岡本尊文とその時代(一)

岡本尊文とその時代(第1話)

吉田柚葉

小説

2,870文字

小説家岡本尊文(一九六一~)は本名を岡本謙二と云った。

小説家岡本そんぶん一九六一~)は本名を岡本謙二と云った。筆名を用いたのは、文筆活動を始めるにあたって周囲の者の眼を憚ったためであり、それを「尊文」としたのは、とりもなおさず「文」という一文字への愛着のためである……、とは本人の言であるが、端的に言ってこれらは嘘で、本当は本名がどことなく歴史小説家をおもわせるからであった。

しかるに尊文は平生より通俗小説家と呼ばれる事を嫌った。たとえば彼には、二十代の終りから三十代の初めに掛けて、幼稚な恋愛小説や低俗な探偵小説やサブカルチャーに関するエッセイの類をあたら書き殴った時期があったが、その頃の作品は私の手元にある年譜の中には記されていない。これは尊文の指示に拠るものとおもわれる。しかるにwikipediaの「岡本尊文」の項から著作一覧に飛ぶと、その時期に執筆されたものを詳にすることが出来る。

 

一九八九年(二七~二八歳)

 ・『恋せよ、スザンヌ!』

『異次元マフィア 佐々木宏和1 くたばれ!東京タワー』

『甘いコオロギ』

『受け皿の憂鬱』

『アンダーポイント』

『なにわの難波料理』

『死の教室』

一九九〇年(二九~三〇歳)

『hip hop が好きで何が悪い!?

『スカイラブ』

『ロマンチック街道1990』

一九九一年(三一歳)

『蝶の殺人』

 

この他、ロックミュージック系の月刊雑誌『ROCKIN’ON』に寄稿したエッセイや、一九九一年に「柳沢智一」名義で幻冬舎から出版したミステリー小説『夜光虫』(一九九一)等がある。どれもあからさまなやっつけ仕事であり、これらの作品に於て現在の我々の目を以て読むに耐えるものは一冊もない。或いは、発表された当時ですらコンビニのザラ本の如く読み捨てられたに相違ない。私の記憶にして欺かずば、この頃の尊文は世間の目を少しでも引こうと欲するさもしい料簡からか、テレビのワイドショーへの出演及びその場での暴言の類が悪目立ちしていたとおもう。「フェミニストとかくだらない」という発言は、常時より喧嘩ッ早い尊文であったが、この時に限っては特定の誰かから何かを吹っ掛けられてのものではなく、その場の思いつきでただなんとなく云ってみた、というけはいであった。尊文は、問題発言をする際、決まって声が裏返った。緊張で顔が赤くなった。この時も、番組冒頭からゆらゆらと落ち着きなく何度も足を組み直し、スタジオ内の会話なんぞ全く耳に入っていない様子で、さあ、言うぞ、言うぞ、とでも己に言い聞かせている如く見えた。だから私は、尊文の奴、又何か仕掛けるつもりらしいぞ、と早々に予想せられたのであった。隣に座る大学教授に累が及ばねば好いが、とは私のむなしい祈りであった。

又、尊文は自己顕示欲の強い人物であった。幼少より運動も駄目、勉強も駄目、おまけにはみかみ屋と来れば、残された道は、画力を鍛えるか文章力を鍛えるかの二つしか無かった。即ち、漫画か小説である。しかし画筆を以て遊ぶ事は尊文の好むところではなかった。或いは、自分の漫画の才能に対して早々に見切りをつけた。漫画本の類は幼少の頃より愛読したが……、更にはそれをものにして人々の注目を浴びたいとの欲求も人並では無かったが、いざ鉛筆をとると元来の完璧主義が邪魔をして一作品もまともに仕上げることの出来ない有様であった。したらば、デッサン力を身につければ好いのだけれど、そうした「汗水垂らして」の努力は尊文の流儀に反した。尊文は忽ちにして絵筆を折った。昭和四十九年、十三歳。中学一年の年である。

……どうやら私は少しく筆が滑りすぎたらしい。とまれ、尊文の人生最初の挫折に到るまでの十三年間に於て採るべきものは何も無い。富山県生まれ富山県育ち、両親二人に、兄弟なしの純然たる一人息子である尊文は、絵に描いた如くの温室育ちで、この間をして彼の生涯に渡る「努力嫌い」が形成されたと考えれば考えられないこともないが、私の目算に因れば、これは自然発生、即ち尊文の元より生まれ持ったものが頗る大きいと見えた。おもうに、尊文が物心ついた時には既に勉強嫌いの運動嫌いは出来上がっていた。しかしそのどちらも教師の目につくほどに不出来ということはなく、単に向上心が欠落しているに過ぎなかった。学内で風紀を乱すという事はない。授業中、極たまにおどけてみせる事も在ったが、ひときわ目立つと云う程でもない。故に、富山県小矢部市という何も無い土地で尊文の自己顕示欲ははちきれんばかりに膨張しつづけていたとおもわれる。しかるに、その時期に描いた短編漫画の下書きの内、ノート三冊は、或る特殊なルートを辿り、至極綺麗な状態を保って私の机上に転がっている。

なんのことはない、ただの大学ノートである。コクヨから出ているもので、一〇冊いくら、と云う程度のものである。表紙にはボールペンによる筆致で「下書き」とある。尊文の悪筆はこの頃からのものと窺える。全部で三冊あり、順に紐解いて行くと、一冊につき一作品が充てられている事が判る。それらのタイトルを書き写すと、『宇宙少年ウラン』、『魔法使いカラー』、『魔法使いカラー2』という具合である。前者は『宇宙少年ソラン』から、後者は『魔法使いサリー』からの盗用であろう。近年行われた尊文のインタビューには、「あの頃は大して小遣いなんて貰ってなかったから、漫画が全巻揃えられなくてねぇ。自分でつづきを予想なんかして、よくノートに漫画を描いてたですよ。あれが創作の一等初めにあたりますかな。」とある。しかしこの三冊はどれも物語の一番初めから始まっており、それから先も原作をそのままなぞる形で話が展開される。パロディーと云うほどのものでもない。しかるにここからは尊文の想像力の働きと云うものは、微塵も感ぜられない。多くの小説家志望が達人の文章を原稿用紙に書き写すに倣って、尊文も見本となる漫画をノートに書き写していた、ととらえることも出来ないではないが、それにしてもこの絵はちと不味い。おおよそ絵心と云うものが欠落している。「下手だから全集には載せらんないね(笑)」とは尊文の言であるが、そういう問題ではないだろう。

或いはこれより後のノートには尊文オリジナルの漫画が描かれて在るのやも知れぬが、それらは残っていないと云うのだから、こちらが勝手に憶測するより仕方が無い。拠って、私はただこの三冊のノートを見るに留める。すると、これが案外な吸引力を以て私を惹きつけるのを感じるのであった。即ち、「自分のオリジナルな物語を書く技能が無いために漫画を諦めた」という尊文自身の口から語られたエピソードと、「他人の物語をそのままコピーして遊んでいた」という事実は、矛盾しつつも、しかしそれが尊文なのだという気がしてくるのである。そうした理由から私は、ここにノートの事を記すに及んだ。しかし研究者の眼を以て見れば、これらは、尊文の初期衝動と云うよりは、彼の生涯に渡る承認欲求の萌芽、或いは、元来の「運動嫌い」をこそ補強する資料と云えそうである。

2019年4月28日公開

作品集『岡本尊文とその時代』第1話 (全36話)

© 2019 吉田柚葉

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