帝と月に駆ける馬

合評会2021年03月応募作品

松尾模糊

小説

3,858文字

≪ヴィテブスクの冬の夜≫マルク・シャガール(1947年、45x59.2cm、油彩キャンバス、所蔵:神奈川ポーラ美術館)
3月合評会応募作。二度にわたる核戦争で地球は壊滅的な放射能汚染に侵された。しかし、皮肉にも汚染により、忌避されてきた核エネルギーへの活路が宇宙進出を促進し、人類の歴史は新たなフェーズに入った。富める者は宇宙にその拠点を移し、貧困層が汚染された地上に残された。

スロットルレバーを思いっきり回してエンジンを噴かす。ピカピカに磨き上げたマフラーが細かく振動して、燃焼したガソリンから出た排ガスが勢いよく大気へと舞い上がる。その音は、ゲートが開かれた瞬間に鞭打たれて走り出す、競走馬のいななきの様だった。赤い塗装が目を引くボディの中ほどに付いた、黒くテカる革張りのシートに跨り、放射線を遮断する全身スーツとガスマスクを被って、ユウジは愛車“赤帝レッド・エンペラー”と共に夜の街へと走り出した。高架道路のコンクリート壁が崩れ落ちた後の瓦礫や、道路の真ん中でひっくり返ったクラシックカーの残骸を避けて、ひび割れた凸凹のアスファルトの上を蛇行して走る。蒼く暗闇に浮かぶ影が、ユウジが覗いたサイドミラーに映った。ユウジはガスマスクの下で口角を上げて、チラリと後ろを振り返った。蒼いタンクカバーの上に身を乗り出した前傾姿勢で“青鬼ブルー・オウガ”と名付けた単車に跨ったデッコが、ユウジの運転する赤帝の横に並んだ。ユウジは右手首を回してさらにスピードを上げる。デッコも負けじと改造したマフラーから凄まじい爆発音を響かせてユウジを追った。

ガスマスクに付いた、傷だらけのゴーグルの向こうに廃墟と化した真っ暗な旧都市を煌々と照らす、毒々しいネオンの光に包まれた新歓楽街が見えた。いつの間にか、ユウジとデッコに連なるように何台もの単車や改造車がエンジン音を轟かせて走っていた。

「飛んで火にいる夏の虫」ユウジは、ネオンの光に導かれるように静かに走る核融合型プラズマ自動車をその目で捉えると、右手を上げて仲間に合図した。右ハンドルグリップの先に付いたボタンを押すと、エンジン内部に取り付けた半導体レーザーが水素ペレットを照射し水素燃料を爆発させる。赤帝は、古代中国の名だたる武将たちを魅了したという、あの赤兎馬せきとばを夢想させるような電光石火のスピードで群を置き去りにして、あっという間に夜の闇に消えた。「ヒャッホー!!!! 遅れんなよぉオオオ」デッコは一団を振り返り、ガスマスクの口元を少し上げて叫んだ。青鬼は再び轟音を響かせてユウジを追った。そして、チーム“泰平煉獄ピースフル・リンボ”の一団が平原を駆ける馬たちのように一斉に走り去った。

ユウジはプラズマ自動車を追い抜いて、強引に赤帝でその前に割り込んだ。運転手は羊の鳴き声のようなクラクションを鳴らして速度を落とした。そこへ青鬼が追いつき、デッコが道端で拾った鉄棒を運転席のサイドガラスの上から叩きつけた。プラズマ自動車は逃げようと左側に寄ったが、すぐに泰平煉獄の一団が取り囲み、やむなく停車した。車から引きずり出された運転手は、初老に見える恰幅の良い男で、彼の見るからに高級そうなスーツは引き剥がされた。さらに、助手席に乗った連れの若い女が長い髪を引っ張られて悲鳴を上げているのを遠くに聞きながら、すでに興味を失ったユウジはその場を離れて、彼らをあざ笑うように光る新歓楽街の方に目を向けた。

