ハワイの某島、美しい海岸に面した、この間三階建てに増築された開業産婦人科「ベビーメーカー・ヤマモト」の一診察室で、日系人デザイナー産科医のヤマモトは客の話を聞きながらだんだんと項垂れていった。延々と続く身の上話の終りに、引きつった声が響く。
「……と言うことです。先生、私たちの気持ち分かりますよね」
「……」
ヤマモトは無言で瞑った目頭を押さえ、鼻の奥で息を吸うような音と共に、わずかに頷きの様な姿勢を取った。植物の葉が擦れ合う様な音がした。ヤマモトは瞑った暗い視界の中で、なんでこうなっているのか自問自答を繰り返したが、答えが出ないので、目を開けた。
「コムロさん、それで……」
ヤマモトはコムロの脇に置かれた、巨大な植木鉢とそれに植えられた植物に目をやった。男が、植物の上のビニール被覆を取り外した。それはアボカドの木だった。
「子ども作りたいよな、マコ」
マコと呼ばれたアボカドは、しんとして何らそれらしい意思を見せない。
「先に言ったように、マコは確かに人間としては死んだ、まあ死んだかもしれない。ですが、アボカドとしては生きているんです。マコの人間としての肉体は朽ち果てましたが、その栄養が、いや、ピュアな精神は、このアボカドに受け継がれた。ううん、受け継がれたでもないな。そのものなんです。人間マコ=アボカドマコ。な、マコ」
コムロは、マコと呼んでいるアボカドの木を掴み、ゆさゆさと揺らした。
「うんうん。そうだよな。分るよ、マコ。先生、俺は山より海派だったけど、でも山も海も雄大な自然、ガイアの一部なんです。マコはアボカドが好きだったんだ。だから俺はマコが死んだとき、亡骸と一緒にアボカドの種を埋めたんです。そうして生まれたのがこのアボカド。なあ先生、これはガイアのメッセージでしょう。俺は弁護士です。そして、地球を弁護する」
「ええ、ええ……そうですね……」
ヤマモトは部屋の時計に目をやった。もう一時間半も話している。相談時間が長引けば長引くほど報酬が得られるが、いつまでこの話を聞いていればいいのか、見当もつかなかった。ヤマモトは言葉を選びながら、目の前の、堂々たる体格と筋の通った顔つきをした、困ったことに顧問弁護士でもある男性をどうにか宥めようとした。
「コムロさん、そのですね……その、アボカドとの子を作る、ということについて、こう、えー考える決心を為された、それはとても重いことだと思いますが、何分、その、やはりヒトの、男性と女性が子をなすということより、ね、こう、大きな世界と向き合うことになりますから、例えば、まず、メンタルヘルスの病院で、一旦カウンセリングを受けながら考えてみるのは……」
コムロはヤマモトの一言一句、区切りの度に頷いて聞いていたが、カウンセリングという話が出ると、頭を振った。
「先生。俺とマコは正常です。俺達は何度でも、様々な問題を潜ってきました。交際も結婚も一筋縄では行かなかった。そしてマコは死んでしまった。でも、ここにアボカドとして帰って来てくれた。なあマコ」
コムロは、マコと呼んでいるアボカドの木を掴み、ゆさゆさと揺らした。ヤマモトは肩を落とし、仕方なく次回に回すことにした。
レストランの一角から海辺の雄大な景色を眺め、何十ドルもするロコモコプレートを食べながら、ヤマモトは物思いに耽った。たまに食べているのに、今日はなぜかロコモコのアボカドソースに嫌気がさした。かと言って残す気も無く、アボカドを奥歯で噛み締めるようにして喉に通した。その時、目の前に人影が現れた。
「ヤマモト先生ですね」
「……?」
「私はこういうもので……」
ヤマモトの返事も聞かず、黒いスーツの男が名刺を差し出して来た。「宮内庁 特命係……三島……」と書かれた名刺を見て、ヤマモトは視線を上げた。硬直した顔つきの、三島という男は微かに顔を揺らして、ヤマモトに何らかの反応を促している様だった。
「何ですか? 私は食事中でね」
「申し訳ありません、ヤマモトさん。お会計はお支払いします。話を聞いて頂けませんか」
「私は日本語は分かるが読めなくてね。その名刺に何が書いてあるかもわからない。私は一人で食事をしているんだ」
「コムロさんの件についてお話を聞きたいのですが」
ヤマモトは食事の手を止め、三島の顔を再び見上げた。三島は目じりを寄せ、媚びとも威圧とも取れる目付きを見せつけていた。
「何のことか分からない。これ以上私に関わるな」
三島はヤマモトの抗議を無視して顔を寄せ、引きつった早口で話しを続けた。
「コムロは気が狂っています。これは我が国の国体に関わる事で、先生にはその対処をお手伝い頂きたいのです。すでに他の協力者も集まっています。謝礼は確実に……」
「お前らに人の愛をどうこう語ったり邪魔する資格はない! 出ていけ!」
ヤマモトの声を聞いて、ウェイターや厨房の男達がぞろぞろと集まってきた。三島は男たちを一瞥すると足早に退散していった。ヤマモトは、いきり立ち震える手でナイフを掴んでいた。そして、一瞬、あれではコムロとの関係を察せられてしまったという後悔が心を過ったが、次第に、何か物質的な利益や矮小な種族と言った物を超越した感情が心の中に湧き上がってきた。
