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天の使い

合評会2026年5月応募作品

曾根崎十三

5月合評会お題「イラン」応募作品。何度か書き直しました。詩っぽい気もします。アイキャッチ画像は毎度おなじみPhotoAC(https://www.photo-ac.com/)引用:宮沢賢治「よだかの星」https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/473_42318.html

タグ: #合評会2026年5月

小説

3,905文字

「迎えに来たよ」

私は部屋のドアを開けてずかずかと入っていく。

私はあなたをどこへも連れていくことはできない。でも、あなたはいつも天使様の迎えを待っているので私はそう言うことにしている。私は天使様ではないのだけれど。

「なんか白黒のポテチがあってレアだから買ってきた」

じゃじゃーん、と私は鞄からモノクロパッケージのポテチを取り出してみせた。

ベッドから起き上がった姿のあなたと目が合う。何かの文庫本を読んでいたらしく、ぱたんと本を閉じた。

「君はバカだから知らないかもしれないけど」

あなたの歯に衣着せぬ物言いに私は安心する。

「イランでは戦争が起こってるの」

「もう令和なのに?」

「もう令和なのに。戦争は教科書上の話じゃないんだよ」

私はへー、と呆けた顔をしていたと思う。あなたは呆れた顔で私を見る。

「プラスチックとかインクの材料を、戦争してるせいで運んでこれないの」

「大変だね」

「そう。大変」

あなたは幼子にするように私の頭を撫でた。

「だからポテチの袋がモノクロになったの。分からないならその手にあるスマホで検索してごらん」

私が買ってきた色味のないポテチのパッケージを横目に、あなたは諭すように言った。

撫でられながら私はスマホでイランの戦争を検索する。ネットで検索しても、文字ばかりでよくわからない。私は文字を読むのが苦手だ。馬鹿だから。国語は分からない。なのでキーワードに「グロ」を足して検索する。そうすると、温度のある情報が出てくる。瓦礫の山になった町で血を流している人たちの動画や、遺体安置所の写真。馬鹿にも分かるように伝えてくれる。柔らかな布団に頬を乗せて、あなたの温かい手に撫でられている幸せな私とはかけ離れた光景だった。幸せからかけ離れているということは理解した。馬鹿は想像力がない。馬鹿は自ら調べることを知らない。「悲惨な現実」と言われてもどんな状況なのか想像できない。なので、画像や映像で見せられれば分かる。だから授業中、教科書より図録を見ている。その方が分かるから。小学校の図書の時間は図鑑を見ていた。文章がなかなか理解できないのでなるべく写真のたくさんあるものが良かった。学習漫画も置いてあったけれど、漫画は人気すぎてのろまな私が手に取る間もなく人の手に渡ってしまう。

あなたは私を毎日待っている。

あなたが外に出られなくなってどれくらい経っただろう。私がニュースを分からない分、あなたは分かる。あなたが外に出られない分、私は外に出る。私が何も分からなくても、あなたが分かっていさえすれば良い。私はあなたがいて完成する。

「沈黙の塔、行ってみたかったな」

あなたの布団に頬をうずめる私を撫でながら、あなたは言った。

「元気になったら行こうよ」

ひょっとしたらこれが今のあなたの元気なのかもしれないけれど、かつてあなたが外に出ていたことを思うと、これは元気ではないのだろう。

沈黙の塔が何でどこにあるのかも分からなかったけれど、あなたが行きたいところなら行きたいと思った。おもしろいところでもつまらないところでも、地獄でも天国でも、何でも良かった。あなたが行きたいというなら、連れて行ってあげたいし、連れて行って欲しいと思った。

「簡単に行けないよ」

「外国?」

「そう。イラン」

「戦争で危ないから無理だね」

覚えたての知識を使う。

「そうじゃなくても、もう無理だと思う」

「外国だから?」

あなたは黙る。沈黙の塔、という名前にかけてるのかな、と思った。突っ伏したままあなたを見上げると、遠い目をしている気がした。ここにいるのにいないかのような。どこを見ているのか分からないような。ここにいて欲しいのに。私を置いてどこか遠くへ行ってしまう気がした。

「外国に行きたいの?」

あなたとの距離を埋めるように私は言葉を発した。言葉は音になり、空気中で漂う。あなたと私を埋める手助けにはならない。

「いいえ、空に」

あなたは窓の外に広がる青空を見ながらまっすぐに天井を指さした。天井と屋根をぶち抜いた先には真っ青な空がある。指をさすあなたは人間ではない透き通った何かを超越した存在みたいに思えた。お釈迦様って生まれた時に天を指さしたんだっけ。地面だっけ。どっちだ。

それはほんの少し前の話の気もするし、もう随分前の話の気もする。私は頭が悪いのであなたがいないとそんなことも分からない。私、何も分からないんです。あなたがいないから。

