京浜東北線が西川口を発車した。向かいの車窓から、西川口の喧騒が遠ざかっていく。春がどんどんやり取りされている街だ。どんどんされればいい。しかし、春! 俺に思春期はあったのか? そもそも、「思春」という漢字は何から由来しているのか? 俺にとってその時期は、尾崎豊のステレオタイプな曲の様に大人に反抗し続けた時期ともいえなかったし、イタリアのソフトコア映画の様に異性を追いかけまわすものでもなかった。ただ、俺とこの国の関係を疑い続け、そして俺の自我が一時死んだ時期である。
その時、ぞろぞろと、四人ぐらいの、薄緑色の制服を着てベレー帽をかぶった連中がこの車両に入ってきた。一目で、「自警団」だとわかった。何の法的根拠に基づいているのか知らないが、少なくともそう名乗っているのだ。今や日本各地の都市で設立が行われている。小学校四年生ぐらいの男子が集って木の棒を持ち喚きながら遊んでいるアレとどう違うのだろう? 実態のない権威に取り憑かれ、曖昧な「治安」だの「公序良俗」だのを体現したと思い込んだ、「十五円五十銭」を甦らせたいらしい連中の顔とはどんなのものなのか。俺は毎回この連中を見るたびに、その顔を凝視してやった。川口近辺の自警団は近年の「ガイジン」問題に対する自警団モデルを自認しているのか、衣装には金をかけているようだ。だがそれを纏っているのは薄い目をして鼻を膨らませた、ただの中年の男たちに過ぎない。そしてその一人が、俺の前で止まった。
「ツクルディ?!」
何を言っているのかわからない。泥酔しているのだろうか。川口方言とでもいうのだろうか。
「ツクルディ! ツクルディ!?」
そう叫ぶ奴の顔を凝視していると、頻繁に瞬きしている。ふと横を見ても、他の乗客たちは何も反応を示さず手元のスマホを眺めたりしている。なるほど、電車の中で狂人が叫び出した時と同じ反応だ。少なくとも俺は叫んでない。その時、黙っていた他の自警団員が口を開いた。
「おい、わざと聞こえないふりをしているぞ」
「クルド人だろこいつ。ちゃんと聞いてるのに」
なるほど! 俺をクルド人だと思ったのか。
「俺は日本人だが、何か問題あるか?」
俺の言葉に、自警団員たちは、顔を見合わせて、しばし硬直し、そしてそのまま進んでいった。謝罪も、言い訳すらもなかった。本当に、この一分に満たない時間の出来事を、全く記憶から消し去って、彼等は自分の自警団人生を再び歩み始めたのだ。俺も今日は酒が入っているので幾分狂人の真似をして大道を走る準備が出来ていた。
「おい! 何か言う事あるだろう自警団! 俺は日本人だ! 何から自警してんだ!」
自警団が俺に絡んでいた時は見向きもしていなかった乗客たちが、ぎょっと俺を見た。その差は何なのか分からない。自警団は足早に去っていく。俺ももうあの連中に関わる気がしない。自警団員のツラというのをしかとみた。しかしどう説明すればよいのか言葉が浮かばない。ただ、自分の人生ではなく、権威に身を任せる人生を生きるようになるとああなるのか。何の根拠にも基づかないのに権威を後ろ盾にしたいだけの欲望が人の顔を持った時、あのように硬直し、そして「都合が悪い」という状況すら最初からなかったように振舞う。そもそも地元を愛しているのなら、そして彼らがいう所の「『日本人』のための日本」を取り戻したいのなら、活動家同士でつがいを作ってラブホなりに行ってセックスして子どもを増産すればよいのだ。なぜそれをしないのだろうか。今はあのように制服の連帯感に包まれていても、いずれ過疎地域の消防団の様に、しがらみと淀んだ慣習にまみれ、日本人同士で憎しみあうのだろう。バカめ。そして俺もバカだ。俺は、自分を日本人と説明してしまった。俺も結局自分の言葉が、産み出せないのだ。学校で虐められ、全てに殴り返していた時、俺は少なくとも日本語で表しえない自分の言葉を持っていた。今は無い。南浦和。俺は降りるしかない。
何十年経ったのかわからない。俺は記憶の渦からまた目覚めた。さっき見ていた夢は2024年頃の記憶だった。ある時期から、日本がクソになればなるほど、俺の人生がわずかにマシになっていった。ホロウェア端末のクソAIに聞いてもわかる。日本は今や中堅国ですらなくなりつつある。俺は自分のYoutubeチャンネルを開いた。並んでいるのは、正気の乏しい顔をした日本人達だ。立ちんぼ。パチンコ屋の店員。市役所で怒鳴る老人。深夜の量販店に巣くうヤンキー。フードデリバリーの様子。何十年も変らないそれらの風景に、俺がじかにスペイン語の字幕を付けている。「Juan.Bs canal japonés locos」。毎日微々たる金額が俺の下に入ってくる。2026年ごろから始め、すでに累計15億回以上再生されている。俺は自分の身近な世界が、狂い行き、壊れ行く様子を、ここに残したのだ。