診察室に一際大きな声が響いた。
「先生。 本当ですか」
「ええ、コムロさん。是非そのアボカドのマコさんとのお子さんを作れるようにしましょう」
「できるんですか。 凄く嬉しいなあ、な、マコ」
「良いんです。コムロさん。アボカドのマコさんの染色体情報とコムロさんの精子の情報を組み合わせます」
ヤマモトは、コムロが狂喜すると思っていたが、コムロはやけに冷静だった。それでも、彼はアボカドのマコを掴んで揺らしていた。
「コムロさん、身辺には気を付けられていますか。これは議論を呼ぶことですから」
「それが最近、マコの実家の人間が何か騒いでいる様なんです。でも、世界で一番、俺がマコを愛しています。何があろうと、気持は変わりません」
何かすれ違った返答を聞きながら、ヤマモトは頷いた。しんとしたアボカドは二人の間で黙ったまま動かなかった。
医院の一室で、コムロから提供された精子の情報を映した、高精細ディスプレイを、ヤマモトは何度も眺めた。何度も疑い、手を震わせ、そして嗚呼と声を上げた。近くにいた助手が駆け寄った。
「先生、やはり……」
「ああ……大変だ。私は最初、人間とアボカド、と思っていた……。違う、違うんだ。コムロは……人間ではなかったんだ」
ディスプレイに表示された、コムロの染色体は22対だった。
「私も確認しました……染色体は44本です。まだ詳しい検査に回せてはいませんが、イルカに極めて似ています」
「イルカ……イルカ人間……」
「哺乳類ではありますが……どうしましょう、先生」
どうする、と聞かれて、ヤマモトは顔を天井に向け仰いだ。大変だ。しかし、何が大変なのだろうか。もちろん、人間のことしか学んでいないヤマモトにとって、今度のことは大変だった。だが、事態は更に重大だったのだ。そして、ヤマモトは暫し目を瞑った。初めて会った時のコムロの顔が浮かんだ。そして自分はあろうことかメンタルヘルスまで勧めてしまった。そして次に、三島の顔が浮かんだ。彼はコムロの何をどこまで知って、自分に接触して来たのだろうか。だが何がどうあれ、あのような態度の奥底に潜むもの、そしてそれが崩す幸福を、ヤマモトは見過ごせなかった。
「……やろう」
「えっ?」
「やるんだよ。コムロさんとマコさんの子どもを作らせてあげるんだよ。人間とアボカドと聞いて、みんな狂ってると思うだろう。俺も思った。だが、もう良いじゃないか。イルカとアボカドでも、大した違いはない。愛が大事なんだ」
コムロは、医院の二階のテラスから海岸を眺めていた。傍らでは、アボカドのマコが海風に当たって葉を揺らしている。しばしの沈黙の後、コムロはヤマモトに背を向けながら語った。
「先生。何もおっしゃらないですね」
「……」
「もう分かってるんでしょう。俺が……」
「ガイア……」
「ん?」
「染色体だとかオスだとかメスだとか関係ない。みんな、違いは無いんです」
「先生が、以前、あのYoutuberのお子さんの出産を手掛けられた時、思ったんです。ここしかないかと。でも、最初来た時、先生は、正直に言って乗り気ではなかった」
「ええ……でも、私はある奴、というか連中に出会ってね……こんなことで困惑してちゃあいけないと思ったんですよ」
潮風の中で、ざわめきが大きくなってきた。
「コムロさん。お子さんが産まれたら、どうされるんですか」
「……」
コムロは黙して答えなかった。
ある日、コムロの手に、緑色の肌をした、人面アボカドとでもいうべき小さな塊が、ヤマモトから手渡された。コムロはまじまじとそれを上から下からと眺めていた。しかしその横にはアボカドのマコの姿は無かった。枯れてしまったのだ。コムロは言葉を発することも無く、ただ涙を流し、何度も頷いた。ヤマモトも、何も言葉を発せなかった。おめでとうと言うべきなのか。その時、コムロは意を決したように、ヤマモトに言った。
「食べます。食べて、全てと一つになります」
「……」
コムロは、我が子のはずの人面アボカドにかじり付いた。人面アボカドは声を発さなかった。そして、全部食べ終えると、どう言う訳か種子は残らなかった。コムロはヤマモトに深く礼をすると、医院の外に出て、空に向け何もかも包むように両手を広げた。物陰から三島と数名の男が現れ、コムロを囲んだかと思うと、数語のやり取りの内に抵抗されることも無く、バンに載せてどこかへ連れ去っていった。
数年後、東京の皇居で突如新種のアボカドが発見された。そのアボカドは無秩序に繁殖して地面の栄養を吸い上げ、皇居や一帯の環境を破壊した。毒々しい色をしたそのアボカドは駆除してもし切れず東京を覆い尽くし、食べようにも不味く食べられるものではなかった。
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