「だからなんて?」
何かの間違いだと思って俺は聞き返した。しかし、答えは変わらなかった。
「私はエリンギです」
どこからどう見ても人間であるその女は言った。確かに色白で髪も茶色がかっており色素が薄いところはキノコっぽくも思える。
「ホクトの技術はすごいんですよ。美味しいキノコはホクトです」
「そのフレーズ知ってるのは人間だからだろ」
「いえ、エリンギです」
女は頑なだ。頭のおかしな女に捕まってしまった。外へ出ようとすると、女は俺の行く手を阻んだ。
「証拠をお見せします」
女はため息を吐いて、己の左手の親指を右手で握りしめた。何をする気だ。ため息を吐きたいのは俺の方っていうのに。
そして、止める間もなく、あっという間に親指を裂いた。裂けるチーズみたいに。いや、エリンギみたいに。思わず悲鳴をあげそうになったが、女からは一滴の血も出ていなかった。親指を引いて腕まで裂けた体の断面は白く、のっべりとしていて、さながらキノコ、いや、エリンギそのものだった。
「信じてくれましたか」
女、もといエリンギは断面をさらけ出しながら淡々と言った
「ホクトは世界最大のエリンギを栽培してギネス記録を持っているので、人型のエリンギを作るのも造作ありません」
ホクトすげぇな、と思った。それでいて悪趣味だ。
エリンギはそのまま俺の家に転がり込んだ。家、と言っても仮設住宅のようなところだが。この生活にも慣れてきた。食料難も抱えている現状であれば、確かに比較的日持ちのするエリンギが意思をもって自ら配給されにくるのは効率が良いだろう。その上、このエリンギはもう収穫後なので栄養を摂る必要はない。また、そもそも水分が傷む原因になるので水浴びや入浴の必要もない。これが最新技術。
エリンギは裂いた親指を俺がカセットコンロで炒めているのを机に手をついてまじまじと見ていた。親指がないので少しバランスが悪そうだった。申し訳ない。
「見てて面白い?」
「はい」
エリンギは無表情のまま頷いた。
「栽培されてきただけなので、こうして人間の暮らしを見るのは初めてです。興味深い」
マーガリンと醤油をかけて炒めたエリンギの指から腕の一部にかけての部分を恐る恐るかじる。ちゃんと歯ごたえも、食感も、味も、エリンギだった。やはりエリンギらしい。どう見てもエリンギには見えないが。
「自分が食べられてるの、嫌じゃないの」
「キノコって菌なので」
返事になっていないような返事だった。
「おかわり食べますか」
エリンギは躊躇なく左手の人差し指にも手をかけたので、俺は慌てて止めた。
「もういいよ。お腹いっぱい」
「小食なんですね」
エリンギは不思議そうに首をかしげた。
愚かなことに、俺は話し相手ができたのが嬉しくなってしまった。特に意味のない会話だったとしても。もう随分まともに他人と会話をしていなかった。配給をもらう時の最低限の受け答えくらいしか、もう何年もしていなかった。家族も友達もどこにいるか分からない。いつまでこの生活が続くのかもわからない。そういう人間のメンタルケアの意味合いもかねてエリンギは派遣されてきたのだろうか。
「栽培されてた時の記憶とかあるの」
「あります」
「どんな感じだった」
「姉妹がいっぱいいました。私たちはおがくずの下で菌糸で繋がっているので、同じなんです。でも収穫される時には切り離されるので、別々のものになります。菌糸で繋がっている間は一緒です」
「それって気持ちとか、考えとかも一緒ってこと」
「気持ち。よくわからないですが、多分人間で言うところのそういうことだとは思います」
「いいなぁ」
素直に羨ましいと思った。俺は今他人に飢えている。誰かと繋がっておきたかった。ケーブルはおろか電波も使えない今は、目の前に他社が現れない限り誰とも繋がることができない。孤独だ。しかし、よくよく考えてみれば、こいつは今俺と同じ状況に置かれている。ずっと一緒にいた仲間と切り離されて、こんな見ず知らずのおっさんの元へ派遣されている。
「寂しくないの」
「キノコなのでよくわからないです」
エリンギが首をかしげる。親指がないことに罪悪感を覚えてしまう。エリンギを人型にしようと言い出した人はひとでなしだと思う。
「うーん。そうだな。菌糸で姉妹と繋がっていた時に戻りたいとか思わないの」
「それは少し思います」
「じゃあ寂しいんじゃない」
「そうかもしれません」
声のトーンこそ変わらなかったが、そう話しているうちにだんだんとエリンギが寂しそうな顔をしているように見えてきて、なんだか可哀相になってきた。こんなの到底食べられるわけがなかった。
次の日もその次の日もそのまた次の日も俺はエリンギを食べなかった。腹が減っているからと人型の食べ物にがっつくほど俺は人間をやめてはいなかった。その代わり、エリンギに話を聞いてもらった。生きているかも分からない妻や子供の話。まだ平和だった時代の話。学校に通っていた時のこと、公園でキャッチボールをした時のこと、夜になると心細くなること。エリンギがくるまで随分長いこと他者と話していなかったこと。そうやってどんどん日々が過ぎていった。
「あの」
ついにエリンギが遠慮がちに話しかけた。いつも話しかけるのは俺からばかりだった。
「食べないんですか」
心なしか、エリンギは悲しそうに見えた。
「そろそろ傷んでしまいます」
そうだ。こいつはもう収穫されている。食べられなければただ傷み、腐り、捨てられるだけになってしまう。俺は腐ったこいつを捨てることができるだろうか。そもそもこいつを食べるなんて。いや、腐らせて捨てる方がはるかに抵抗がある。