そうして俺はホロウェアに口笛を吹いて、最新ニュースを再生させた。5年前に年金制度や保険制度を廃止した新自由主義政権の竹中内閣が、今度は学生の教科書を自由化させようとしているという。俺は舌打ちした。教科書よりも早く天皇制を「自由化」すべきだ。実力のある者をドシドシ天皇にするか、廃止するか。その時、俺の部屋のインターホンが鳴った。久しぶりだ。大体のやり取りはすべて端末で行われる世の中になってしまったのだ。俺はもう何年も身だしなみを部屋着か外着かくらいでしか判別できていなかったので、インフレ価格25000円で買ったステテコ一丁のままドアを開けた。そこにはスーツ姿の男が二人、くしゃくしゃな顔をして立っており、お辞儀をしてきた。
「髙井ホアンさんでよろしいでしょうか」
「ええ」
「あの、さいたま市とよだにこにこ商事総合連鎖販売記念区の広報・観光課のものなのですが」
区の命名権を奇妙な会社に売ったために長ったらしくなった自称を名乗りながら、役人たちは名刺を渡してきた。
「えー、豊田、商事?だっけ……何の御用です?」
「髙井さんのチャンネルについて、是非ちょっと、観光政策の参考にさせて頂きたく……」
俺は区長室で、区長の背後に見えるさいたま市の薄雲った光景を眺めた。もう何年も、目立った新しい変化がない。東京近郊のこの地域ですらインフラの維持が難しくなっている。そして、区長の深いため息が聞こえた。そうだ。もう、ベトナム人もクルド人もネパール人も、仕事をするために日本に来なくなった。つい最近までアフリカの最貧国からどうにか労働力を入れようとしていたが、それも大々的には成功していないようだ。そして俺の様な混血にすがるしかなくなったのか? 女性の区長は、Xvideos限定で公開していた、俺がかなり値引きした立ちんぼとセックスするハメ撮り動画を流していたホロ端末から目線を戻し、何か震える声を絞り出していた。
「あの……日本の新しい魅力を、その、引き出す、いい動画ですねえ」
「本当にそう思ってる?」
「も、もちろん」
俺は自分の立場が強いことに気付いたので、大げさにうなずき、条件を突き付けた。
「名誉でも何でも良いから俺を副区長と広報課長にしてくれれば、どんどん呼び込むよ」
「『そうもうくっき!わくわく民間登用部門』制度があるので、任命できます」
「早漏クッキーだか何だか分かんないけど、よろしく頼むよ。給料は?」
「月額で3200000円……」
インフレの波が激しいので、果してこれがどんな価値なのかも今や察しづらいが、生活には困らない額だ。
廃校を全部店舗型風俗のビルにしたり、放射性廃棄物保管施設を誘致したり、区のスローガンを「人口増産」にしたりしているうちに、俺は国の「地方自治体観光奨励賞」を受賞した。俺は「ドシドシ天皇」Tシャツを身につけ、京浜東北線に乗った。薄汚れたステンレス製の電車に、まばらに人が乗っている。みんな死んだ顔をしている。比喩ではない。もはや社会生活を維持できない顔をしている。何かの底が抜けた顔だ。衣食住、余暇、そしてセックス。あらゆるものに否定に否定を重ね続けた末路だ。所謂途上国に先祖返りするとかではなく何か別の、恐ろしい社会実験で新しい死の形を発明する社会になってしまった。そして俺はそれに反抗を企てている。反抗……。
更に年が経ち、俺は大手町から皇居を望み、両脇に大勢の富裕層観光客を引き連れていた。
「ハハハ、ジャップ」
日本人の子どもたちが、遠巻きに我々を眺めている。そして観光客たちは、ハトにパン屑をやるように、子どもらにスニッカーズやM&Msの子袋を投げ渡していた。この様子自体が観光だった。俺は観光客たちに、一言では言い表せない日本社会の失敗により子どもたちは飢えていることを伝えると、観光客たちはますます笑いながら、群がるガキに菓子を投げた。
「もう満足しましたか? じゃあ次は、皇居に案内します。天皇が出迎えてくれます」
「イエー」
俺は観光客たちをマリオ電磁カートに乗せ、皇居まで案内した。モーター音を上げながら二重橋を渡る。痩せこけた顔をした天皇と皇族たちが、古ぼけた皇居の前に立ち、観光客たちに手を振った。
「スシ、スシ!」
「ワンダフォー」
俺は天皇に愛想を良くするように合図したが、天皇はどこをみているのかわからない表情で薄笑いを浮かべるだけだった。天皇が菊門入り饅頭をカートに乗った観光客一人ひとりに手渡しした。俺も天皇から饅頭をひったくり、口にしたが、口の中でぼろぼろと崩れ微妙な味がした。
その後、俺は追加料金を払った男性陣を引き連れ、新宿に向った。かつてトーヨコと呼ばれていたそこは更に空き地が拡大し、娼婦や男娼が入り浸っていたが、我々の姿を見ると群がってきた。
「いいですか、性病には気を付けて。ゴムはした方がいい」
