庄原が、父親に掛け合って、ワンボックスカーの後部座席をゴッソリなくして来た。運転中、後ろの連中は捕まるものが少なくて少々難儀したけれど、車を停めると、そこは膝を伸ばしてくつろげる空間だった。世間から隠れながら移動できる洞穴であった。
助手席はいつも私だった。この特権は私が家を提供しているからで、後ろの連中から不平は起こらなかった。またいざという時に運転を代われ得るのが私だけだったこともあるけれど、その場合は無免許運転になるために最後の手段である。
庄原の車であちこちへ行った。
山奥のダムや、山中の何か巨大な洋風建築の廃墟や、山裾の高級住宅街などに無駄に停めては、自然や富裕層の閑寂の中を歩き回った。無計画に山路をずうっと歩いて行って、長々と引き返して来たりした。
その前を通り過ぎた時、ある学習塾がなくなっていることに、私はひそかに反応していた。この塾からは小六の頃、他校の生徒から異文化が入って来て、けっこう危険な遊びが流行った。ある方法で、三、四人がかりで一人を、一瞬で気絶させるという遊びだった。立ったまま鼾をかく者や、寝言を言う者もあった。適性があるのか私は気絶できなかったが、外国に行ったと言う者もあった。
ある日、クラスメイトの一人が立ったままの気絶で、まっすぐ顔面から倒れ、救急車で運ばれて先生に露顕した。塾にも抗議が行った。その後十七年ばかり経っているから、それでつぶれたわけでもなかろうが。
その遊びを当時何と呼んでいたか忘れた。庄原は覚えているかもしれないけれど、昔の話が快いか不明だったので聞かなかった。
だいたいは車から降りず、我らが住宅街を色々な地点から眺め、起こりそうもない事件を探したり、平穏な家々を眺めて、知っていればそのお宅の噂や、そこで巻き起こったこしらえごとのエピソードを思ったりしながら駄菓子を食べていた。
やがて庄原の父親が――どこまで事情を把握しているのかは定かではないが――車を庄原に譲った。もう退職されていて、夫婦用の小さな車を購入されたということだった。
親の庇護の厚さと角度は、あるいは庄原が最も強いらしかった。
ある日、広い車内で、もうはばかることなく男たちがタバコを吸い、女性たちが黙って窓を下げている時、半田が言い出した。我々に何かできることはないかと。
それは社会復帰のことではなかった。もっと簡易な社会参加、損得のない善意の行為。神への奉仕という概念も、ヒューマニズムも絡まず、すなわちボランティアでもなく――我々がそんなものを考えれば、活動している人々への愚弄だ。そんな悪いことは誰もしたくなかった――もっと、暇を持て余した貴族のように、純粋の善意にふけること――我々は悪意を持つ気力がもはやなかった――ができぬものかと。
わからぬではない。カーク・ダグラス演ずるゴッホ(1956)が情熱も行動力もあるのに結果としての怠け者になり果てたのち本格的に絵を描き始めた、そのただ描き始めたということに関して弟テオに「仕事を見つけた」と喜々として手紙に書いていた。あれだ。おのが命と正気を賭けて「機関車のように」激しく取り組みようがあるか否かだ。あるわけないと自覚しているだけいくらかマシで、マシなだけにかえって救いようがない事実をいかに一蹴し得るかだ。正しい生き方は常に困難なほうを選ぶことと見つけ、善にも悪にも染まらぬ行動の死骸を断乎脱出することだ。ここまで言えば完全にかけ離れた。そう言った途端そもそもかけ離れるも糞もなくなった。
我々の熱意は外部とくっきり遮断された車内にのみ固く充満する霊気であった。半田もまたおのが意見を極めて下手に、不明瞭に語ったために、かえって全員、言わんとすることはわかっていた。それから抽象的の話が、あわや具体的の話へと移行しそうになるたび、大地に墜落しようとするところを我々は全力で引き返し、虚空へ帰すことに努めた。
トラブっている人物限定の子ども教室を半田が提案する。即座には墜落しそうになかったので、誰も急いで引き返さずに聞いた。
