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生贄物語 4

生贄物語(第4話)

尼子猩庵

閉鎖的な土地の因習により、三十歳になったら死なねばならない男の、三十歳の時の話。
   
南無金輪際末毘羅経。南無大正三色大権現。
   
※第125回文學界新人賞(2020)第四次予選落選

タグ: #哲学 #純文学

小説

12,110文字

いずれ雉子に子どもが生まれるなら一目会っておきたかったかどうか、おのが心を探ってみるに、あの旦那の胤が強く出るか雉子の大地が強く出るか不明なる上は、どちらとも言えず、べつに旦那が嫌なわけでは更々ないが、まああの両親の子なら男女どちらにせよ美形のほうだろうくらいにぼんやり思うた。

その未来に余は何の霊力も贈ること能わず。我らが奉祀は、もっぱら閉鎖的の、幻の鎮魂にのみ向けられたるもので。まあ現実の人生のための信仰は陛下が今もおつとめであり、無数の神社仏閣にて高僧たちが一切衆生の追善供養いとなみ、神官たちが国家安寧を祈願し、あまたの本物の力士たちが四股を踏んでは荒ぶる大地を鎮めておるのに何を危惧することもないけれど。要らぬ心遣いはやめて、余はただ鬼とやらに人質に取られている先祖代々とやらを救うためとやらに死ねばよいばかりだ。

夜中に母がこっそりと庭木の幹で鉄砲稽古をする響きと息遣いがかすかに聞こえる。大量の鼻息を馬のように吐きながら木を突きまくっているすがたが目に浮かぶが、父はああも屈強になり果てた妻をどう思っているのであろうか。べつに不満もなかろうか。父の関心はおのが息子をつつがなき供物にすることだけなのだ。(時に古今、生粋の下剋上な成り上がりかと思えばけっきょく祖先から優れた血を引いていたという人がぞんがい多いが、我が父も奉祀年の生まれなのだった。ひ弱で相撲大会には出場もできなんだが、のちに余を産ましめたによって勝ったのだった。)

眠られなくて要らぬことを考えておった。もう考え尽くしたことだけれども、とことんまで考え切るということは遂にできず、賑やかな展開ばかり器用になり果てた考えであった。すなわち死ぬる瞬間、確かに認識せられる劇痛のありやなしや。表面的・部位的の劇痛のみならず――即死に際する魂の衝撃の様相や如何。魂が心臓発作など起こしはせぬか。

重い硬い丸太の激突を確かに自覚するであろうか、意識は時間停止したごとく、その瞬間の個室に永住しはすまいか。霊魂の旅立ちとは別に分裂して現世へ残留する自意識の永劫の悲愴のありやなしや。

気絶の間際のあの気持ちよさは脳髄ぶち砕かるる即死に際しても訪れるか、そうであればいかに心乱れようと絶対安穏なる極楽往生・大往生であるけれども?

斬首刑の死にざまはどのようであったろう、頸部を担当する痛覚が灼熱に燃え、大なる窒息を感ずるであろうか。何を見、何を嗅ぎ、何を聞くか、どんな味がしているか。肢体の全神経が遮断せられた大解放のかろさのまにまに、どのくらいの時間? 伸縮自在なる主観において?

首吊りは如何。大なる圧迫と窒息の苦しみを通り過ぎて、すべてを許しにかかって来るあの大いなる快楽――あれは丸太の下にも訪れるか(窒息や気絶は、はばかりながら余には昵懇であるが)。

拳銃で撃ち抜く脳髄は最期に視野を黄色く眩しく染めるか。記憶の走馬燈を回す器官も破壊せられて、どのような主観を呈したであろう。

飛び降りは、落ちているあいだの快楽はあるか、股ぐらの寒けはあるか、激突の瞬間に認識は働くか、そこによんどころない終了の迎えがあるか、残留や時間の遡りに幽閉されはすまいか。死して完全に消滅することが叶うのならば飛び降りも理想的なれど、消滅すること能わぬならばつらし。不明なる上は理想的も糞もなし。

身投げは如何。水の冷たさに炸裂する心臓の痛みや咳き込むたびに水が流入する肺の痛みや水中で突起物に削られ続ける肉の痛みを超越する羊水の優しさはあるか。

ガスで死ぬのは麻酔薬の強制的な昏睡と似るか、意識を保たしめられたまま先に体だけが動かぬ暫時無窮の地獄か、それでもやがて気絶の快楽はあるか、薬物の悪酔いによる卒倒間際の悪夢のごとき無限にくり返さるる落下やぐるぐるめまいの地獄はないか。

電気椅子にせよガス室にせよ手足を縛りつけられるのはつらかったろう。群衆からの緩慢なる嬲り殺しもつらかったろう。群衆の目は至福であったか無心であったか。

おのが本能を鎮圧して真一文字に引き斬る切腹ののち介錯の刃のために首を前へ差し出す際、眼前の地面に映るおのが影には何が泳いでいただろう。

大なる爆風に一瞬で絶命し、黒焦げの微塵となって大気に舞い散る際には同時に死んだ大量の霊魂たちとどんな顔を見合わせ、たくさん連なった馬鈴薯を引っこ抜いたあの世の産婆にどんな顔をされたであろう。

