ドアが開いても、私はまんじりともしなかった。
「誰?」
女は一人暮らしへの闖入者に怯える気配もない。
むしろ、勝ち誇った風でさえある。
「あなた誰なの? 警察を呼ぶわよ!」
それよりも早く彼女のナルシシズムを破壊できるだろう。
確信は私に余裕をもたらした。
悠然と、すました顔で全身鏡を持ち上げる。
高々と、頭よりも高く。
私はそれを床に叩きつけてやった!
鏡面はひび割れ、いくつもの面にわかれた。
その一つ一つに女の顔が映りこんでいる。
複数になった女はおしなべて赤面していた。
ナルシシズムそのものの破壊。
その顔にあったいくばくかの自負は滅びていた。
「服を脱げ」
私が命令すると、女は怯えたようにおずおずと服を脱いだ。
傍により、わずかに出た腹の肉を掴む。
「や……」
女は媚びたような笑みを浮かべた。
一つ目のファイルが終わる。実体験だろうか? あるいは創作か? そんなことはどうでもいい。これは一篇の詩だ! シャイ谷への憧れが再び胸の奥に沸き起こり、そのままぼくは眠りにつく。そして、目覚めるとお菓子をかじってインシュリンを発生させ、『私の裸体考古学Ⅰ』を「舌打ち」する。
エドゥアール・マネの『草上の昼食』がアメリカで公開されたときのことだ。
一人の純朴な若者がその絵を切り裂いた。
彼を取り押さえた警備員たちはこんな言葉を聞いた。
「だって、この絵はあまりに淫らだから」
それは田舎者の戯言として聞き流すにはあまりに真実だった。
もしも、絵に書かれた男女が性交していたら、彼は許しただろう。
しかし、男は服を着ていた。
女は裸体だったというのに。
そして、ここが何よりも淫らなのだが、彼らは昼食を食べていた。
もしもそれが夕食だったら……
きっと、若者は許したろう。
この逸話はフランス人にアメリカの後進性を思い知らせもした。
が、同じような例はフランスにもある。
ラ・ロシエルというフランスの田舎町で、一人の少女が滅多打ちにされて殺された。
取り押さえられた男は言った。
「その少女は淫売なんだ!」
少女の遺体は司法解剖された。
少女は処女だった。
そして、白痴だった。
怯えた検死官は調査書に「多淫症」と書き込んだ。
女の裸体はどこでも似たような扱いを受ける。
ファイルは終わる。疲れ切ったぼくはまたコトリ眠りにつく。
やがて目が覚め、夢うつつのまま増インシュリン剤を齧り、『私の裸体考古学試論』を「舌打ち」する。もう舌が痺れはじめている。
私がはじめてその裸体をしげしげと眺めた女の名はジュリエット・ビノシュといった。
孤児院の大人が録画しておいたビデオをたまたま再生してしまったのだ。
まだ幼かった私は感激するよりもむしろ憤激した。
女には腋毛が生えていたから。
ビデオのラベルに書いてあった文字が、幼い私をますます苛立たせた。
『存在の耐えられない軽さ』
私の苛立ちは、子供らしい潔癖症ゆえではない。
これからの自分を永遠に縛るだろう裸体への欲望。
その罠にはまった自分の不甲斐なさ。
憤怒はその二つへと向けられていた。
ファイルは終わる。この逸話はぼくが聞いた話と一致する。ぼくが「女の裸に興味がない」と言ったとき、シャイ谷が熱っぽく話してくれた。とても気安い雰囲気の中での会話だったような気がするから、たぶん孤児院にいた頃のことだと思う。もっとも、そんな記憶が真実を保証するわけではないけれど。
なんだか、シャイ谷の詩を読んでばかりいるから、夢の中にいるような気分だ。つづいて『私の裸体考古学Ⅲ』を「舌打ち」する。舌はまだなんとかもちそうだ。
小アジアに住んでいたというアマゾネスには彼女たちだけの割礼がある。
右の乳房を切り取るのだ。
女だけの戦闘民族は、弓を引く。
乳房はその邪魔になるというわけだ。
それならば、割礼の儀式の前夜、少女は泣くだろうか?