同じマンションにどうやら不登校児童がいる。これを学校生活に戻すのが最終目的だが、その過程は深甚である。一緒に遊び、共に悩み、旅にも出、最後には、俺たちみたいにはなるなと言って去るのだそうだ。
そろそろ引き返さねばならぬので、しかし親が嫌がるだろうねと結論した。善の霊体は地上で肉体に入り込んだが最後、現実状況の中でどうしようもなく死んでしまうのが人類永遠の空転だ。かくして安全に虚空へ帰って行った。
やっぱりボランティアだ。神への奉仕にしてヒューマニズムだ。それで考えるほど老人介護の需要にしか行き着き得なかった。
我々が会社を立ち上げて自由にやる案。金をかき集める手段は立ち上げてから考えるとして、しかしどこまでも向こうの都合に沿わねばなるまい。向こうの健康状態と生理現象がすべてだ。その苛酷、緩慢、醜悪、無際限。死別しかない達成のかたち。ここの根本的の解決に悪魔的秘密結社の必要を唱え出す頃、虚空の飛翔は急速にぼやけ始める。
じっさいは墜落もしない。ここに至って、元々何も飛んではいない。
しかし誰も落胆していなかった。牢獄から逃れられたように清々しかった。このようにして我々は何度でも出所し、脱獄し、逃げおおせた。
家の庭にメダカが来た。火鉢の中で、一尾十円のヒメダカが十尾、砂利の上を、マツモのあいだをつんつん泳いでいた。
レイアウトを相談して、浮子を一本浮かせておいた。半田が水中ビデオカメラを手に入れると豪語した。それええね、火鉢だけやなくって、近所の川やため池にも毎朝設置しに行って、晩に飲みながら見ようよ。けれども、水中ビデオカメラはけっきょく手に入らなかったし、みんな忘れたのでもあるまいが、誰も指摘はしなかった。
メダカを改良して食って行けないかと半田が言った。それは直接のお金の話、現実の地上と肉体に関係する、真面目な社会復帰の話であった。
山のダムには野生化したグッピーが群れなして泳いでいたが、その中に、背筋が青く光ったメダカがいた。半田があんがい詳しくて――何年か熱帯魚を飼っていたそうな――あれはみゆきという種類だと言った。あれをすくって、繁殖させて、そっから始めるのはどうや。何やったらマスとかサケみたいに、いったん海の生け簀で育てるのに成功したら巨大メダカも夢やないでえ。
それで画像検索しまくって、メダカの改良種を調べた。とんでもない高価なものもあった。いくらかは奇形にしか見えなんだ。我々は頭を寄せ合って熱心に見た。名前も凄くて楊貴妃、オロチ、秀吉、琥珀透明鱗ヒカリダルマ、毘沙門天、夜桜、深海、若草ラメ、鬱金歌舞伎――けっきょく普通のかたちのアルビノがええな。
「でも、うちのヒメダカたちが一番かわいい」
そう川野さんが言った。貴崎さんも同意した。
二人ともこの家を近頃「うち」と呼ぶ。
玲衣子さんがまた話を聞いて駆けつけて来た。謎に秘められていたのが遂に登場した庄原を見にやって来たのだった。
実物を見てからは何やらむんむん匂うかのようであった。こんなに露骨かと思った。同じものが貴崎さんにも潜んでいて、それが原因のいじめ被害であったろうか。美貌は女人のグループでは君臨しそうなものを、いや確かに君臨していたはずであったが、それが謀反に遭ってけっきょくこうまで持続的に蹴落とされたというのはあらためて凄かった。
あまりに早く我々はまたログハウスへ招待されていた。
旦那さんは相変わらず嬉しそうに貴崎さんを近くに寄せた。貴崎さんの気持ちは不明であった。旦那さんは庄原を見て「神童が増えとる」と言った。
やがて貴崎さんはあからさまに旦那さんを嫌がって離れたが、旦那さんはその反応も嬉しいらしかった。
玲衣子さんは庄原を近くに置いた。それで判明することには前回は少なからず私の席だった。嫉妬に蘇生を感じるかと思ってさぐったけれど、嫉妬らしいものがなかった。ふたたび強い欠陥をただ感ずるばかりだった。
半田がつらそうだった。堪え切れずにどうにかなるのではないかと案ぜられたが、どうにかなれるまでの生命力がないらしかった。
