死ぬ直前の父はアボカドを好んだ。他のものは一切何も食べないのにアボカドだけはまるで、まるで……そうだな、
「じゅるじゅるじゅる……ずずずずず……」
と、啜るみたいに食べていた。
「どうしたらいいのかしら」
母親が相談してきたので、私は、
「オレンジページで見てさ、作ったらすごい美味しかったのがあるよ」
と言って、油揚げのアボカド詰め焼きの事を教えた。っていうか私が実際家に行って作った。
「なんだこれ」
焼きたてのそれを出すと父は怪訝な顔をしてちょっと焦げてしまった油揚げの表面を見て、それから同じ表情のまま私の事を見た。父にはそういう所があった。王道のモノ、王道の調理のものしか食べないっていうか。好まないっていうか。例えば鮭は塩引き、マグロは刺身。肉は焼いたやつ。映画はローマの休日。サウンドオブミュージック。ポセイドンアドベンチャー。音楽は、音楽はまあいいか、んで、アボカドは……、そもそもアボカドを食べる文化を実家に持ち込んだのは私だけど、その時に塩とごま油で食べた。生レバー方式で。そしたらそれに父は反応した。普段だったら、
「気持ち悪い」
とか言う所なのに。
「おいしいな」
父は一口食べてからそう言った。それ自体にも感動はあった。私たち家族からしてみたらすごい感動。
「あの父親がアボカドを食べるなんて」
あんな得体の知れないものを食べるなんて。っていう。
ただ、それ以降、私が、
「これもおいしいよ」
と、クリームチーズとカプレーゼにしたものを出したりとか、マグロとサーモンと和えてポキにしたものを出してみても、
「いい」
と断られた。父にとってアボカドは塩とごま油に決定したのだ。それ以外はもう受け付けないのだ。不要なのだ。門前払いだ。いや、もっと言うと父のアボカドの食べ方にはアレンジが加わっていた。塩が醤油になっていた。父は醤油狂信者だ。何にでも醤油をドバドバかける。東北の濃いしょっぺーやつを。こうなるともう最初私が紹介したアボカドの食べ方とも違う。オリジナル。オリジナルじゃん。そしてもうそれ以外の方法では食べねえんだ。だから当然の事だったかもしれないけど油揚げのアボカド詰め焼きも撥ねられた。あっさりと。
「いい」
父は生のままのアボカドに醤油とごま油をかけて食べていた。
次のお正月、帰省すると父はもう何も食べなくなっていた。アボカドさえも一切食べなくなっていた。私は最初それを見て彼がハンストしているのだと思った。
「いい年こいてハンストしてる」
あるいは、即身仏にでもなろうとしているんだろうか、と。父はガリガリになっていた。骨と皮だけになって、内臓なんて何処にもないようなビジュアルになっていた。父はどちらかと言うと肉付きがいい方だった。それがちょっとの間にハンストか即身仏に対しての憧れがものすごい事になっているんだすごいなーって。
それから少しして大腸がんで死んだ父を霊柩車に乗せて火葬場に連れて行き、焼いた後、すっかり見違えた父の御骨を拾うという段になった際、その御骨の中からアボカドの種が出てきた。
「うわ……」
真っ先にそれを発見したのは私。父の死は親戚も含めて誰にも知らせなかった。私と姉と母親だけの葬儀。御骨拾い。しかも姉も母親も火葬場の係の人が、火入れをする時に言った、
「それでは、最後のお別れでございます」
っていう言葉に対してえらく感動してしまって、火葬待ちの間の待合室では大丈夫だったけど、焼けた後の見違えた、すっかりグリルされて骨になった父を見て、また感動っていうか、なんか、なんか、何かになっているみたいで、それで御骨拾いは捗らなかった。なかなか捗らなかった。
そんな中、そんな中で私は御骨の中にアボカドの種を発見した。肋骨の、箱根駅伝の昔のコースの函嶺洞門の中みたいになってる所にアボカドの種があった。で、なんでかわからないけど、真っ先にそれを拾い上げた。オセロで角とるみたいに。そしてそれを隠すように他の部分の骨を拾い上げ、トレーがいっぱいになると係の人に渡した。係の人はそれを木箱にざーっと流し入れた。