死ぬる時はどうなる、今は特にその瞬間のことに限って、いややっぱり包括的に。わかり得る範囲においては全知全能なるこの盲目の理性に語らしめよ。幽霊は磁気の見せる幻覚なりと見破っても見えなくなるわけではない上は、ロボットにおける別の視野を持って来たに過ぎないものを不可思議の解明と信じて粋がっておるボンクラ理性に語らしめよ。しょせん語るすべを持たぬか、しかしすべを持とうが持たなかろうが語られ得てしまうのが言葉だ。ひっきょう命じずともおのずから語るものに思う存分語らしめよ。

死が蛇に呑まるる鳥なら、余の死は、一般の自然死が飛べなくなった老鳥の嫌々呑まるるのと違い、籠に閉じ込められた今が盛りの美しい歌鳥が柵を通過すること能わざる肉体を遂に捨てらるる恩沢に嬉々として自ら吞まる。呑ましめられた蛇は腹がつかえて、入って来られた柵を出られず、余は身をていして蛇のすがたを籠の中へ遂に捕まえ、世人の鑑賞し得るものと成すであろう。

死が酔いの醒めることなら、余の死は、一般の自然死が奥部においては安堵しつつも嗚呼もったいないと惜しがるのと違い、もう金輪際御免被る、こんりんざいまっぴら、金輪際末毘羅経、南無金輪際末毘羅経と唱え忍ぶ苦行がようやく成就する最後の迎え酒、もはや二度と飲まずに済む永劫しらふの死後恒久に仄かな酌の思い出を偲ぶ夢を見ながら土に返るであろう。

死が生前には遂に添い遂げられなんだ居所不明の伴侶との邂逅なら、余の死は、一般の自然死が面食らいながらも笑みほころぶ一切からの解放であるのと違い、もはや尊ばれもせぬものを独り頑なに守って暗い部屋で寂しく茶漬けをすする無精ひげであろう。

死が一本の大樹の枯れ葉のひとひらなら、余の死は、一般の自然死が季節に即して腐葉に移りゆく有益な散りざまを呈するのと違い、虫や獣に食われもせず子どもに千切られもせぬ新芽のままで、自ら笹舟と変じて海ではない下流へ流れ去るであろう。

死が数百万年の巨塔の煉瓦の一片なら、余の死は、一般の自然死が確かな建築に我知らず参加するのと違い、何かしらまっとうせざる空虚として窓辺を飛び回り、外壁に虚しく吹きつける風であろう。

死がモドキをホンモノに還すことなら、余の死は、一般の自然死が秩序に返る刹那に文明のオブラートの代償である過度な恐怖をさんざん浴びるのと違い、かえってケダモノらよりも赤裸々に包まざるを強いられた紊乱の羞恥をようやく隠してもらわれる安心であろう。

死が荒波に沈められる船なら――

死が――

死が泡沫の夢からの目覚めなら、現世においても夢の中ではたいがい痛みを感じぬ、左様然らば死して目覚めたのちには覚醒の冴えた喜びのみならず、クッキリしたさらなる痛みをともなうか。確たる悩みを思い出し、安楽な夢の中にふたたび戻ることを願うか。

けだし全弾不命中なり。ボンクラ理性に黙さしめよ。接近してゆくのはよそう。いたずらに接近して離れ過ぎてはよろしゅうない。もともとそばにあったものを。背中合わせにくっついていて、そもそも近づくも離れるもないものを。

 

いや違う。確かに死の認識は死の現象とは何の関係もないけれど、そういうことではない。予行演習の裏張りだ。認識の反復によりじわじわと観念の細胞を炎症せしめ、果ては壊死せしむることこそ肝要、生きている事実を生の内部において自壊せしめれば勝利だ、真偽を超越した勝利だ、この反復作業の重点はただ累積のみだ。

余亡きあと、愛する人々はどうであろう。余の死に何らかの影響は受けるだろうが、そのまま人生は継続してゆく。その人々は余のことを覚えている。そこにのみ余の死後がある。この死後は非常にラクだ。勝手に思い出してもらい、最後には忘れてもらえるであろう。

ずっと余の最良のトモダチであった「死んでもいい」、彼をもっとよく知らねばならぬ。知るとは途方もなく遠ざかることであるとしても、現代人とはそれしかできぬ猿ゆえに。さて彼はいったい何だ、「死んでもいい」とは。呪わるべき分析的・解剖的の思弁によれば、ざっと数えてそれは十六に分けられる。低劣なほうから並べれば、

一、大病も大怪我も経験せぬ、どこかでおのが不死身を信じて疑わぬ若人の戯れ言。

© 2025 尼子猩庵 ( 2025年5月9日公開

作品集『生贄物語』第4話 (全9話)

生贄物語

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