あの日、あなたは消えた。ミサイルが撃ち込まれて、あなたの家を含めてみんななくなってしまった。どこか遠くで起こっている戦争は無関係だ。あなたの身に危害が及ばないなら。ここで起こっている戦争は関係がある。あなたを奪ったから。スマホで見たみたいな光景だった。全部が画面の向こうみたいに思えて。現実感がなかった。あなたがいない現実なんて、現実ではないから。あなたは見つからない。死体すら見つからない。指一本、髪一本すらも。どこがあなたの家だった場所なのかもわからないくらいの状態で。空を見上げると、鳥が飛んでいる。雑食の鳥ならば、猛禽類でなくとも死体を食らうだろうか。遠い青い空に吸い込まれるように飛ぶその鳥はたしかに死者を天に導く使いのように思えた。

あれから調べたのだ。私だって。

あなたがいなければ私は馬鹿ではいられなくて。中途半端に知識をつけて。中途半端にあれこれ考えて。不完全だ。あなたがいないから何も分からないのに、あなたがいないから私はあなたを頼らずに考えたり息をしたりしなければいけなくなった。

そうだ。あなたの望みは。

どぶ川を流れてきた髪束があった。きっと死体の髪だろう。腐肉が毛根側にまとわりついていた。髪はなかなか消化されないし土にも還らない。かえれない。どこにもいけない。ゴミにまみれた長いそれは、私のものではない。ならば、これはあなたの髪だろうか。この髪があなたの髪だと証明することはできない。しかしながら、どうしてこの髪があなたのものではないと証明することもできない。なので、これをあなたの髪とする。

私は髪と共に歩いた。天使様が来て欲しい、といつかあなたは言った。穢れを払い天に導いてくれる存在。不浄の肉体を捨て、高い高い空へ。だからあなたは鳥が好きだった。部屋を出ないあなたはベランダで鳥に餌付けをしていた。鳥は天の使い。天使様だ、とあなたは言った。私があなたの天使様になります。鳥でなければ駄目でしょうか。翼がなければ。この空を飛べなければ。なるべく高いところへ。高く高く。ビルがあれば、それに登りたかった。でもビルはなかった。電柱もなかった。鉄塔もなかった。壊れてしまった。崩れてしまった。なので、なるべく高い山だか丘だかに私は向かう。目に見える高い所へ。手の届く高い所へ。足で行ける高い所へ。天に近い所へ。足を引きずり、血反吐を吐き、這いつくばって、天に近い所へ行く。陽が昇り沈みまた昇り私を照らしつける。焼き殺そうとじりじりと。しかし、指に絡めた髪の毛だけは離さなかった。雨風に打たれ糞尿にまみれてもあなたの髪の毛は絶対に届けなければいけなかったから。

天へ天へ。天に近づけ。あなたの死肉をついばみ、天へ運ぶ猛禽類に。なれなくとも。その代わりであっても。その代わりなどではない。私は鳥。私はあなたの死肉をついばみ天高く宙を舞う鳥。もっと高いとこへ。

山頂に一本の木が残っていた。後世に語り継がれるような木だった。木がある、と思っただけでなかったのかもしれない。これは私の記憶の中の木であって、目の前の木ではないかもしれない。しかし私はその木によじ登った。よじ登る体力などもうないはずなのに、私はあなたの髪を天に差し出すために天へ天へと近づくのだ。太陽は近づかない。星は遠いまま。雲にすら届かない。陽が昇り沈みまた昇り私をやき、また沈む。星々が私を見下ろす。天はまだ遠いのだと。こんな重い体では届かないのだと嘲る。もう出すものがないほどであっても棒きれのような体でも嗤われている。鳥のように軽やかに舞うことはできない。穢れを背負った肉体では。

どうか私をあなたの所へ連れてって下さい。やけて死んでもかまいません。

一羽の大きな黒い鳥が私の元へ舞い降りた。夢か幻だろうか。私の両腕ほどありそうな大きな鳥だった。私はその鳥に握りしめた髪束を差し出した。鳥はその髪束にはまるで興味を示さず、大きな嘴で項垂れた私の腕を啄んだ。ああ、幻であっても髪は私の望みを、あなたの望みを叶えてはくれないのだ。

あるいは、もう既にあなたは天に召されていて、この鳥は私を迎えに来た天使様、すなわち、あなたではないだろうか。ああ、どうせなら、そうであってほしい。せめてそれくらいは現実であって欲しい。それが私に分かるさいごの現実なのだ。どうかこの私を肉体から解き放ち、あなたと一緒に天に昇らせてくれないか。しかしながら、夢を抱けない私はそんなささやかな願いすらも信じることができないのだ。そんなわけないだろう、とどうしても思ってしまう。だから、私はあなたと違って天使様に救いを望むこともできないし、鳥に肉体を天へ運んでもらうことにも希望が見いだせない。この先にただの消化と排泄だ。私に宗教があれば良かった。私の宗教はあなたしかなかった。それなのに、私は完全に信仰することができなかった。信じる者は救われる。信じない者は救われない。信じないのではない信じられないのだ。どうしてもそうと、淡い期待を信じることができないのだ。

情けなくてこぼす涙ももう残っていなかった。

「迎えに来たよ」

声がした気がした。これだけは否定できない「気がした」だった。

© 2026 曾根崎十三 ( 2026年5月22日公開

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