岡本尊文とその時代(五)

岡本尊文とその時代(第5話)

吉田柚葉

小説

4,900文字

まァ、そう怪しいツテではないと云う事は保障致します。

それから一週間が経った。この間ずっと私は尊文から離れていた。現役の作家の評伝を書くと云う行為に困難が伴うのは承知の上であったが、このように、角を曲がった先に作者当人が待ち構えていると云う風情では、評伝が完成する/しない以前に、私の方が人間不信に陥りそうでおそろしかった。殊に季節は秋である。今年は特に台風が多く日本に上陸した。今もそうである。私がこの文章を綴っている部屋の外では、雨風、勢い凄まじく、突き破らん限りに窓を叩いている。今日は近所の市民ホールで『雨月物語』に就ての講演を予定していたのだが、避難勧告が出たとのことで、朝早くに中止の報告が来た。私は、その電話の音で目を覚ました。講演用の原稿を書くのは好い気分転換になった。講演が上手く行けば、その流れに乗って、尊文研究も上手く軌道に乗ってくれるのではないかと、そのような期待を持って、昨日の夜は床に着いたのであったが……、これではどうにもいけない。

私は、虚しい想いでその発表用原稿に目を通した。本来ならこう云う時にすべき事では無いのだが、どうにも気分が腐り、一寸自分を苛めてやろうと云う気を起したのであった。してみると、あれ程にスラスラとでた言葉たちが、尽く死んでいる事に気づくのであった。一文目から既にボタンを掛け違っているけしきなのだ。言葉は言葉を呼ぶが、そこには何らの生産性も無い。即ち内容が無い。これは研究者兼批評家にとって致命的であった。こんなものを市民ホールで発表したのでは……、いや、市民ホールでの公演が不出来だからと言って見ず知らずの誰かから後ろ指をさされることなんぞ在り得ることでないのは重々承知しているのだが、しかし誰が悪く言わずとも、他ならぬ私自身の目が、白々しく己を刺す事になるだろう。

それでなくても、私にとって上田秋成は大事な作家であった。大学の卒業論文は秋成で書いたし、ついこの間も、母校の大学で「小説家の俳句を読む」と題して夏季の特別講座を開き、その一コマの中で秋成を扱ったばかりである。尤も、秋成の俳句は、中村真一郎が『俳句のたのしみ』の中で指摘している通り、「小説家が書いた俳句」の域を出ないもので、「俳諧とは本来こんなものだろう」と半ば開き直ったかの如き大味の諧謔が見られる以外は、特にどうと云うことのない代物である。ものが大したことはないのだから、私の講義の出来不出来は特に問題とはされなかったし、私としても殆ど遊び感覚で講義を行えた。講義の最終日などは、学生に俳句を作らせてみたりして、ほとんどお茶会のけしきであった。あれは一寸好い加減だったと、今になって反省の念が押し寄せてくる。

尊文が駄目、秋成が駄目。

即ち、研究が駄目。

……私はインチキ研究者の烙印を己に捺した。

「君は一体いつになった秋成に就てまとまったものを書くんだね。」

ついこの間も、恩師の田原彰先生にそう言われたばかりだった。その時私は、前日から講演用の原稿を書き始めていた事もあり、嘘を吐いていると云う意識毛頭無く、

「今年中には発表したいと思っています。」

と自信満々に答えたのであった。本を出すどころか、講演までポシャッてしまったのでは、これはもうはっきり嘘を吐いた事になるだろう。

聞く処に依れば、田原先生は近頃痛風を患われたらしく、半年振りに二人で呑み屋に行ったと云うのに、好物である日本酒は一度も頼まれず、赤ワインと白ワインを交互に口にされていた。

「日本酒と近代文学だけに生きたようなものだったんだがねェ。酒が駄目になったら、研究の方もどうもやる気にならんね。サボりがちになる。痛風には、焼酎よりはワインが良いなんて言うが――本当かどうかなんて知らないよ、わたしは化学ばけがくなんぞ全く知らない――しかし美味くないもんは美味くないのだから、これだったらウーロン茶でも同じだよ。」

先生は、とろりとした目でそうおっしゃった。もう二十年来のお付合いになるが、先生が健康に就て何事かを仰るのはこれが初めてであった。

「君も気をつけなさい。君は愈々いよいよ酒の味を知らずにここまで来たが、まァ無理に知る事もない。秋成なら秋成で、西鶴なら西鶴で、戦後文学なら戦後文学で、好きに書くのが一番だね。」

断っておくが、私は決してアルコールに弱い方ではない。先生とご一緒させて頂いた時も、呑まないで済ませた事は一度も無い。むしろ人並み以上に呑んでいるつもりであった。それなのに先生は、私がアルコールを好まない事を見抜かれておられたのだ!