「オーケーオーケー」
俺は観光客に注意だけすると、カートを降りた。やっと昼食だ、と思ったその時、目の前に、みずぼらしい自警団の制服を着て日の丸鉢巻きをした中年の男が駆け込んできた。短刀を持っている。
「髙井ホアンーッ! 天誅ーッ」
特攻だ。面白い。戦時中の特攻は連合国軍の重要艦艇を標的としていたが、つまり俺は空母や戦艦並みの存在感を持つに至ったのだ。しかし彼にはもはや守るべきものなど敗戦直前の日本以上に、ないはずだ。お前は既に負けている。俺も。しかし、特攻。意義はともかく、その、情緒だけは、わかる。若者一人を載せた戦闘機を空母にぶつけ、数百倍の損害を導き出すだけでなく、そこに個人の生命以上の何かの接続を見出そうとする精神。そうだ。分からなくはない。そして、それを何故、少数者や弱者が、日本に対して行ってはいけないのだろうか。走馬灯の間に、警備員たちが容赦なく男を射殺した。さらに、外国人たちが面白がって死体と記念撮影を始めた。
「ウェイ! カミカゼーッ!」
俺は男の死体から目をそらした。その先で、ホテルに行くまで待ちきれないのか、ブラジル人の男が魔法少女のコスプレをした立ちんぼと、避妊せず青姦を始めていた。次第に何人かがそれに続いていった。俺は新しい希望……何かの蘇生を感じた。
鹿嶌安路 投稿者 | 2024-03-19 16:54
思春期の移民のアイデンティティを導入に取り上げ、その舞台を西川口からスタートさせたことが、後に来るジンテーゼを期待させるように思いました。
大猫さんの作品と繋がるところがありますが、命や再生、継承のテーマを「特別攻撃」や「自己犠牲」につなげるのがどうしようもない流行なのでしょうか。かなり考えさせられました。移民問題や観光を考える時、日本に希望を持って入国される方々に向けてどのような国にしたいのか。超インフレで貨幣価値をコントロールできなくなった仮想近未来の日本を舞台とすることで、本作は移民問題を議論するためのアンチテーゼを提唱することに成功したと思います。
大猫 投稿者 | 2024-03-24 15:28
久しぶりにJuan.B王道の作品を拝読して嬉しく思います。
「自分の言葉を持たない」苛立ちの中に、思想思考の深化を見た気がします。
幼稚で狭小なナショナリズム、みんなでヘドロ風呂に一緒に浸かっているような気持の悪さ、今の時代を感じます。
川口の自警団はまだそこまで行っていないとは思います、念のため。
近未来の日本観光ツアーは笑えませんでした。
マジでこうなるような気がする。
ところでお題とのつながりがよく分かりませんでした。
臨死体験はどこに?
小林TKG 投稿者 | 2024-03-25 13:11
いっそこうなってくれた方がいいんじゃないか感。最高。最&高。いっそこうなっちまえば、夢だ希望なんてそんな事いう奴もいなくなるでしょうねえ。歌詞とか映画のテーマにもならなくなるでしょうねえ。そうなってくれたらいいなあ。もうこうなってしまえばいいなあ。
松尾模糊 編集者 | 2024-03-25 13:21
いつものJuan.Bの勢いを感じました。インフラ日本もリアリズムを感じるほどに、現状のヤバさを改めて思い知ります。
諏訪靖彦 投稿者 | 2024-03-25 15:52
髙井ホアンを副区長と広報課長にしなければいけないほど切羽詰まっていたんですね。ホアン節全開でなかなか面白い話の展開だと思ったのですが、お題の「二回目の臨死体験」が分からなかったです。ぎり一回目の臨死体験っぽくはあったけど。
深山 投稿者 | 2024-03-25 17:49
とっくに行き着くところまで行ってるのにみんな気づかずぬるま湯だと思ってヘドロに浸かってるみたいな地獄が近未来っぽかったです。
あとどんなに日本が落ちぶれても寿司は人気だろうなと思いました。
冒頭の電車内が一回目、最後の「新しい希望……何かの蘇生」を感じる前が二回目の臨死体験、と思って読みました。死にきれない感じが。
曾根崎十三 投稿者 | 2024-03-25 18:43
このまま順調に衰退するとこんな未来も突飛な話ではないですね。何十年か経ってもXvideosはあるのか……。
皆さん仰るように久しぶりのハチャメチャで楽しめました。
そして、私もどこが1回目の臨死体験かわからなかったです。自我が死ぬ臨死体験?
退会したユーザー ゲスト | 2024-03-25 19:30
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退会したユーザー ゲスト | 2024-03-25 19:32
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