私はカヨさんの承諾を得て其れらの原稿をお預かりした。しかるに、今私の机の上には、件の「下書きノート」とカヨさんからお預かりした尊文の中学時代の習作原稿が一緒くたになって積まれている。
三日が経った。その間に私は其れらの原稿に目を通す事をしなかった。或いは、その他の尊文の資料及び作品群にも目を向ける事の一切を自分に禁じた。親子揃って私を罠にかけてやろうと云う厭らしい魂胆がちらちらして、不愉快であったのが其れの第一である。或いは、そうした決めつけで以てこれらの資料に眼を通すのは、研究と云う行為にとり甚だ不都合だと感じたのが其れの第二である。
いずれにしても、これらの存在は私の私生活に重く圧し掛かって来た。己に張りついた色眼鏡を外さねば、まっさらな目を取戻さねば、と焦れば焦るほど、机辺から尊文の含み笑いが立ち現われる気がして、そうなると総てが無意味に感ぜられ、虚無に足許を絡め取られる錯覚に取憑かれるのであった。
私は生活に対し集中力を切らしていた。簡単な事務作業であっても、私の手は震え、幼稚なミスが度々生じた。
そうして四日目、殆んど眠る事が出来ず、夜明け前に目覚めた私は、遂に、重い頭を支えて机に向かった。原稿用紙の束は、右から見ても左から見ても、上から見ても下から見ても、紛う方無き新品であった。其れは如何にも挑発的な姿勢に映った。尊文の有罪は明かであった。私の胸は怒りに燃えた。尊文の努力むなしく、原稿用紙をシュレッダーにかけてしまおうかと云う考が浮かんだ。しかしすんでの処で踏み留まった。先ずは文章に眼を通す事にした。せめてどのくらい急ごしらえで書いた物なのか見てやろうと云う気が起きたのである。其れにどうせ尊文の事だから、私が破こうと破くまいと、後生大事に原稿のコピーをとっているに違いないのである。
原稿用紙の束は、大体二十枚前後で綴られていた。其れが六束、其れぞれホッチキスでとめてある。芯が刺さっている付近には折り目がついておらず、従って読み返された事が無い物と考えられる。上から順に見ていく。
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