あらかたの骨を拾い集めると家族そろって火葬場の人に頭を下げて、出来上がった、白い布袋でラッピングされた木箱、御骨と、お供え物の饅頭なんかを持って御寺に向かった。その日、一日はとりまお寺に預ける決まりらしい。その日はそれで終了。家に帰って、ご飯の支度をしてお酒を飲んで寝た。次の日、御寺に行って葬儀と初七日の法要を行って、アボカドの種が入ったままの御骨袋を墓の中に押し込んで葬儀は終了した。それから葬儀ホールの人、御寺の御住職に頭を下げて解散となった。遺影を持って家に帰って仏壇に飾った。そして晩御飯の準備をしてお酒を飲んで寝た。次の日は残った家族三人でフォレスタ鳥海に行ってお風呂に入った。更にその次の日はねむの丘に行ってお風呂に入った。その次の日にはさらにこまちランドに行ってお風呂に入った。その間、朝昼晩朝昼晩朝昼晩、朝ご飯の時、車中、昼ご飯の時、晩御飯の時、お酒飲んでる時。その間。私は誰にもアボカドの種の事を言わないでいた。なんでか、なんでかわからないけど。
母親から電話がかかってきた。出ると、
「あんた、お姉ちゃんから聞いだ」
と言われた。何の事ですか。聞いてません。
「お父さんの部屋を整理してたら色んな所からアボカドの種が出てきたなや」
へえー。
「死んだばさまと一緒だでや結局」
数年前に死んだ祖母も最後の方、何も食べなくなった。父がどれだけ食べることを強要しても、母親がどれだけ食材を細かくしても食べなかった。しまいには食べたふりをしてティッシュに包んで自分の部屋、仏間に隠していた。死んだあと部屋を整理していた父と母は驚愕したらしい。そういう諸々が捨てられることも無く、部屋の至る所に残っていて、そこに虫が湧いていたから。
その連絡から少ししてまた母親から電話がかかってきた。
「アンタ、お姉ちゃんから聞いだ」
いや、勿論聞いてないですけども。
「うちの御墓からなんか植物が生えてきたなや」
はははっははは。
「笑い事じゃねくて」
実家に帰って父の骨の、一族の骨が収まっている御墓に行ってみると、確かに墓から植物が生えていた。墓の骨を入れた穴と水鉢の間の隙間から枝、幹、なんか生えてる。そんで葉があって、その先に蕾みたいのもある。何の植物なのかわからない。でも、多分、多分きっと、
学生時代の同窓生の中に現在牧場を持っている奴がいた。そいつの所に行った。駐車場で車から降りてまだ朝もやの中、牧場の空気を胸いっぱいに吸い込むと気持ちがよかった。牧場と言うと懐かしい思い出がある。牧場に行くとそれを思い出さずにはいられない。
昔、家族で揃って車に乗ってマザー牧場に行った。ところがその日のマザー牧場、マザー牧場一帯は霧が立ち込めていた。ホントマジで、一メートル先も見えない位の濃い霧。サイレントヒルやミスト、霧が晴れた時のような濃密な霧。霧の群れ。大群。その頃まだ純粋だったし、サイレントヒルも知らなかった私は怖くなった。この真っ白い霧の中に取り残されるんじゃないかと、あるいはこの霧の中から何かが出てくるのではないかと、そんな想像をした。それからはもうずっと怖かった。夜の闇のように濃い霧の中、車はおそおそとマザー牧場につかない。いつまで経ってもつかないんじゃないかと思った。もう帰れないんじゃないかと思った。怖くなった。そして私が怖がっていることに助手席の父が気が付いた。父はカリンカを歌った。怖い感じで。シューベルトの魔王みたいな感じで。カリンカを歌った。車の中で大音声で。私は泣いた。なす術もなく泣いた。
「あれ、まだやってないですよ」
牧場の建屋から一人の男性が出てきて私を見つけた。あ、いや、えーっと、何だっけ、
「渡辺さん……ですか」
確か。確か。
「え、はい。どこかでお会いしましたっけ?」
その後、私は私なりに必死になって学生の時の話をした。ほら、あの、ほら、学生の時一緒でしたよね。っていう話。修学旅行とか一緒になって回りましたよねっていうような話。
「あ、ああ、あれ、ああ、ああ懐かしいなあ」
するとその努力が功を奏したのか渡辺は相好を崩したように笑った。それから私と握手して、ロッジのようになってる建屋に案内してくれた。
「今日は何しに来たの」
渡辺は私の事を椅子に座らせてコーヒーを淹れてくれた。