「おい! ユウジ、見ろよ。こんなに散財する気だったみたいだぜ、あのジジイ」デッコがユウジの目の前で電子端末に映る七桁の暗号通貨の残高を見せた。

放射線を遮断する特殊な素材でできた透明の壁が二重になった間に、循環する水が満たされた、ドーム型の“汚染防護フィルター”に囲われた新歓楽街は、まるでユウジが幼い頃に月面都市に移住して離れ離れになったゴムにもらった、古い玩具だというスノウドームをそのまま巨大化させたようだった。ユウジは戦死した曽祖父にもらったミニ四駆をお返しに渡した。フィルターをくぐると、彼らはガスマスクを脱いで思いっきりその頬に当たる風を感じた。飲み屋、風俗店、映画館、カジノ、大型イベント施設、かつて人類が都市生活で謳歌した娯楽の全てを詰め込んだ場所は、未だに宇宙広しとは言え、ここにしか存在しない。富裕層がその莫大な旅費を費やしても地球へとその郷愁を携えて訪れるのは、若いユウジにとって滑稽に思えた。ふと、長蛇の列が並ぶ施設が目に入った。白く塗装された丸みを帯びる屋根が目を引く施設の上空に、巨大な馬の上に騎手が跨り、鞭打っている様子が3Dで映し出されていた。宇宙には豚や鶏などの家畜や、ペットとして犬も持ち出されているが、象やキリンはもちろん、牛や馬など大型家畜は、居住スペースはもとより、その餌の確保など宇宙空間での生存環境が確立されておらず、この汚染された地球で滅びゆく運命を辿りつつある。動物園や水族館と並び、生きた大型動物を見ることができる競馬場は地上での人気施設だ。しかし、かれらの置かれた状況は悲惨だった。この競馬場で限界まで走らさせられ、才能のない者は屠殺される。大きな牧草地を確保できないこの地区では、飼育環境も劣悪だった。ユウジたちは華やいだ街の裏でひっそりと佇む木造建ての厩舎きゅうしゃの前に立つ、屈強な身体に不釣り合いに見えるスーツを纏ったガードマンらしき男たち二人を横目に通り過ぎた。そんな舞台裏には全く興味を持たない裕福な宇宙民たちがアルコールの入った缶や、スナック菓子の詰まった袋を手に並ぶ、競馬場のパドックに連なる列にユウジたちも加わった。

「三連単か三連複か、単勝か複勝か、どうする?」デッコも彼らと同じように金、いや、他人の金で賭け事をするスリルや享楽にしか興味がないのだろう。ユウジはそう思いながら「俺はパス」と手を振って観覧エリアに入った。

観覧席を埋める観客たちが歓声や拍手や怒号にも似た声を上げて沸き立っている。「持ってこーい! 頼んだぞー」ユウジの前の席にいるデッコも立ち上がり叫んだ。騒がしくなった場内で3番ゲートに入った馬が荒ぶっているのを、騎手が手綱を引いて抑え込んでいた。スターティングゲートに全ての競走馬たちが入ったことが知らされる赤いランプが灯り、ゲートが開いた。騎手達が競走馬の尻を鞭打った。劣悪の環境でも公のレースに出場できる競走馬だ。かれらは走るために最適に仕上げられた筋肉を躍動させ、芝生の上を、たてがみをなびかせて美しく駆けている。ユウジはその姿に引き込まれるように身を乗り出した。汚染され朽ちゆく星に取り残され、未来も何も見えない不安を紛らわす様にバイクに跨り、全身で感じるスピードに酔いしれる夜だけが彼らが生を実感できる瞬間ときだった。年老いて、やがて皮を剥がされて切り刻まれるあの競走馬は、まさしくユウジ達と同じだった。少なくともユウジはそう感じた。一番人気の4番サンダーキングが、先行型で前を走っていた10番ユドシラクルを外側から最後の直線で刺してゴールした瞬間に、歓声は大きな溜息に変わった。「順当かよー!」デッコは手に持った端末を地面に叩きつけた。その後ろ姿は、どう足掻いても自分たちが運命を抜け出せないことを思い知らされた憤りをぶつけているようだった。ユウジは立ち上がりデッコの右肩に手を置いて、走り終えた馬たちが手綱に引かれてあの惨めな厩舎に戻る様子を眺めた。

「あれは俺たちだ。ここから逃がそう」

「あ? 何言ってんだ?」

「馬たちを厩舎から逃がす」

「本気か? エンドウのシマだぞ、ここは。殺される」デッコはユウジの手を振り払った。ユウジは不敵な笑みを浮かべて、厩舎へと向かった。「クソがっ!」デッコはコンクリートの上に簡素に付いたプラスティックの椅子を蹴って、泰平煉獄のメンバー達に「もうひと暴れすっぞ」と声を掛けた。

ユウジは談笑するガードマン二人の頭に背後から道端で拾ったコンクリート塊を投げつけた。一人の後頭部を直撃し男が倒れると同時に、もう一人に向かって後ろから駆け付けたデッコが手にした鉄パイプを振り下ろした。ユウジは痙攣している男の傍に落ちた血の付いたコンクリート塊を拾い上げて、厩舎の扉に付いた錠前を叩き壊した。各々に武器を持った泰平煉獄の連中が叫び声を上げながら厩舎になだれ込んだ。「ほら、行けよ! お前らは自由だ」動揺して嘶く馬たちをなだめながら、ユウジはかれらを扉の外へと導いた。銃声が響いた。レースから戻って来た馬たちを先導していたヤクザたちが戻って来ている。

「やべえ! 逃げるぞ、ユウジ!」デッコが外で叫んだ。灰色の毛が満月の光に照らされて輝くサンダーキングの手綱を引く男を殴り飛ばして、ユウジはサンダーキングの背中に跨った。敵も味方も入り混じり互いに殴り合う中、馬たちはその場から群れを成して走り去っていく。夜の廃墟を走る泰平煉獄のように。その先は汚染された不毛の地しかないと知っていても、かれらには走る以外にできることは無かった。

