ことしの夏は花火がなくおわった。おまつりがすべて中止になったせいだ。しかしどうしても花火が見たいのであれば、きんじょのスーパーマーケットで花火セットを買ってくるなりすればよかったのだ。そうすれば、どこかの日曜日の夕方、宵闇がおりはじめるころに、うちの庭で夫婦ふたり、線香花火をながめ、立ち止まる時のあわいに身をゆだねることもできた。
げんに去年はそんなふうにした。日々のしごとに頭をしめつけられ、どうやってもおまつりに足がむかなかったある週末のことだ。さいごの線香花火のさいごの光のつぶが地面に落ち、妻は「ちょっとさびしいね」とつぶやいた。来年は元気になってくれよ、とかのじょはつづけた。ぼくのことだから、すこし泣いただろう。
それから一年が経ち、ぼくはしごとを辞めた。退職届を出す際、上司には「いま辞めたら殺す」とすごまれた。その前日にぼくは、妻から「いま辞めなかったら殺す」とおどされてもいた。じっさいに包丁をちらつかせてきたのは妻の方だった。それに、手づくりの花柄マスクをつけた上司は、いくら眼光するどくぼくを射すくめようとも、ちょっとこっけいだった。かれにも家庭があるとおもえば、ほほえましくさえあった。
さいごの出社日であるきょう、ぼくは職場のカッターナイフをだまって家に持ちかえってきた。帰宅から三十分としないうちにもと職場からスマートフォンに着信があったが、むしした。ひょっとしたら上司が家にくるかもしれない。ことによれば、家にくるのは上司ではなく警察かもしれない。そんなことをぼんやりとかんがえながら、二階のベランダでぼくは夕日をながめた。まだ蒸し暑かった。手にはカッターナイフをにぎっていた。ここから飛びおりることもできたし、手くびを切ることもできた。
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