地球でいうところのエレメンタリースクール、あるいは小学校と呼ばれる教育施設で二カ年目のカリキュラムを受けている頃に、ぼくはぼくの父らに連れられて、ライスマウンテンのカモフラテイルという山村から、いくつかの山を越えてライドサドルという高原に越してきた。
それから四、五年経ったから、ぼくはもうジュニアハイスクールスチューデントであり、ファーストフレンチキスは女教師と済ませていたし、その他セックス以外の行為はいくつか経験があった。しかしどうしたことかセックスだけはまだだし、たぶんこの先当分ないだろう。
有り体に言えば童貞そのものであるのでセックスはしたことがないし、日常生活に組み込まれていなかったけれど、頭の中の大部分は未だ知らぬ性の味わいの予測でいっぱいであったし、軽く触れるだけで陰茎はフルマックスに攻撃姿勢を取る。タイムラグなどない。むやみやたらに勃起するのが中学生男子という生物だ。ブリーフはもう履いていない。ヒラヒラのトランクスがホットドッグプレスの主張する正義の下着であったし、ぼくたちはその経典を守った。ボクサーブリーフなどという気の利いたものが発明されるのは遥か未来のことであり、この世界には白いブリーフか、キテレツな柄のトランクスのどちらかしか存在しない。ぼくたちは後者を選んだ。しかし母親たちは頑なに前者を選び続けた。結果、タンスには未使用の白ブリーフが貯まり、逆になけなしの小遣いで手にいれたペラペラのトランクスは洗濯の回数を重ねてどんどん薄く擦り減り、ちょっとした衝撃で破損した。勃起でパンツが破けたという話がしたいのではない。そんなことは一度しかない。ぼくと女教師とは度々校舎裏で待ち合わせてこっそり会っていたが、ある日クルマで出かけようと誘われてぼくのリミッターが吹き飛んだ。良い方にではない。悪い方に壊れた。人影まばらな山里で女教師のクルマで中学生が出かけられようはずもない。人影がまばらということは人が目立つのだ。それに夜は家を出られない。無理だった。怖気づいたぼくは愛を放棄した。うっかり深淵を覗いて、深淵に覗き返され、すっかりびびってしまったのだ。
女教師の誘いを無下にして、思春期最大のチャンスのむざむざと逃したぼくは、一方で自分の性欲を思いっきり持て余していた。毎晩毎晩はちきれんばかりに無駄に勃起しまくるため、火照った身体を冷やすために全裸で寝ることが多かったし、真夜中に裸で外に出て、積雪に飛び込んだこともあった。地球人の身体は実に不便だ。しかし、氷点下二〇度の厳冬期に、新雪に裸体を晒すのは実に気持ちが良かった。金属の様に膨張した陰茎を雪壁に突き刺すのも、射精こそしなかったが、たいそう気持ちがいいことだった。
約五分で活動限界は訪れるが、ほどよく冷えた身体を拭いて元のベッドに潜り込むと、これ以上ないほどのぬくもりに包まれ、よく眠れるのだった。女教師との行為はよく思い出してオナニーのネタにしていた。いつしかそれが本当の記憶なのか、捏造したものなのかわからなくなっていたが、確かめる勇気はもうなかった。
山奥に暮らすということが、おそらくあなた方にはピンとこないだろう。想像して欲しい。道を行く見知らぬ中年男女老人老婆の全員が一方的にあなたを知っている。それが田舎だ。耐え難い。そんな中で女教師と男子が理由もなく連れ立って出掛けるなどというスキャンダラスな行為に溺れられるほど愚かではなかったし、もう少しだけ小賢しかった。
あらゆる状況は想定した。その上で、やはり徒歩一時間という距離にある教員宿舎まで誰にも見つからずに赴き、そして他の教員の誰にも見つからずに女教師の部屋にたどり着くことなど、不可能だ。
また彼女の方からクルマで迎えにくるという作戦もないわけではなかったが、固定電話しか存在しないこの惑星の当時の科学力では、我々は無力だった。彼女がどういう絵図でぼくを連れ出そうとしたのかわからないが、おそらくあまり緻密な作戦は考えていなかったと思う。もうどうなってもいいと思っていたのかもしれない。
どういうきっかけでそうなったのか、まだ思い出せないが、ある時からぼくと彼女は、こそこそと隠れてキスをする仲になっていた。チャンスは一日五分。ぼくたちは誰にも知られることなく二人だけになれる死角の時間を使って、逢瀬を重ねていた。
誰も来ない校舎の一角に隠れて、手を握り抱き寄せる。唇を重ねて舌を絡めた。ぼくの指は熟れた果実をまさぐって自分のものにしていた。下半身にはなかなか触らせてくれなかったが、ある日ぼくの手を止めて言った。クルマででかけようか。
それは次のステップの存在を示す行先標示板のようでもあり、突然足元に現れた仄暗いの沼地のようでもあった。クルマででかけようか。彼女の声がリフレインする。しかし、クルマででかけるための準備はぼくにはできなかった。できなかったのだ。