私はこの時、曖昧に頷き、半ば強引に、近頃発見された川端康成の幻の新聞連載小説「美しい!」の話題に転じた。……

さて、私の机上には今以て尊文の未発表原稿の束が積まれてある。これらは尊文の評伝を書くにとり、さしあたっては紙屑に過ぎない。新たに資料を収集する必要がある。とは言え、避難勧告が出ている以上、外に出ることは叶わない。そもそも大学も図書館も閉まっている。どうやら私には、これらと付合うより他にすべき事が無さそうである。講演の練直しも、今日はやる気が起きない。

途端、携帯が鳴った。私に講演を依頼してきた、高校時代の旧友で、今は市民ホールで館長を勤めている男である。私は、それに応じた。すると、こちらが第一声を発するより前に、謝罪の言葉が飛び込んできた。

「いやァ、申し訳ない、せっかく用意して頂いたのに……。」

電話口からは、かすかに風が窓を叩くような音が聞こえた。私は、別に構わないと言った。それよりこれは流れてしまうのかと問うと、

「いや、それはまだ決まってないんですがね、しかしせっかくなので、また日を改めて講演して頂けたらと、まァそう考えてはいるんですがねェ。」

私は、自分としてはどちらでも構わないと言った。練直したいところもあったので丁度好かった、とも。

「ところで、君、聞くところによると、なんとかって云う作家に就て調べてるらしいじゃないか。えーっと、確か富山県出身の……。」

むなぐらを掴まれた心地がした。館長が尊文のことを言っているのは明かであった。私は、

「まァこちとら貧乏暇なしでねェ、とにかく本を書かなくちゃならないので、何人も平行して研究してるからなァ……しかし富山出身となると、岡本尊文の事かな。」

と慎重に言った。館長は、そうだ、オカモトソンブンだ、オカモトソンブン、と幾分芝居掛かった調子で言って、

「いやァ、それで何かわたしにも手伝える事は無いかとおもうんだがねェ……。」

と、世にも甘ったるい声で言った。私は今すぐ電話を切りたい心地であった。現在私が尊文の評伝に着手している事実を知るのは、極々身内の編集者数人だけである。過去に尊文に就て論文を書いた事も、学会で口頭発表をした事も無い。

私が黙していると、館長は、取作るが如く、

「いや、ちょっと小耳に挟んだだけなんだよ。なんと言っても講演して頂くのだから、今どんな研究をなさっているのか気になっただけで……。うん、それでね、岡本尊文と言えば、なんと言っても有名な作家だし、ちょっとツテがあるもんで、それが役に立つかどうかは判らないが、おまえにはどんなもんかなァ、と思って……。いや、ね、資料があまり揃わなくて困っていると云う話を聞いたもんですから丁度好い話があって、ね。」

と言った。私には館長の声が気持悪かった。何らかの探りを入れているけはいがありありと感ぜられた。突如ぶちこまれた「おまえ」という言葉も、プライベートではいつものことであるが、この文脈にあってはどうにも脅迫的に響いた。私は、

「どうにも話がよく判りませんが、そもそもどうして私が尊文研究をしていることをご存知なのでしょうか。どこで小耳に挟まれたのか、はっきり仰って頂かないと、気持悪いですよ。」

と云った。すると館長は、

「いや、それは詳しくは言えませんが、まァ、そう怪しいツテではないと云う事は保障致します。色々とイベントごとをやっていると、様々な人脈が出来ますから、思わぬ処から思わぬ情報が入って来るんです。」