私はその恐怖を想像するが、うまくいかない。
むしろ少女はその前夜、美しい月明かりの元に出るだろう。
水鏡に映る自分の風采を眺めながら、ゆっくりと右の乳房を撫でるだろう。
それはすべすべと若々しく、つんとしている。
彼女は誇らしくなるだろう。
戦うために失われる乳房を思って。
それでも、彼女には涙を一粒ぐらい零してほしい。
失われる乳房と、私のファンタスマゴリーのために。
ファイルは終わる。ぼくはまた眠りに落ちようとするが、最後の力を振り絞って『私の裸体考古学Ⅳ』と銘打たれたファイルを開く。が、それだけ舌触りが違う。プロパティの欄に「里崎喪々々に捧ぐ」とある。献辞? 正しい漢字表記は「桃母」だったはずだが……。これはわざと間違えたんだろうか? たとえば、桃母に死んでもらいたいというような?
退廃という名の動物園には人間の檻があった。
ゴリラやオランウータンの檻と離れているのは、人気の動物を分散させようという意図からではないらしい。ぽつんと中心から離れた、うら寂しい場所にあった。まるで、見てもらいたくないというように、ぽつんと離れていた。
檻には三頭の人間がいた。一頭は雌で、二頭は雄だった。三頭とも成人していた。雌だけ少し年嵩で、四十を少し回っていた。
便宜上、二頭の雄には名前が付けられていた。ネコとクソクイである。名前の理由でも説明しておこう。
はじめ、雄と雌の檻はわけられていた。その中に家族連れも含まれるだろう入園者たちが、とめどのない性欲を目にすることだけは避けねばならない、と運営サイドが配慮した結果である。他の生き物の交尾ならまだ滑稽味があるが、同類の交尾は見られたものではない。
しかし、事態は思っていたよりも悪くなった。
普通の動物の交尾頻度がオリンピックだとしたら、人間の交尾頻度は週刊誌である。二匹の雄は性欲を抑えきれず、衆道に走った。雌雄を隔てる仕切りはすぐに取り払われた。一頭の雄が立てる「おっほう」という喘ぎ声は聞くに耐えなかったからである。
そのときの役割から、雄の一方はネコと呼ばれるようになった。
アロロロ! 慌ててメモリーから舌を離す。頬がかあっと熱くなる。
「おっほう」は偶然の一致だろうか? あるいは、シャイ谷はぼくがハイエナに犯されている間、そばに隠れてこの文書を書いたのではないだろうか? それで桃母からぼくへ渡すよう手渡したのでは? すべては仕組まれていた? イタズラ? 里崎能力開発研究所に引き返すべきか?
それならそれで、この文書はぼくに読まれることを想定して書かれたということになる。あるいは、彼がぼくに対してどういう意図を持つのであれ、なにかメッセージらしきものを読み取れるかもしれない。
再び、ファイルを開く。
クソクイがクソクイと呼ばれるのはそのままだ。彼はすぐ腹を減らし、我慢できないときは仲間の糞を食べた。お腹の調子が悪いときは、クソにあたって下痢をした。
雌は一頭しかいなかったので、名前がなかった。雄二頭の名前も便宜的なものにすぎなかった。
三頭を一緒にすると、二頭の雄は生殖器をイチジクの葉で隠すようになった。彼らは葉っぱが風でめくれそうになると、慌てて手で抑えた。そして、ひどく恥ずかしそうに笑った。クソクイなど、たまたま迷い込んできた入園者が必ずため息をつくほど立派な生殖器を持っていたというのに。
その一方で、雌はいつも裸でいた。痩せぎすで小さな乳房をしていたが、むしろをそれを誇るように伸びをするのだ。たまたまカップルの入園者が迷い込むと、雌は二つの表情を使い分けた。男に色目を使い、女を威嚇するのである。どんなひどい男でも必ず誘惑した。
とはいえ、貪欲な雌にも一応の好みはあるらしく、若い男、とりわけ第二次性徴が始まったばかりの少年が好きだった。少年が一人でふらふらと迷いこむと、股を開いて見せつけた。少年がその可愛らしい顔に怯えを浮かべると、雌はひどく下品な声で笑った。
雌の性欲がどうしてこんなに強いのか、飼育員たちには理解できなかった。彼らは日常生活において、こんな女に出くわしたことがない。たまたまこの雌がそうなのか、それともこの状況がそうさせるのか。皆目見当がつかなかった。
三頭は思い思いの時間に交尾をした。誘うのはいつも雌からで、おもに生殖器の大きいクソクイが相手をした。ネコの出番はクソクイの体調が悪いときにだけ回ってきた。ネコはとてもおどおどと腰を振るので、それは一部の好事家たちのあいだで話題になり、そのときだけ檻の周囲に人だかりができた。