時間がどろりとしていて、経つのがほとほと遅かったけれど、日は日で暮れた。川野さんと貴崎さんが、二度目でもう非常にくどいバーベキューをまめまめしく処理していた。
私と半田はいただいた葉巻に口の中を汚したのをシャンパンでむなしく洗っていた。
やがて庄原が旦那さんに口答えしているらしかった。旦那さんはその反応も楽しいらしかった。鷹揚に対峙して、むしろ長引かせるらしかった。
まるで役者が違っていたけれど、庄原は執拗だった。さすがに旦那さんの余裕にもだんだん収まり切らなくなると彼は高級なテキーラを持って来た。
やたらなめらかに喉をぬめって行った。一瞬アルコールとも思えなかったけれど、急がないものが確かにしゃなりしゃなりと血管の中をめぐるらしかった。
木々の茂みのあいだからホテルの明かりを見下ろすと、何だか凄いお城ででもあるように空想せられた。半田がその輝きを、危ないほどじっと見つめていた。
とうとう旦那さんが庄原を持て余した。知らぬ間にたいへん不愉快そうだった。玲衣子さんのとりなしは逆なでになりそうだった。すぐさま貴崎さんが自ら愛玩されに行った。
庄原には川野さんがさりげなく寄り添っていた。
玲衣子さんが私にくっついて来ていたが庄原に未練がましいものを飛ばしていた。
憔悴した半田がきょろきょろしていた。旦那さんに腰を持たれている貴崎さんを見ないようにしているのを、貴崎さんが見つめていた。
お礼を言って送ってもらった。運転する玲衣子さんは気を取り直そう取り直そうとしてずっと野暮に外していた。
一人ずつ送ろうかと言った。庄原を最後に残したいのではないかと思われた。しかしみんな私の家に帰ると言った。
半田以外が泊まるのは初めてだった。それぞれ寝る場所を探すすがたは楽しそうだった。
子どもの頃、人の家でカクレンボをするのは楽しかった。埃だらけの屋根裏に上がったり、押入れの布団の隙間などに潜った。親はさぞかし嫌だったであろうが。
やがて二階の空き部屋二つ(川野さん・貴崎さん)とリビングのソファ(庄原)にそれぞれおさまった。寝具一式は五人分あったけれども、みんなせいぜい羽織ってくるまるくらいのものを所望した。あえてあまり寝心地よくしないらしかった。野宿に近い気分でいるのであろうと察しられた。私と半田(和室)だけがちゃんと布団だった。
みんなしっかり寝にかかっていた。夜明かしする雰囲気がハナからなかった。
きっと濃厚な夢を見るに違いない、バーベキューやテキーラの匂いが肌にも胃腸にも脳にもこびりついていた。
とりわけ葉巻の味がどうしても取れなかった。
風呂を女性たちが使うようになってから、私は家事に縄張りを感じなくなり、一息にどこもかしこもたいへん清潔になった。最初の印象は悪推量であったか、貴崎さんもなかなか行き届いていた。それでもまあ家ではどのようであるかしょせん不明であったけれども。
本物のきょうだいにもソリの合うのと合わないのとがあろうが、私と貴崎さんは、決して合わないわけではないけれど、おおむね大らかな不干渉の、乾いた仲であった。
部屋が埋まった。庄原も遂に一室を使い、川野さんと貴崎さんが同室で、ここは夜遅くまで話している声が聞こえた。
トイレがひんぱんに流れた。みんなの衣類が同時に洗濯機に入り、並んで干されていた。
川野さんも貴崎さんも、一人で泊まることはなかったけれど、来ること帰ることは別々で、夜になってふと二人きりであったりすれば、おのおの部屋で静かに過ごしつつ、考えないでもなかった。今何をしているのか。覗かれたくないこともあろうとか。別に卑猥なことに限らず、クセとか、美容法とかで。機織り中の鶴だの、生まれた赤子を抱いてとぐろを巻いている大蛇だのが。
つくづく我々は、なんにょがこうも集まっていて、驚くほど堕落していなかった。それぞれのさまざまな欠陥のためも大いにあったに違いなかった。幼くして心のひだが裏返ったりちびたりした者はその後の心身の発育に何らか不具合をそれは呈するであろう。大した不具合でもないがゆえにかえって打倒すること能わざる大荷物であった。
