ジャケットの左ポケットからの震えを知覚した瞬間、宮崎氏はどす黒い毒を丸呑みにした感覚に襲われた。躰の芯が抜け、「自分」と云う物が遥か頭上に吹飛んだ。これは比喩では無い。この時宮崎氏は、実際にその目で自分の脳天を確認したのである。
「意味が判らないな。」
そう言って時計を見ると、六時を少し過ぎた処であった。
「判らないと言われましても、現実にそうなんです。自分の意識が頭上に吹っ飛んじゃったんですよ。判って頂けなくても、実際にこれは自分が体験した事なのだから、仕方ありません。」
「まァ、好いです。続けてください。出来れば、簡潔に。」
私は苛々して言った。だが宮崎氏は、依然として自分の話すペースを崩さなかった。忌々しくもここに、一箇の「文体」が立ち顕れて来たようであった。
宮崎氏の意識が頭上に飛んだのは、時間にすれば僅か一秒にも満たない。最初の震えが来て、次の震えが来た時には、氏の視線は向かいのホームに向けられていた。宮崎氏の手は、本人のあずかり知らぬ処で、スマートフォンを取出し、通話マークをタップしていた。
「はい。」
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