カリスマ

吉田柚葉

小説

1,860文字

なんも思い付きませんでした。ま、そういうこともある。

「意識高い系界隈の終焉だ」と誰かがブログで書いていた。辻本タケシの経歴詐称が判明したのだ。あの、「元ヤンキーカリスマ起業家」の辻本タケシである。

意識高い系界隈ウォッチャーの私としても、これには驚いた。同じく意識高い系界隈ウォッチャーである友人の茂呂も驚いたらしい。「すごいことになったぞ」という文面のLINEが飛んできた。「すごいことになったね」と私は返した。

中学時代は生粋の不良少年。猛勉強の末に高専に進学し、さらに英語とエンジニア技術を死ぬ気で勉強。卒業後、パナソニックに就職するも、大学進学を目指して半年で退職。その半年後に東京大学に進学。八社を経営し、スワヒリ語とアラビア語の通訳もつとめる辻本はケニア親善大使でもある……。というこれらの経歴はすべて嘘であり、ほんとうは「中卒、ニート」だという。が、この「中卒、ニート」も嘘であるらしい。東大近くのFランク大学卒というのが真実だと専らのうわさだ。

「すごいことになったね」とLINEに打ってはみたものの、冷静に考えて何もすごいことになどなっていなかった。「意識高い系界隈」にいた少数の人間が絶望的な気持になっただけのことだ。否、案外誰も絶望的な気持になどなっていないのかもしれない。「辻本タケシみたいな起業家になりたい。あの人の背中が遠すぎる」とつぶやいていた、ツイッターアカウント名「ゆう」は絶望的な気持になっているやもしれないが、それとてどうだろう。やつも、辻本タケシ神話の片棒を担いだ、グルなんじゃないか。というのも、「私、辻本タケシは、これまで『東京大学卒業』『ハーバード大学院所属』『八社経営』といった経歴を掲げて活動してまいりましたが、それら経歴は全て嘘のものです。」、「本当は中卒ニートであり事業も行っておりません。」という辻本の一連のツイートに対し、「意識高い系界隈」の人間が誰一人として反応を示していないのである。「嘘だろ辻本さん」みたいなのもない。これはまったく示し合わせたかのごとくであり、前日にユーチューブのライブ配信で辻本と何か意識高いことを語り合っていた島崎隆でさえ、きょうは十三時半に「肉最高!」とつぶやいて、それからは沈黙をつらいている。おいおい、「明日からすげえ楽しいことになる」んじゃなかったのか。これ、「すげえ」というほど楽しいことではないぜ。……

私「それにしても普段から言ってることがペラくはあったよね」

茂呂「女は笑顔と愛嬌だ、とかね」

私「あれすごいよな。で、大学生、みんなメモとってんだよ笑」

茂呂「『女は笑顔と愛嬌だ』、って実際にノートに手書きしてみれば分かるけど、すごい拒否反応が出るんだよ。いくら意識高い系界隈の人でも、ノートとった瞬間、『いやいや……』と思ったと思うんだよな」

というやりとりののち、私と茂呂のLINEでの会話は終了した。どう返していいものか考えているうちに十分、二十分と経ち、そのうちに尿意をもよおしてトイレに入ると、会話をつづける気がすっかり失せてしまったのだった。そうして尿を出し切ると、辻本のこと自体に興味がうすれてきたのだった。せっかくの休日にこんなことばかり考えてもいられない。今の私に重要なのは、眠りにつくまでの残り八時間を全力で休み、明日への英気を養うことなのだ。

などと考えてベッドに横になると、とたん、ややもするとこんなものかもしれないな、と思った。茂呂はあのように言ったが、実のところ、辻本の意識高い講座に参加した大学生たちは辻本の話のメモなんぞ取っておらず、取るフリだけして、その意識高い空気を感じていただけなのかもしれない。明日からの就活をがんばるために英気を養っていたのかもしれない。

ふと思い立って、机に向かった。それから、ルーズリーフを一枚出して「女は笑顔と愛嬌だ」と書いてみた。なるほどこれはまったくばからしいことであった。だが、目のまえに辻本がいて、あの迫真の口調で同じことを言われたらどうだろう。私は、「女は笑顔と愛嬌だ」と思い、フンフンとうなずいてしまうのではないか……。

次の日の朝、満員電車の中で、副業のライティング案件を確認していると、「政府からの依頼」だというものが目についた。「昨今の、女性の権利を過剰に尊重しようとする風潮を揶揄し、世間に警報を鳴らす」ことを目的とする短文を求む、とのことであった。こんなものが「政府からの依頼」なのか、と馬鹿馬鹿しい気持になりつつ、外に目をやると、次の瞬間、電車はトンネルに入り、車内の電気が反射して、窓に私の顔が映った。

2019年11月8日公開

© 2019 吉田柚葉

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