川野さんと貴崎さんの家族は外泊をどこまで怪しんだろうか。私の家に泊まっていることは知っているはずだった。立ち話をする奥さんたちもいなくなった、力なく静かな住宅街だったけれど、知らないはずはなかった。
我々は家族を消耗させる。消耗していない家族を持っている者はいなかった。
ちょこちょこ帰って来る娘たちを見て、こっそりつぶさに観察し、そのつど半ば無理矢理にも安堵するのかしら。思えばわかり切ったことだと感じ直すのかしら。
住宅街の人々は、噂を立てるほどもはや好奇心もない。他人に眉をひそめるほどもはや希望もない。じっさいはそんなことは、あろうがなかろうが。今の住人たちがいなくなれば消えてなくなる住宅街だ。すなわち感性もモラルも異なる人々が巣食って、めいめいの大切で清々しい感慨で以て寿命を延長せられ、消滅できずに緩慢に残り続け、際限なく崩れ続ける住宅街だ。
最後に庄原もほぼ居座るようになって、家事の分担表が作られ、それが安定した頃、みんなは実家に寝起きの重点を半ば以上戻した。
独りの世界を死守したのだろう。
それに関して私だけは不意の来訪に完全に受動的だった。私だけが死守する逃げ場のない事実は、しかし半田がほとんどいたので、やわらかく散っていたけれども。
火鉢のメダカは四匹死んで落ち着いたらしかった。
死んだメダカは元から植えられていた元気のない小さな檳榔の根元に埋められた。窓から見えない檳榔で、私とは多分それなりに馬が合っていた。
家事の分担表は可変の毎日に複雑に適応したが、臨機応変のための補足は書き加えられなかった。それだからどのようにも伸縮し、あんじょう対応していた。
通販で買い求めた棚を整頓したり、寝室に絵をかけたりと、おのおの開拓し始めたみんなが、その楽しさが高じ尽きる手前のようなところで、幻滅を恐れる感受性の蘇生自体を前以て堕ろすように、興味を外部へ向けた。
秘密基地をどうのこうのと議論した。
色々豆を試して目下定まっているコーヒーを飲みながら、見てもいないテレビの音だけ下げて、ああだこうだと言い合った。
今やっている諸々のこと、その途上な仕事を、何一つやり遂げず、新たに別のことを始めて、常時散らかしておかねばならぬ。このような贅沢は、完成された人類や神々にはできなかろう。この高揚はしばらく続いて、やがてなくなったが、残り香にすがるような相談だけが続いた。
今のままでは秘密基地が人に見つかる恐れがあった。むろんその恐れは今に始まったことではないが、だからこそ遂にマズかった。私の友人たちは、そろそろ私の帰還や我々の集合を知っているのやら知らないのやら。親たちはもう知らないはずはないと思われた。
秘密基地が見つかることはここに来て急に滅びだ。非常に滅びだ。それで場所を変えることにした。テントはダミーに捨て置けばよい。しかしそんなに離れなくともよいのではないか。あの周辺が容易に見つからないことは、庄原のじつに八年に及ぶ通い隠遁で保証済みだった。
庄原はその隠遁の中で、方丈記を、訳注を見ずにただくり返し読んでいたと、先日我が家で二人きりになった時――誰かいたけれど、風呂に入っていたか何かして――に言っていた。しかし我々が侵略した時には防空壕から出て来たみたいな漫画しかなかったでと言うと、笑っていたが、いっそ信じひんのかと詰め寄られでもしたほうが、その悲しそうな笑顔を見るよりマシだった。
テントのあるあたりは、どこもそうなのかもしれないけれども、時々変な気配がする山林だった。指摘するとみんな同意した。庄原もしたが、その上で、無害を請け合った。
身体の無害はあっても精神の無害の話だ。変な電波や霊気でも流れていやしないか。正気が保たれるかどうか。庄原は無事に見えた。
それで今、みんなで茂みをかき分けてがさがさ歩いている。汚れや擦り傷への女性たちの無頓着さが頼もしかった。やがてテントから少々離れたところに竹の密生を見つけた。これを切り拓こうということに決まった。