「クソガキどもに好きにされるなんざ、情けねえ奴らだ」ジャケットの下に隠したホルダーから拳銃を引き抜き、エンドウは馬に跨る少年に狙いを定めて引き金を引いた。背中に衝撃を受けたユウジは、走るサンダーキングの背から振り落とされた。汚染防護フィルター越しに見える星空、走り続ける馬の一群、それを追って走る泰平煉獄の仲間たち、そして黒塗りの車の傍で銃を構えたスーツ姿の男へと視点が目まぐるしく変わり、最後にフィルター越しでも眩しく輝く満月が見えた。ユウジは震える右手をライダースジャケットの内ポケットに入れて、スノウドームを取り出し掲げた。白い古城の上に細やかな砂のような粒が月明かりに照らされ、キラキラと光りながら舞う。

 

ゴムよお、そこからこの星はどう見えるんだ? エンペラーはまだ持っていてくれてんのか? ハイパーミニモーターはもう動かないかもなあ……でもよお、もう改造パーツなんて手に入んないよなあ……

2021年3月19日公開

© 2021 松尾模糊

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"帝と月に駆ける馬"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2021-03-25 22:47

    つくり込まれたマッドマックス的+馬レース世界観に独特の味わいがあります。馬を放つことで汚染された地球に閉じ込められた自らを解放しようとする登場人物たちが切ないです。
    水素ペレットがどんなものか気になります。

  • 投稿者 | 2021-03-27 21:26

    スノードームの描写が美しかったです。
    本当にこうなりそうな近未来の設定でした。貧富の差が露骨に生存条件の差になっていたり、汚染地域に半グレの若者やヤクザが跋扈していたり。
    馬を放して逃げるって『三国志』とか『アラビアのロレンス』とかに出て来そうなシーンだと思いました。競馬みたいなアナログな娯楽が未来にも残り続けるのもとてもありそうです。競走馬の維持繁殖には巨額の金がかかりますが、それは宇宙へ避難した金持ちが出しているのでしょうね。馬にも汚染による淘汰がある等の描写があればなお説得力があったかも。

  • 投稿者 | 2021-03-28 13:52

    かっこいいなあ!って言うのがまず読み終えて。はい。すいません単純で。

    それからあと私自身に想像力が無いので前半はクロノトリガーの未来パートにあったミニゲームのレースの感じを思い出しながら読んで、後半は今話題のウマ娘の感じで読みました。すいませんほんとに。酷い読み方で申し訳ないです。

    ただ、そんなに達観はしてないような若者がレースに出てる競走馬に自分を重ねてその馬を逃がすって言う感じがなんというか、日本映画のようでした。

    はい。とりまそれは思いました。

  • 投稿者 | 2021-03-29 00:53

    AKIRAにニッポニア・ニッポンにそれからマッドマックスに……一つの作品を何かに例えて述べようとしてしまうのは、自分の中に、その世界観をそのままに咀嚼し、消化する機能がまだ未熟であるからなのかもしれません。
    見たことのないSFのワンシーンをいきなり、テレビのロードショーでパッとみたような、そんな気持ちになりました。でも、そういうのって見入っちゃうんですよね。背景をしっかり理解できていなくとも

  • 投稿者 | 2021-03-29 12:05

    世界観の描写に力が入っていて、魅力的。近未来SF感がよく出ている。ただ、もっと長い話で読みたい。このサイズならドームの歓楽街が出てくるところから始めて、馬を逃がすまでの間にいくつか障害があるといいと思う。

  • 投稿者 | 2021-03-29 14:50

    SF設定だ! チンピラどもが馬を逃がすために躊躇なく警備員にコンクリートブロックを投げつけたり鉄パイプで殴ったり、なんだかAKIRAっぽく読みました。古い玩具と紹介されていたけどこの時代でもまだスノウドームやミニ四駆があるのがいいですね

  • 投稿者 | 2021-03-29 15:09

    エンペラーとかハイパーミニモーターという辺りに世代感を感じてしまいました。ハイパーダッシュモーターはレギュレーション違反で、実質レースではハイパーミニモーターが最上なんですよね。

    と脱線しかけましたが。
    彼らは馬を解き放っても結局この荒廃した世界だと馬には自由はないわけで結局死に絶えるわけでして、彼らのやったことも善意かあるいは美しいペシミズムでも破壊でしか表現できない。そういう閉塞感が漂ってるなと思いました。

  • 編集者 | 2021-03-29 15:36

    AKIRAでもあり、爆烈都市でもあり…と、他を引き合いに出すのは良くないかもしれないが、面白かった。風景が思い浮かぶ。この後の事が気になるが、それも勢いと粉塵の中で消えて行くのだろうか。

  • 投稿者 | 2021-03-29 18:53

    実用に足るのはトルクチューンモーターだけっすね(なんの話だ)。SFミニ四駆パンクよかったです。

  • 投稿者 | 2021-03-30 14:43

    80年代アニメみたいなオープニングからモーターじゃなくて生き物のレースにもっていく展開が色々と示唆に富みますね。全体を通して流れるメランコリックで頽廃的な雰囲気が好きです。

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