「いや、急に迷惑かなとは思ったんだけど、今、学生時代のみんながどうしているのかなって思って気になってさ」
私は適当な事を言った。
「お前、同窓会とかにも来ないもんなあ」
渡辺は笑いながらぺらぺらとどうでもいい話をした。
暗くなるまでその牧場に居た。渡辺は牧場の仕事があると言ってどこかに行った。構わなかった。寧ろありがたかった。
「牛とか馬とかいて立派だなあ」
子供の頃、私は牧場のイメージ、印象を父によって固定された。濃密な霧とカリンカ。でも、今こうしてみると、いいところだなあ。空が広い。緑が多い。風が心地いい。
夜になるとロッジで、なんとか辺と二人、私が車から出した由利政宗、天寿、雪の茅舎で酒盛りを始めた。ロッジには簡単な調理設備があった。私はそこで買ってきたいぶりがっこを切ったり、いぶりがっこにクリームチーズを挟んだりした。
「オーブントースターある?」
「ある、あるよ」
なんとか辺はコップの酒をぐいっと飲みながら言った。私はアボカドを出した。まず半分に切ってから種をとる。実をボールに出してそれをフォークで潰す。レモン汁を入れて塩とコショウ、醤油で味付けする。
次に油揚げに、中の開いてる油揚げに潰したアボカドとレモン汁を混ぜたものをスプーンで入れる。それをオーブントースターで十分ほど焼く。出来上がったものを半分に切る。適当な皿に盛りつける。
「これも食べてみて」
なんとか辺の前に出した。
「なにこれ」
「油揚げのアボカド詰め焼き」
なんとか辺は食べた。すると次の瞬間、ううっ、と唸ってからテーブルに突っ伏した。私はそれをじっと見ていた。
「うーん……」
少しするとなんとか辺が起き上がった。その間も私は何も言わずじっと見ていた。
「真希」
なんとか辺は私を見て、なんとか辺の時とは違った口調、声音で言った。
「お父さん、お父さんなの」
「ああ、ああ、何だ、何だこれ」
父は困惑しているようだった。理解できていないようだった。
「お父さんの御骨を入れた御墓から、植物が育ったの。っていうか焼いたお父さんの骨からアボカドの種が出てきたの」
私は嬉しくなって父の手を握って言った。
「何、なんだって」
父はぽかんとした顔で私を見た。
「でも、そんな事どうでもいいじゃない。もう一つ食べてみてこれ」
骨から出てきた種で育ったアボカドで作った油揚げのアボカド詰め焼き。
「ああ……」
父はもう一つ食べた。
「どうよ」
これどうよ。お前生きてたころ食べなったけど。
「おいしいよ」
そうだろ。そうだろ。やっぱり。すげーうめえだろこれ。なあ。
「ああ、おいしい」
死んで好みも変わったのかな。いやそれよりも父が何かを食べている様子を、様を見て、なんだか、なんだかとても安心した。
「ねえ見てお父さん」
私は窓の外を指さした。
「ここは……牧場か」
そう。そうです。お父さん覚えてる。子供の頃、マザー牧場でさ、あ、っていうか、それよりもお父さん、水曜日のカンパネラって覚えてる。
「何」
歌。歌手。あれでさ、大抵の曲を、
「うるさい、耳に当たる」
って言って撥ねたけどさ、お父さん、かぐや姫だけ、その一曲だけさ、
「いい曲だって言った」
言ったよねえ。
その後、二人で外に出て、牧場の中を端まで歩いた。端っこ迄行ってまた帰ってくるやつ。そういうのをやった。私は子供の頃のように父と手をつないだ。ちょっと恥ずかしかったけど、そうした。
「それにしてもこの体の奴は大丈夫なのか」
歩きながら父が言った。
「いいよ。私こいつの事嫌いだったから」
今はどうだか知らないけど、学生時代のこいつはちょっとばかり顔がいいからって調子乗ってたから。あと自己中だったしね。だからいいよ。いいんだよ。全然。
「そうか」
父は言った。私は笑った。父も笑った。
牧場の中にはもう牛も馬もいなかった。牛舎とかそう言う所に入っているんだろう。夜だから。だって夜だから。外はすっかり夜になっていた。でも暗くなかった。空に月が出ていた。雲のない空にまん丸い月。アボカドを半分に切って種を取り出した後のくぼみの様な月。かぐや姫が帰る日の様なまん丸い月。
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