半田の父親の鉈で伐り始めた。けれどもすぐに、地面を平らにすることはとてもできそうになかった。それで諦めた。数本の竹の蹂躙は、唯物的に成り果てた現代には天罰もいただかれない悲しみ――罰があるなら救いもあるものを――で以て供養に代えた。
ひょんな空間を庄原が見つけた。木々の間隔がひらけて意想外な青空の底であった。
知っていたのだろうと思われた。庄原はテントで独り少年期の幻にふけりつつ、時々は獣のように歩き回ったのではないか。山の霊と蜜月を結んだのではないか。
これは正真正銘嫉妬と言える。私も結びたかった。そこには病苦や死苦を超克したものがあるに違いないので。悔恨や孤独や罪や恥を超克したものが。
煉瓦やらモルタルやらを夜中に運ぶことにして、基地の目的を完全な家屋の建築へと変更した。堅固な床と壁と天井を作り、先日テレビで核シェルターの備品として紹介されていた水の濾過装置や簡易トイレを設置すれば十分暮らせる。少なくとも何日かは籠城できる。すなわち一生暮らせる。年老いて、一人また一人とここで葬式を行い、最後の一人が白骨になるまで暮らせる。
資材の運び入れは何回にも分けなければならなかった。非常な時間がかかりそうであること、それはたいへんな現世安穏であった。
この違法行為は上昇であるか墜落であるか。大地に立っていないからといって飛んでいるわけでもないけれども? 捕まればそれこそ大地に立てるわけである。けれどもそんな高望みは誰もしていなかった。
私と庄原のお金は女性たちの母性くさい分別によって管理され、資材の資金繰りに悩む真似事をしていたが、もはや貴崎さんが強いて話すでもないのに断乎聞きつけて駆けつけた玲衣子さんが第一回分をどっさり買ってくれた。
「私もまぜて」
「モルタルに?」と庄原。「人柱になってくれるんですか」
「怖いこと言わんとってよ。――でもほんまや。こんな山の中で、みんな鬼になって、私イケニエにされるんとちゃうやろか」
「逆にわたしたちがみんな壁に埋まるから、玲衣ちゃん住んでくれる?」と貴崎さんが言った。
「アホ。ほんまに怖いわ」
「わたしたち守護霊になって、色んなことから守ってあげるで。夜になったらしゃべれるねん。『玲衣ちゃん……お風呂場にいつもの奴来てるよ……』『あら、ほんま? 追い払っといてくれる?』『がってんしょうちのすけ!』」
「もうやめ! ……アホ、」
説明書もろくろく読まずバケツ一杯のモルタルを練って、放置時間も適当に塗りたくり、軽く濡らした煉瓦を並べながら、青写真のないことは恐怖でありかつ喜びであった。
広くしようとしばらく床ばかり作った。まったくでたらめな作業であった。型枠も何もなしにただ掘って踏み固めてぶちまけて並べて広げて行った。先に地下室を掘っておけばよかったと半田が言った。深く悔やまれたが誰も本気で悔やんではいなかった。
休憩が多く取られ、弁当や駄菓子を食べた。みんな常時食べているような気がするけれど、量はそれほどでもなかった。アルコールとも深入りを避けてだらだら付き合っていた。
暗いうちに行き来して、何日も没頭した。雨天にシートで保護することもしなかったが、どうしてなかなかちゃんと出来上がって行くらしかった。
玲衣子さんと庄原がよくすがたを消した。
我々はそれについて、触れないでおくことが、みごとにできた。
誰かに大工の血でも流れていて、それが空気感染でもしたのか、人間の本能にひそむ累代の記憶が導いたのか、人類の大いなる意図の切れっ端に憑依せられたのか、建築物のほうで自律性を獲得し始めているのか、煉瓦は規則正しく、なめらかで、半田が置いたビー玉がぴくりともしないほど平らだった。
広やかな、きれいな四角だった。ずぶの素人が、せいぜいネットで調べたくらいの知識で以て、こんなにきちんとできるものかと、我々は自画自賛の驚きだった。こうやればこうなるという確実さ、この文明、技術の無料――精神的の方面にも是非このレヴェルで普及していただきたい発達であった。そうすれば今頃我々はこんな奇行をしていようはずもなかったものを。