最初は、どうだったんだろう。
ぼくたちは元々仲が良かった。いや、仲が良かったというのは間違いかもしれない。正しくは、仲が悪くなかった、だけだ。
そうだ。掃除だ。ぼくは彼女の受け持つ教室の掃除係だった。掃除の始まる前の刹那が、ぼくたちの犯行時刻だった。
なぜ、そんなことをしでかしたのか、その瞬間までの記憶がまったくないが、ある日突然、ぼくはスキありと叫んで先生の胸を触った。本当にスキがあったのか、スキはなかったが、拒否されないと踏んで凶行に及んだのか、まったく思い出せない。思い出せないが、拒絶はされなかった。初めて触る女性の胸は驚くほど柔らかかった。ずっと触っていたわけではなく、彼女が嬌声を上げて一瞬遠のいたので、もう感触は手から離れていたが、改めて触ってみるかと提案されて、しっかり正面から触らせてもらった。服の上から触っていると、違うといって腕をつかんでカットソーの裾に通してくれた。翌日はブラを外してくれ、本格的にじっくりと触ることができた。それで顔が近かったので唇が触れた。舌先が触れ、ぼくたちは一つになった。そこから先は貪るようなキスがぼくたちの特別授業のメインになった。齧り合うような口づけに夢中で、胸を触っているどころではなくなったからだ。
そうだ思い出してきた。その頃、彼女のクラスや授業は崩壊していた。受け持っているクラスのすべてが崩壊していた。とくに上の学年はひどかった。ぼくのクラスの連中も、騒いで暴れることこそなかったが、先輩らに倣ってあまりいい態度をとってはいなかった。
その狂った校内で、ぼくが、ぼくだけが、普通に彼女に接していた。正義感からではない。最初から下心があったのでもない。単に彼らのとる粗暴な態度の意味がわからず、流行りに乗り遅れただけだ。
当時、田舎では都会に数年遅れて〈不良〉が流行っていた。その頃はまだヤンキーなどという言葉はなかった。ツッパリとは言ったかもしれない。しかし山奥なので、ちょこっとだけ改造したような微妙な学生服を着用するぐらいが関の山であったが、唯一彼女の授業だけはきっちり崩壊していた。そんな軽い〈不良〉旋風が吹き荒れる僻地校で、ぼくだけがそのムーブメントに乗れていなかった。ぼくの家は、移住してきた父の土地チョイスが悪く、テレビ地上波がうまく受信できない谷あいに建てられていため、ぼくはこの翌年になるまでテレビがない幼年期を送っていたのである。ゆえに、見ていないドラマ・積木くずしのノリがよくわからないし、金八のマッチがハイカラーでツッパてたとか言われてもまったくよくわからないし、スクールウォーズも歌とタイトルしか知らなかった。だからテレビの真似事をして学級が崩壊していても、それらにどういうノリで付き合ったらいいのかわからず、ただぼんやり中立を保っていたというだけだったのだ。
彼女の同僚の教師は何をしていたのか、相談はしなかったのか。その大人の状況はガキのぼくにはわからない。しかし、二十五歳かそこらの若さで、崩壊した授業をいつまでも立て直せないでいるのは、相当なストレスだったのではないだろうか。と今にしては思うが、当時のぼくにとっては、彼女は妙に馴れ馴れしい年上のいい匂いのする手の届く女性、でしかなかった。誰もが、彼女の敵性種族であるという異常な職場で、ぼくだけが敵対心を持っていない小動物だった。これは彼女にとってみれば、すがるべき藁だったのかもしれない。つまり、この時点でもう彼女は壊れていた、のかも、知れない。わからないが。ぼくの衝動的で突発的な特攻行為は許されてしまった。そしてそれはうっかり心の門を開き、彼女はぼくを受け入れ、ぼくは持て余す性欲をそこにぶつけてしまうことになった。しかし、本格的に城門が開かれたとき、その中の暗闇にまでは飛び込めなかった。決して自制などはしてない。ただ、ビビって足が竦んで一歩も動けなかっただけだ。そしてぼくは怖気づいたまま、彼女を求めることをやめ、少しずつ距離を置くことになっていった。しばらくするともう不良ブームが終わったのか、果てしなかった学級崩壊はいつしか収まり、荒れていたクラスルームは普通のクラスルームになった。だから、そうなった時点で彼女の中でのぼくの需要もすでに終わってしまっていたのかもしれない。あるいは誰か代わりが見つかったのだろうか。そして、ぼくは性欲を持て余して雪窟に身を沈めることになる。
女教師は次の春にこの地を去り、風のうわさでは結婚したとか聞いたが、きっと幸せな人生を送っていることだろう。そしてぼくはそれ以来、据え膳は絶対にすべて食うことにしている。
ところで、秘密の教室はもうだいぶ前に建て替えられ、残っていない。教員宿舎もとっくにない。乗るかもしれなかった赤いファミリアもたぶんもう残ってないだろう。裸で雪に飛び込んだぼくの実家もすでにない。
