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東京失恋施工要綱

無花果回

失恋した夜、感情を事務にしてしまえば耐えられると思って、マニュアルを書いた。けれど、条文のほうが先に壊れた。「愛、していた」と打とうとした指が、勝手に「愛、している」と変換してしまう。訂正しても、訂正者であるわたしが、訂正を信じていない。これは忘れる方法を書こうとして、まだ愛していると認めてしまった一篇である。雨と、月と、まだ逢ったことのないあなたへ、しずかに、ふって、いる。 

タグ: #恋愛詩 #詩

1,244文字

【東京失恋施工要綱】

 

第一条 立入禁止区域
中央線、下り、夕日の差す窓側の席。
神保町、坂の途中、三軒目の古書店。
彼方あなたが「これ、すき」と言った詩集の、
折り癖のついた頁。
高円寺の踏切。
手を振った場所。
手を振られた、わたしの側。
以上を、立入禁止とする。
ただし、夢のかよひ路における侵入は、
これを黙認する。
黙認とは、
見なかったことにして、
毎夜、見てしまうことである。

 

 

第二条 可燃ごみ
貰った言葉のうち、
「またね」
「いつか」
「たぶん」
「おやすみ」
を、可燃ごみに分類する。
ただし、燃やしたあとの灰を、
捨ててはならない。
灰は、隅田川の水面みなもに、
ゆっくり、撒くこと。
灰が、浮かんでいるあいだだけ、
係員わたしは、業務上、泣いてよい。
なお、涙は水質汚濁に該当しない。

 

 

第三条 あぃなき
胸の奥で発生する、
名づけられない音を、
仮に、「あぃ哭」と呼ぶ。
それは、
投函されなかった、午前三時の手紙の音であり、
消し忘れた変換候補の音であり、
愛、と打って、
会い、と出て、
逢い、と直して、
ぜんぶ消した指の音である。

 

愛、している。

 

 

第四条 訂正
前条末尾、誤記あり。
「愛、している」は、
「愛、していた」の誤りである。
──いや。
「愛、していた」は、
「愛、している」を
過去形に逃がそうとした、
係員わたしの不正な処理である。
訂正、と、する。
訂正者は、
訂正を、信じていない。

 

 

第五条 雨について
夜半二時以降の、
新宿の雨に、立ってはならない。
立つと、傘の骨が、
ひらがなになる。
あ、と、め、しか、のこらない。
──あめ。
なお、
あい、から、い、を抜くと、
あ、だけが残る。
あ、とは、
泣き出す直前の口の形である。

 

第六条 環七、外側
環状七号線の外側に、
まだ逢ったことのない彼方あなたが、
ひとり、
夜勤あけの自販機の前で、
缶を、温めている。
逢えば、わたしは、たぶん、
その手を、
あたたかいね、と言って、
握りそこねる。
その、握りそこねかたを、
まだ起きていない未来のくせに、
すでに、わたしは、覚えている。

 

 

備考 忘月ぼうげつについて
「忘月」とは、
忘れたふりをして見あげる、月のこと。
月の字は、
雨垂れの形に、少し、似ている。
わたしたちが、
何度、からになっても、
月は、勝手に、満ちる。
満ちる、とは、戻ることではない。

 

 

禁止事項
ひとつ。
本要綱を、未来の自分に、渡さないこと。
ひとつ。
「もう平気」と記載しないこと。
ひとつ。
あなた、という音を、
不用意に、発音しないこと。
ただし、
雨音にまぎれた場合は、
この限りでない。

 

 

附則
本要綱は、効力を、持たない。
効力を持たないまま、
わたしの胸部、左側、
および、
中央線沿線の夕方において、
いまも施行されている。
ここまで読み了えた、あなた、は、
すでに、わたしのなかで、
あなた、から、
ただの、音、になり、
音から、
あめ、になり、
雨から、
まだ、名づけられないものになり、
そして、
しずかに、
ふって、
いる。

© 2026 無花果回 ( 2026年4月28日公開

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