「わかった」
俺がそう言うとエリンギは自分の人差し指、中指、薬指、小指、と次々に裂いていった。エリンギだった。少し色が悪くなっている気がした。早く食べてやらなければ。でも食べればエリンギはいなくなってしまう。既にエリンギの左腕はなくなってしまった。でも少しも痛そうにはしていない。平然とした顔で俺のことを見ている。俺はやりきれない気持ちで裂いた部位をそれぞれ包丁で食べやすい大きさに刻む。エリンギはソテーにするのが一番おいしい。
俺がエリンギを食べる様子を、エリンギは見つめている。満足そうに見えた。きのこだから感情などないのかもしれない、と思っていたが、こうして数日過ごしているうちにうっすらとエリンギの表情が読めるようになってきた。エリンギにもどうやら感情はあるらしい。本人(本茸?)はあまり自覚していないようだが。そりゃあそうか。そもそも、栽培されている頃は感情を表す必要がない。だって、姉妹とは繋がっていて全てを分かり合っているのだから。姉妹はほぼ同一のように通じ合っている。感情は、他者と関わるからこそ必要になる。俺と言う他者と関わったが故に必要になったものだ。まだ手にして数日。だから持て余している。
こうして口を利いて、感情を持った存在を食べるなんて本当に悪趣味極まりない。
俺は日々、急いでエリンギを消費していく。片手がなくなったエリンギは俺に裂いてもらう他なかった。エリンギは炊き込みご飯にしても意外とおいしかった。スープにだって入れた。エリンギは案外何にでもいられられることを知った。エリンギはどんどん小さくなっていった。腕がなくなり、脚がなくなり、胴体もなくなっていって、最後に首だけが残った。
「エリンギって名前あるの」
俺はテーブルの上のエリンギの頭に話しかけた。
「固有名詞はないです。ただのエリンギなので」
名前をつけてやろうか、なんておこがましいことを考えそうになってやめた。余計に食べづらくなるだけだ。もうあと頭だけなのに。頭を腐らせて、駄目にしてしまうことが一番嫌なことくらい自分でも分かっている。
「あなたはあるんですか。名前」
自分から聞いておいて、まさか聞かれるなんて思っていなかった。嫌な汗が流れる。言いたい。でも言いたくない。どう答えるのが正解だろう。嘘を言った方が良いだろうか。どうせいなくなる相手だ。何を言ったってかまわない。俺が口ごもっているとエリンギは次の言葉を続けた。
「そろそろ頭も食べてくださいね。もう傷んできてるみたいで、ぼーっとしちゃうんです。そろそろ腐っちゃいます」
頭だけのエリンギは喋ることしかできないからか、饒舌だった。
「なんですかね。こういうのを楽しかったって言うんですかね。あなたがよく私に聞かせてくれたみたいな。奥さんと料理を作ったとか、お子さんと釣りに行ったとかそんな話してくれましたよね。寝る前に絵本を読んで、勝手に続きを考えたとか。それが楽しかったとあなたは言っていた。その『楽しい』というのがこれなのかな、と思って」
やめてほしい。本当に食べづらくなるから。いや、やめないでほしくもある。たった一人の、一つの、話し相手だから。
「こういう時に相手のために言える言葉って何かありますか。私はぜんぜんそういうの知らないですから。とっておきの言葉を教えて欲しいです」
俺は少し考えた。エリンギはわかっていて言っているのだろうか。だって俺がいつもエリンギに言っていたから。話を聞いてもらえることが嬉しかったから。ほんとんど誘導尋問じゃないかこんなの。
「『ありがとう』とかじゃないかな」
エリンギは微笑んだ。初めて見る表情だった気がした。
「ありがとう。早く食べてくださいね」
エリンギに何度もありがとう、と言ったことはあったけれど、エリンギにありがとうと言われたのはこれが初めてだった。
俺はエリンギの頭を包丁で裂いた。家はまた静かになった。
エリンギはもう口を利けなくなった。ただの物言わぬ食べ物となった。俺の呼吸の音だけが聞こえた。静かだ。静かすぎる。自分以外の存在と関わるから人は寂しくなる。最初から自分しかいなければ、ずっと繋がっていて分かり合っていれば、寂しくなることなどない。なんて残酷なことをさせるのだろう。離れていても菌糸で繋がっていられたら良かった。そうすればずっと繋がっていられたのに。どうして人間はきのこになれないのか。
俺は泣きながらエリンギの頭を食べた。今まで食べた中で一番歯ごたえがなかった。もう随分古くなってしまっていた。
こんな残酷な仕打ちをして、国は俺に死んでほしいのだろうか。ああ、きっとこれは遠まわしな口減らしなのだ。こうして精神にダメージを与えて、死なせようとしているのだ。じゃなきゃこんな悪趣味なことをするはずがない。
ドアをノックする音がする。
戸を開けると、さっき食べたエリンギとうり二つのエリンギが立っていた。
「私はエリンギです」
俺は転びそうになりながら駆け寄って、エリンギの手を取った。そっくりだけど違うエリンギだった。寂しい、と思った。でも目の前のエリンギはきっと、あのエリンギの妹なのだろう。
「おまえが姉妹と菌糸で繋がっていた所に連れて行ってくれ」
エリンギは首をかしげた。やっぱりさっきまでのエリンギとは違う顔だった。でも、同じエリンギであることには変わりなかった。
俺はみすみすやられっぱなしで死んだりしない。だから、せめてもの抵抗がしたい。エリンギよ、どうかそれに付き合って欲しい。
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