それは、決して初恋なんかではなかった。女教師との甘い秘密は、ただの、特別な記憶。絡み合う舌の感触は、敗北の武勇伝。そして彼女にとって、ぼくとの時間はただの逃避でしかなかった。そういうことだ。
記憶がはっきりと蘇ってくる。そうだ、これらは、すべてはぼくの妄想であり、虚構、幻影なのだった。思春期の少年特有の虚言癖か妄想癖なのだ。都合よく改竄された記憶。その学校には、そんな女はいなかった。ああ、そうだ。証拠など、どこにもない。すべて消去された。
すっかり脱線してしまったが、ぼくの本当の生まれ故郷は地球から遥か235光年先の惑星ナ・カノーの北部都市ノ・ガッタであり、生後4カ年で父親らの移住にあわせてはるばるこの星にやってきたのだ。惑星ナ・カノーのことはよく覚えていないが、女性キャラは登場しない。故に割愛しよう。地球は大変快適で過ごしやすい。そろそろ原住民には滅んでもらって、明け渡し要求をしようと思う。お前たちは死ね。
Fujiki 投稿者 | 2019-09-24 20:36
思春期の甘美で幸福な思い出。SF的設定への言及すべてが照れ隠しにしか見えない。フィクションと理解しつつも読んでいて小恥かしくなった。ごちそうさま。
千葉 健介 投稿者 | 2019-09-25 13:47
いたいけな中学生が恥ずかしげなく行う恥ずかしい行動の、どれかひとつでも自分に止められたらと思うばかりでした。原住民はまだ死にません。
多宇加世 投稿者 | 2019-09-26 02:48
「いつしかそれが本当の記憶なのか、捏造したものなのかわからなくなっていたが、確かめる勇気はもうなかった」
↑この時点でもう怪しくて、笑ってしまった。
そしてラストでもう一度笑った。面白かったです。
久永実木彦 投稿者 | 2019-09-27 21:50
「クルマででかけるための準備はぼくにはできなかった」わかる。すごいわかる。
大猫 投稿者 | 2019-09-28 21:52
最初と最後、別に宇宙からやって来なくても良かろうに、と思いましたが、藤城さんのおっしゃるように照れ隠しなのですかね。
持て余す性欲と何もかもスケスケのド田舎の生活の中で繰り広げられる火遊びみたいな女教師とのラブ・アフェア(までは行かないか)が、軽やかな文体に乗ってすごくエッチで刺激的でした。
松尾模糊 編集者 | 2019-09-28 23:44
女教師との恋愛なんて、男の夢を具現化していたんですか。羨ましいです。エロティックな描写が良かったです。
伊藤卍ノ輔 投稿者 | 2019-09-29 03:21
少し大きくなってしまったのは最近嫁にマグワイを断られ続けているからだと思いますが、そういう状況にいま自分がいるおかげで思春期の気持ちを思い出しながら読むことが出来ました。
途中は物語というよりは状況説明な感じが多くなってしまったのが少し個人的な自分の好みから逸れてしまったというかなんというかな感じなのですが、それはただ自分の読むレベルが低いからそう思ってしまっただけなのですが、とにかくもう少ししっかり物語になっているとよかったかな、と完全に個人的な感想を抱きました。
最後の理不尽な一文はたまらなく好きです。こういうセンテンスに出会えるとすごく嬉しくなります。
中野真 投稿者 | 2019-09-29 03:23
面白かったです!全体の雰囲気作りが上手い!なんで女の人って突然その線を飛び越えられるんですかね。
諏訪靖彦 投稿者 | 2019-09-29 13:38
なんと羨ましい中学時代!妄想なのか現実なのか聞くのは野暮なのかな。かっちぇと思った「据え膳はすべて食う」は本当のことなのでしょうけど(笑
ホットドックプレスは偽情報が多かったです。特に女性の気持ちに関しては(笑。
一希 零 投稿者 | 2019-09-30 19:51
かっこいい言葉こそ、こういうものを書くのに使うのだな、と思いました。思春期のダサさと中二病感と無力感がとても良かったです。
Juan.B 編集者 | 2019-09-30 03:15
俺は反青少年健全育成なので別にこんなことはどんどんそこらで起きていれば良いと思う。
でも、性病と避妊には気を付けよう。
何?土地?簡単に殺されてたまるか。混血46センチ砲を食らえ!
高橋文樹 編集長 | 2019-09-30 15:57
なんの意味もないSF設定も、女教師と自分の名誉を守るための嘘と考えれば受け入れられようものだ。Bまで行ったにも関わらず、それを学友に自慢していない点に好感を持てた。
菊地和俊 投稿者 | 2019-09-30 17:38
いたいけな秘密など僕の思春期には無かったので、羨ましいの一言に尽きます。
この国は譲りますんで、阿保な政治しかできない税金泥棒達を懲らしめてください。