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破滅派18号「検閲」応募作品

Fujiki

小説

8,054文字

ルッキズムが極端に検閲される世界で見た目について語ることは可能か? 鈴木沢雉からの挑戦に藤城孝輔が受けて立った。

「彼女は、これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性だった」(一五三頁)

その一文が目に入った瞬間、検閲官は手にしていた本を部屋の反対側にある白塗りの壁に勢いよく投げつけた。単行本の固い表紙が激しい音を立て、床に積んであったコピー用紙の箱の上でバウンドして埃の積もった床にばふりと落ちた。ニューロンの配列が少しバグったのか、検閲官の脳裏には去年老人ホームから死亡の連絡をもらった母親が子どものころの彼に歯茎を見せて微笑みかける顔が浮かんだ。夏休み、裏山で山菜摘みに夢中になりすぎて帰るのが遅れた彼を家の玄関先に立って待ってくれていた日の顔だった。夕日の最後の残光が唾液で濡れた歯茎に反射してキラキラと輝いて見えた。

「もう、しょうもねぇ子じゃ。あぶねぇけー、山ばー行かんで家におれっちゅーとんに」と、苦笑しながら母親は言った。

当時はまだ父親が家にいて、母親と彼と双生児の妹と四人で暮らしていた——たしか。母親は普段からうかつなところがあったせいか、彼と妹をよく取り違えたものだった。女の子を諭すように彼を気遣う母親の顔を思い出しただけで検閲官の胃液は勝手に逆流してきて、乾いた彼の喉を苦く焼いた。

その本は午後のタスクとして彼に割り当てられたうちの一冊だった。とある人気作家の最新の短編集である。検閲官は本を精査し、(一)「配架」、(二)「検閲意見を添付のうえ書庫に保管」、(三)「一部修正/削除のうえ書庫に保管」、(四)「焚書」のいずれかの評価を与える。だが、彼の検閲意見がなにがしかの効力を持ちうるきわめて小さな世界のなかで(四)「焚書」の評価を出したところで、すでに広く市場に流通してしまっているものは止めようがない。彼にできることは、悪意ある闖入者——テロリストと呼んでもいいだろう——が彼の目の届く世界に禁書を持ち込んでこないことを指をクロスさせて祈るくらいである。彼の長いキャリアにおいてテロ行為は頻繁というほどではないが、何度か目撃している。金切り声が世界に響きわたり、卒倒者が出て、救急隊が駆けつける。いつも犠牲になるのは、ただ平和に本が読みたいだけの無垢なる市民と決まっていた。

それにしても、これはひどい。さすがにひどすぎる。短編集のなかの一編だけが問題であれば、(三)「一部修正/削除のうえ書庫に保管」という処置もありえたはずだ。書庫にはそういった検閲本や要注意本が無数に眠っている。ところがだ。「おまえは顔はぶすいけど、身体は最高だ」(一二頁)、「彼女はぼくの好みの顔立ちではなかったにせよ、いわゆる美形だった」(二八頁)、「彼女は美しい少女だった。少なくともそのときの僕の目には、彼女は素晴らしく美しい少女として映った」(七五頁)、「年齢の割に身長が伸びすぎた女の子が大概そうであるように、とりたてて可愛い見かけではなかった」(八八頁)……。一五三頁にたどり着くまでに検閲官はすでに無数のポストイットをその本に貼りつけていた。一五三頁の一文はラクダの背骨を折る最後のわらの一本だったというわけだ。これが作者の検閲官に対する意図的な挑戦、反逆、テロ行為でなかったとしたら、いったい何だというのだ。焚書だ、焚書! 焚書しかありえない!

評価の良し悪しの問題ではない。評価すること自体が問題なのだ。他人の容姿を評価できる立場にあるという揺らぎのない確信。その評価の責任を引き受けることのない安全圏にいるという驕慢。検閲官の使命は、そんな評価の言説を評価することにあった。たとえそんな言説が世界の外側を食い尽くそうとも、彼が守るささやかで清潔かつ平和な世界においてはそれらは断固として排除されなければならない。言説は知らぬ間に人の心に忍び込んだかと思うといつの間にか主人のような顔をして居座り、行動を制御するようになる。人は、本来的には他者に属する言説が欲望するものを自分自身の欲望と取り違える。男が一度しとねをともにした女を醜いと感じ、自分の判断が誤っていたのではないかという不必要な疑念を抱いてそれまでその女と築き上げてきた家庭を子どもがレゴブロックを崩すときに感じるような爽快ささえ感じながら徹底的にぶち壊して別の女のところに行ってしまうのは、言説がかつて正しく世界を見ていた彼の眼球をむしり取って代わりに他人の目玉を眼窩に植えつけるからだ。他人の目玉でものを見るくらいなら盲目でいたほうがはるかにましである。盲目であったならば、最も近くから差し伸べられる手を何の評価も疑いもなく握りしめ続けたことだろう。

 

世界には彼を含めて四名の定住者がおり、二十名ばかりの常連訪問客がおり、毎年百名近くの冷やかしの旅行客がいた。まあ彼自身もそうであったのだが、彼以外の三名の定住者たちはみな彼の使命に賛同し、世界の外側から聖域を求めて亡命してきた人たちだった。みな世界の外側では他人からラベルとしての名前を与えられ、あるいは名前をつけ、それ自体に深い意味があるはずもないラベルを自分の本質と取り違え、自分の判断を他人の言説に譲り渡していた。今は検閲官である彼自身も、もちろん例外ではない。

うちのおかあさんさ、はっきりゆうてぶすやからね。かおみてもおどろかんでよ。授業参観の前日になると、彼はクラスメイトを集めてそんな話をした。わらうと、きいろいすきっぱとはぐきがみえるし、ひとえまぶたやし、あとでかけるときはかぶきやくしゃなみにおしろいぬりたくってかくしとるけど、みぎがわのほっぺにおっきいしみができとるんよ。ちずちょうにのってるおーすとらりあみたいなかたちしたやつ。ようかくせるわ、あんなでっけぇの。おんなってこえぇこえぇ。当時の彼自身は気づいていなかったけれど、汲めば汲むほどますます湧き出してくる彼の饒舌はもちろん他人からぶつけられるに違いない品評会の言説を先回りして牽制しておくためのものだった。誰よりも先に品評会にかけて吊るし上げておけば、それ以上に彼の母親を吊るし上げようとするやつは出てこない。そもそも、そんな品評会がじっさいに開かれるかどうかは怪しいものだったが、はじめから蓋然性は彼の眼中にはなかった。彼が他者の言説を恐れるよりも先に、他者の言説が彼の眼球に浸潤していたからである。彼の口から出てくる他者の言説を聞いたクラスメイトたちも、空元気で不安を隠すかのように勢いづいて他者の言説を口から吐き出す。その場にいない他人の言葉がいつのまにか彼/彼女らのあいだをグルグルと循環していた。双子の妹——彼はもうその名前さえ忘れてしまった——は区別がつかなくなるので毎年別のクラスに割り当てられていたが、彼女も彼と同じことをしていたことを彼は知っている。性別は違っていてもお互いの心の底まで手に取るようにお見通しだった。

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2022年10月16日公開

© 2022 Fujiki

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