最後に、庄原が持って来たいやに巨大な懐中電灯の明かりを用いて、寄って来る羽虫たちに見守られつつ、徹夜突貫した。その最後の作業とは、乾き切るのをただ待つことだった。シートの上にあぐらをかいて、厳かに、うつらうつらしながら。
空が明けそめる頃、ぼちぼち顔を見合わせ、おもむろに立ち上がり、みんなでぺたぺた触ってみるに、どうやら完成した床に上がって我々は祝杯を挙げた。
これ以上の工事を続けるかは不明だった。続けるていではあった。
荷物をかついで足しげく山へ入るすがたは誰にも見られていないはずだった。貯水池のそばに停めてある庄原のワンボックスカーは玲衣子さんのスポーツカーと二台並んでいて、それは一台だけあるよりも安全であるように思われた。じっさい、何の事件にもなっていなかった。
なるならどんな事件であろう。木々の中にこうしてできてみればあんがいそう不自然にも見えないこの、どうしようもない物体を撤去するお金と、何か罰金と、土地所有者への謝罪と、そういうもので済めばいいけれども。全国のニュースに顔と名前がさらされたりすれば、×丁目のマンションを大いに賑やかすことになるであろうか。
庄原は玲衣子さんとの時おりの雲隠れを弁明する気配もなかった。そのような事実はないような顔だった。
貴崎さんは玲衣子さんから何か聞いているように思えたが、そう不愉快らしいものも見えなかった。読み取ろうとする半田の視線をやわらかく受け止めるための意識的な平然であったかもしれない。
半田はやわらかくされてつらさもないらしかった。
私は川野さんに視線をやっていたらしい。
しかし川野さんも貴崎さんに視線をやっていたので流れた。
川野さんも貴崎さんからやわらかくされて安堵し、つらさもないらしかった。
私の心はこの視線の相関図に宙へ迷った。
庄原は我々のあいだではけっきょく末っ子のように愛されているのだった。
しかし半田への貴崎さんのいたわりは救護心だけであろうか。川野さんは文学少女らしく貴崎さんと魔界の共有か。もっと純粋に童女同士の疑似恋愛みたような所有欲めいたものか。
確かに実験めいて閉鎖された環境に隔離された異性たちだけれども、こんなにちゃんと嵌まるものか。ひらかれた出会いの場もなくてよんどころなく近親相姦する神話のきょうだいたちのように? 玲衣子さんもそろそろ腹違いか種違いのきょうだいであった。
犬や猫のように兄も姉もないかと思えばやっぱりそうでもない。庄原はやんちゃな末っ子、半田は頼りない次男坊、川野さんは貴崎さんを母性で凌駕しても妹か。いいや妹に依存する姉だ。
私だけ仲間はずれか。無視されるあわれな長男ならいいが。計画を始めた長男が、ある時謀反にかかって弟妹たちから殺されるならそれもなかなか。妹たちは弟たちに抱かれて薄ら笑いを浮かべるか。それもなかなか。いやなかなか、なかなか。
私の美しき夢想をよそにみんな寝転んでいた。あんがい全員同じような夢想をしていたかもしれぬ。そこではみんな自分だけが仲間外れであったかもしれぬ。明るい天にたいそう見られていた。星まで見えそうな澄みようだった。抜けるような青空というけれど、抜けたのなら星も見えればよかろうに、光が蓋をしていた。
完成した床の一隅には余った煉瓦でちょっとだけ段々が作られている。そのまま壁にして行ってもいいし、今のままでもよかった。そこをセキレイが尻尾をふんふん振りつつ歩いている。白黒の顔はまんじゅうのようだった。あたりを警戒しながらうまいことリラックスしている。ここにいるのが好奇心なのなら――生存本能を超越するものとしての好奇心、あるいは高次な生存本能としての好奇心なのなら――人類における形而上学や芸術のごとき好奇心なのなら――何と幸せな生物であろうか。もののあはれを知らぬ――もののあはれしか知らぬ――畜生めらの馬鹿野郎は。