と意味不明な事を言った。明かに焦っている風である。おもえばこいつは昔から嘘が下手だった。それなのにすぐに嘘を吐きたがった。

「思わぬ処と云うのもよく判りませんな。私の知る限りで言えば、私が尊文の評伝を書いているのを知るのは担当編集者の岡崎君くらいのもので、なんと言っても年単位の計画でやっているプロジェクトのまだほんの初期のところですから、編集部と云ったって、どれだけの人に知られているものやら……。」

「ああ、そうだ、おもい出した、そう、岡崎君だ。そうそう。岡崎君から聞いたんです。いや、ちょっとした集まりに岡崎君が来られてまして、ね。」

ちょっとした集まりと云う言葉に、私は期せずして噴出しかけた。なんだそれは。私は、笑いを堪え、「岡崎君はどんな人でしたか。」

と問うた。

「あまり強い印象は無いな。しかし丁寧な、いい年格好の男性だったと……。」

この答を聞き、私の不信感は頂点に達した。

「岡崎君は若い女性ですよ。」

私がこう言い放つと、館長はここにきて居直ったのか、悪びれる様子無く、

「あァ、男性だったかな。じゃあ違う岡崎と勘違いしていたようだ、いや、失敬失敬。」

と、あっけらかんとした調子で言った。

私は、目が眩んだ。最早これに付合う必要は無いと判断した。

「そうでしたか。それで、情報を提供して頂けるとの事でしたが。」

「そうです。いや、ね、私の甥の友人に宮崎達治という奴がいましてですね。最近、一寸付合いができまして。で、そいつも研究者をやっているのですが……。」

宮崎達治なら知っている。一昨年に『島崎藤村と中上健次』で文芸批評家としてデビューしたばかりの新鋭である。『島崎藤村と中上健次』は、中上の晩年の未完結作品である『鰐の聖域』を本格的に論じた数少ない論考との事で、この界隈では少し話題になった。私も読んでみたが、タイトルのわりに、内容はむしろ『「鰐の聖域」と「アナトール・フランス」』と云った趣で、石橋を叩いて渡る式の緻密な論の進め方は好印象であったが、論全体としては少しく中心のぼやけている感じがした。とは言え、序文の「中上健次を成仏させる」云々の記述は面白かったし、真剣に時代と向き合おうとする気概も感ぜられて、読んで失敗だったと云う感じは無い。

「……で、ね。そいつが岡本尊文の研究をしている人と会いたがっているらしいんだよ。面白い情報を持っているので是非とも共有したい、と。」

「それで私の事を言ったのか。」

「ああ、そうなんだよ。なるべく作家研究として尊文を深くやっている人が好い、って云うんで、丁度岡崎君の話も聞いていた処だったし、じゃああいつがいるじゃないかとおもって。」

全く、不自然な話である。館長は云うまでも無く市民ホールの館長であって、いくら顔が広いと云ったところで、精々が地域レベルの話で、殊文学に於ては、岡本尊文の名前もパッと出てこぬような男である(尤も、名前がパッと出てこなかったことは演技かもしれぬが)。そんな男に、そのような相談を持ちかけると云う事が在り得るものか。気付くと私は、背中にしとどの汗を掻いていた。

「私はその場にいなかったのでどんな経緯でそんな話に及んだのか一寸想像もつかないし、せっかくの話で申し訳ないが、私でなくてもっと長く尊文を専門にしている人の方が良いんじゃないかな。それなら、知合いに一人いるし……。」

「いや、宮崎君は君がいいって云うんだよ。」

「本当かよ。」

「そう。だから会ってやってくれないか。まァ最終的には君の判断で好い。とにかく電話番号を教えるから、書き留めておいてくれ。」

私は、手元にあった尊文の原稿の裏にその電話番号を走り書きした。

「もしかすると電話を待っているかもしれないから、出来れば早いうちに頼むよ。それじゃあ、今日は本当に失礼致しました。講演に就ては又、追って連絡致しますので。じゃあ、また。」

館長は早口でそう言って電話を切った。私は、書き留めたばかりの電話番号をうつろに見つめて、今暫くは何もする気が起きなさそうだ、と呆然とした。

2019年5月2日公開

作品集『岡本尊文とその時代』第5話 (全14話)

© 2019 吉田柚葉

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