飼育員たちは子育ての労を厭い、避妊に気を配った。そのための調教も熱心に行われた。外にこぼれた精液を拭くのは交尾に参加していない雄の役目になった。
それでも、雌は孕んでしまった。子供が生まれても、雌は子育てをしなかった。飼育員たちはひどく心配し、二頭の雄と協力して子育てに励んだ。子供は一頭しかいなかったが、ヤコと名前をつけられた。口の端の丸まった、かわいらしい雌だった。
ある月の明るい夜だった。ネコが格子の間に首を挟んで失神しているのを、巡回中の飼育員が見つけた。側ではクソクイが膝を抱えてうずくまっていた。ひどく怯えた様子でガタガタと震えていた。
懐中電灯を檻の中に走らせる。雌が口を真っ赤にして立っていた。その右手にはヤコの小さな足がつかまれ、逆さまにぶら下がっていた。首が半分ほどちぎれていた。
どうやら、ネコは雌が子殺しを始めたことを飼育員に知らせようとして、檻を出ようとしたらしい。幸い、ネコに怪我はなかった。ただ、ヤコは助からなかった。
激怒した飼育員たちは雌を私刑にかけた。モップや、デッキブラシが雌を襲った。雌は声一つ上げず、頭を抱えていた。
「なんでヤコを殺した!」
激昂した飼育員の一人が泣きながら叫んだ。すると、雌は静かに答えた。
「ヤコは私だ」
飼育員たちは呆気に取られた。雌はそれまで意味のある言葉を発したことなどなかった。雌はもう一度口を開いた。
「その名前は私のものだ」
その声は小さかったが、夜の動物園に染み渡った。ほうという梟の声がそこに重なった。
今、人間の檻は撤去されることが決まっている。ただし、中の三頭の行き先が決まらないので、それが何年先になるかはわからない。
USBメモリーの中にあるデータはこれで全部だ。
シャイ谷はこんな感じの寓話をよく創作した。だから、なぜこれだけが代理人の手に渡ったのか、また、ぼくに対するメッセージはなんなのか、よくわからない。
でも、気になるのはやっぱり、『私の裸体考古学Ⅳ』についていた献辞みたいなやつだ。「桃母」を「藻々々」としたことも気にかかる。献辞自体がフィクションだということは考えにくい。それに、鼻頭は言っていた、桃母とシャイ谷が檻の中で付き合っていたと……。
発想の転換が重要だ。もしかしたら……里崎喪々々という人が実際にいる?
そこまで考えたぼくは、凄まじい睡魔に襲われる。目が醒めたら、「退廃という名の動物園」へ行ってみようと思いながら。
☆
目を醒ますと、すでにかなりの日数がたっている。どうやら、USBフラッシュメモリーの解読に一週間を要したみたいだ。だいぶ○者の任務をサボっちゃった。しかも、こうしている間にもシャイ谷の病気は悪化してしまっているかもしれない……。一緒に組む代理人以外とはいっさい仕事上の付き合いを持たない○者にとって、お互いの信頼は絶対でなくてはならない。仕事をサボるなどもっての他だ。裏切りの代償は大きい。
そう思ってこれまでは避けてきたけれど、彼は優しいから許してくれるだろう。他に選択肢がないせいもあって、ぼくは妙に楽観的になる。よく考えたら、今までだって、彼に怒られたことは一度もないのだ。
悩んだ挙句、ぼくは自分の代理人である《なんでも知っている友人》に電話をかける決心をする。
「退廃という名の動物園?」
と、電話に出た《なんでも知っている友人》はオウム返しにする。彼にしては珍しい。
「知らない?」
「まさか、知らないはずあるか……ちょっと待ってろ」
ぼくはそのまま待たされる。しばらくして、「JR鬼怒川線にオオサカズキって駅があるぞ」と言われる。
「なにそれ? そこに行けばわかるの?」
「小さいの反対の『大』におかわりするときのもう一杯の『杯』だよ。音読みでタイハイだろ。そこに動物園あるぞ」
「アロロロロローン! 駄洒落なの?」
「言葉遊びじゃないのか」
「まあ、いいや、サンキュー。行ってみるよ。さすが、なんれも知ってるね」
「どういたしまして。でも、なんだ、太田総理の隠し子はそんなところにいたのか? ずいぶんかかったな」
「いや、実はその件じゃないんら。それは手つかず……いや、舌つかずなんらよ」
「ははん、任務以外の件で夢中になっていやがったな? しかも、シャイ谷失踪の件だろ?」
「アロロロ!」と、ぼくは思わず唸る。「ほんとうになんれも知ってるな」
「そりゃそうさ。しかもおまえ、俺ならサボっても許してくれると思って電話してきただろ?」
"ちっさめろん(5)"へのコメント 0件