森の中の煉瓦の上でみんな丸くなって眠った。昼過ぎに起きると原始人のように健康な気がした。ほかが全員どうしようもなく進歩して行く中、断乎拒んでそのままがんばった原始人の末裔がこんな浅い山中で発見されるか。
諸々片づけて、ぼちぼち我が家に帰った。
玲衣子さんも一緒に入って来たが、やはりまだまだ彼女一人だけ、外の匂いがいつまでも抜けないようだった。
庄原は家の中では玲衣子さんから離れていた。彼の中に何か強固な境界線があるらしかった。それで玲衣子さんは私の隣に座ったが、いつまでも外くさかった。
窓の向こうの庭木にスズメとメジロが来ていた。二羽ずつ四羽、当たり前のように一緒にいるのだが、見るのは二度目だった。一度目に来た時にも、我々は全員そろっていた。玲衣子さんはその時にいなかったので外くさいか。一度目に来た時、みんなまた来て欲しいと思った。けれどもむなしい期待は持たないでおこうと言い合ったのに、川野さんか貴崎さんか、オレンジの切ったのを枝に刺しておいたのだ。今それをつつきに来ているのだった。
「コンビニ強盗でもして、どっか過疎の田舎に住もか。田畑や屋敷を管理してくれるならタダでゆずるって言う農家もあるらしいで」
半田が言った。彼がオレンジの犯人とわかって、それからすぐのことで脈絡がなかった。
田舎に住む案は、床ができたばかりの山の隠れ家を捨てるのではなく、工事を休むための狂言であった。またすぐ使うにしても、毎度しっかり水切りしておかないとカビてしまうので。半田の体調はいつも通りに悪いのだろう。
「一見どううまいことやっても捕まる時代になったみたいやけども、毎年の行方不明者の多いこと、何ぼかの殺人事件の犯人の捕まらんことなんかほんまはどえらい分量で、コンビニ強盗も絶対に失敗するってこともないわ」
みんな目がさえていた。これは都合が悪かった。いつも、何かわけのわからぬストレスでぼんやりしていたり、眠かったりして、それでちょうどよかったのだということが、あらためてわかる、こういうことはよろしくなかった。
かような、どこからともなく、前触れもなく、どうしようもなくやって来る真理の勝手な独白から逃げるため、二台の車で校区外の或る川に行った。
玲衣子さんは煉瓦の床ではよく眠れなかったらしく、しばらく駄々をこねたあと帰って行った。
彼女が帰ったことについて誰も感想を漏らさなかったからみんな同じ気分なのであろう。
河原の砂がひとところ海辺の砂のようだった。そんな砂浜に時々転がっている石を踏むとやわらかくめり込んだ。我々はめり込ませながら歩いた。
自然の緑の中で場違いに煙の青く見えるタバコを吸いながら、運転手の庄原は眠くならんがために出もしない欠伸を試み続けていた。
場違いに川之三途と鬼崎墓園の朗読が始まった。しみじみした掌編と、長編小説の抜粋だと言う一節。ここまで場違いだとどこか高次の世界では極めて相応しいに相違なかった。
二人とも夕べから原稿を持って来ていたらしかった。二人の霊界のペンネームも初めて知って、驚いている庄原が、原稿はずっとパンツに挿んでいたのかとからかった。アホか、バッグや、と貴崎さんが答えた。しかしわからないと私は勝手に思った。パンツに少し入れて、せいぜい腹のところに挿んでいたかもしれない。夕べの作業ではそんなに汗もかかなかったが、原稿は湿っていて、そこだけ湿っていないへそのかたがついていて、それで文章の性格が、さらには結末までが変わったようなことのありやなしや。
庄原の、聞きながら何かどんどん考えをあらため、感心する顔がやわらかだった。玲衣子さんがいるあいだには見えない顔だった。思えば初めての顔にまでなった。こんな顔がもっと早く、玲衣子さんとの雲隠れより前に現れていたら、玲衣子さんの外くささもなかったろうか。
もしそうだったら、彼女ももっと、こちらに入って来られていたのかもしれなかった。
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