絶滅者

hongoumasato

小説

6,362文字

人間は生きるに値するか? 少女の復讐、始まる。

一人一人に問題はあれど、そんなことは気にせずに幸せな家族達との平穏な時間を楽しみ、大切にしていた「わたし」。
しかし、ある時から夢に異形のモノが現れ始め、時を同じくして、大切な家族達が他の
人間達に奪われてしまう。
異形のモノにより、「わたし」から「ワタシ」となり、少女は家族を取り戻すため、人間達の「否定」を始める。

プロローグ

 

わたしは、多くの人間を「否定」してきました。

わたしは、多くの人間を「否定」します。

わたしは、多くの人間を「否定」し続けます。

 

けれど、わたしは「否定」することを望んでいません。

でも人間達が自ら、わたしに「否定」させるのです。

 

富・地位・名声……それら俗物的なものに、何一つ魅力を感じません。

わたしは――家族といたいだけ。

家族と過ごす幸せな時間――それだけが願い。

 

けれど人間達は、そのささやかな望みすら破壊しました。

わたし達家族の穏やかな時間を、静かな生活を、ささやかな幸福を奪おうとする人間がいるなら……わたしはその者達への「否定」を躊躇いません。

もしも世界中の人間達が、わたし達家族の愛の聖域に土足で踏み込んでくるのなら……。

その時は、人類全員を「否定」します。

 

忘れないでください。

わたしには、それが不可能です。

でも、忘れないでください。

ワタシには、それが可能です。

 

 

第一章 わたし

 

 

人間のわたしについて、記します。

 

都心に近いけれど、閑静な住宅街にある我が家。心和むクリーム色の我が家。
小さな花々が咲く小さな庭を通って家に入ると、玄関のラベンダ―が、優しい香りで迎えてくれます。
玄関をくぐると、すぐ脇には障子戸の和室。畳のとてもいい匂い。
奥にはダイニングとキッチン、そして家族が集うリビングがあります。
二階には家族四人分の個室がありますが、誰も自室に籠ったりしません。
誰かの部屋に遊びに行ったり。
ダイニングで母の飛び切り美味しいコ―ヒ―(弟はココアですが)を飲んで談笑したり。

リビングでテレビをつけずに、家族全員で談笑したり。
我が家は、わたし達家族に安らぎと幸福を与えてくれる憩いの場。
我が家は聖域なのです。誰にも邪魔されたくない、汚されたくない、聖域なのです。
だからこそ、わたしは「ワタシ」になって、この聖域を守り続けたのかもしれませんね。

「ケンちゃん、もう寝る時間よ」
階下から聞こえる、母の優しい声。弟の賢治が、リビングでゲ―ムに夢中なのでしょう。毎晩のことです。
「はーい……」
弟の未練たっぷりの返事。ゲ―ムを続けても、母は決して怒ったりしません。何度も優しく言葉をかけるだけ。けれどそこで調子に乗れば、雷より怖いわたしがやって来ることを知っている弟は、仕方なくゲ―ムを終了します。これも毎晩のこと。
「お母さん、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」母の穏やかな安眠への誘い。
「お母さん、わたしも寝るね! おやすみ」
二階にいたわたしは、踊り場から母に眠りの挨拶。
「はいはい、おやすみなさい」心を癒してくれる、母の笑顔。
わたし達はもう寝ますが、母はまだ眠りません。
銀行に勤める父の帰宅を待つのです。
仕事でクタクタに疲れて帰宅する父も、母の笑顔で、全てが癒されます。
静かに流れる、幸せの時間。

 

そんな穏やかな夜、夢を見ました。それは悪夢以外の何物でもありませんでした。
漆黒の空間に仁王立ちしているのは――異形のモノ。灰色の体躯は巨大で、背丈は二メ―トルを軽く越えています。そして鎧のような強く固く不自然な筋肉。
その巨体の腰回りだけを、真っ赤な布で覆っています。
指から生えた歪な三角錐の爪。全身を覆う濃い体毛は全て黄金色。
そして首から上。ライオンとヤギを合わせたような頭。両方の側頭部から、黄金色の頭髪を突き破って、湾曲した大きな角が生えています。
鋭角に尖った顎。顎鬚の隙間から、鋭く獰猛そうな牙と真っ赤な舌が垣間見えました。
何より鮮烈なのは、その目。鋭角に釣り上がり、黄色く濁った光を放つ双眸。
異形のモノは、漆黒の中でわたしをジッと見詰めていました。微動だにせず。
見られているだけで、足元から這い上がってくる恐怖。
生まれて始めて味わう、絶望的な恐怖。
あの不気味な目を見たくないのに、目を逸らすことを許さない破滅的な眼力。
――この怪物は……本当に本当に邪悪。
この空間を包む漆黒の闇よりも暗黒な存在。
わたしは夢の中で、気絶するように意識を失いました……。

 

翌朝。
目が覚めても、まだ恐怖を感じていました。全ての毛穴から流れ出す冷や汗。
あの異形のモノの邪悪なオーラを、まだ感じます。
瞼の裏にチラチラと浮かぶ、醜い金色の体毛。何よりも、あの目。
この世に存在する全てを否定する破壊力を宿した、あの目。
思い出すだけで、わたしの心臓は破裂しそうです。
一体、あの怪物は何だったのでしょうか。
ふと、気付きました。
自分が失禁していることに。
わたしは手早く下着を洗濯しました。
けれど一家の朝の準備のため、毎朝早起きする母に見つかってしまいました。
母はわたしを見て、目を輝かせました。
「……お母さん、違うよ」
母は笑ったままでした。でもその体は、一回りも縮んでしまったよう。
「やっと娘にも来たのね」という期待と安堵を裏切るのは、とても辛いことでした。
母はそれ以上、わたしが早朝に下着を洗濯する理由を尋ねませんでした。

 

わたしは、一家の洗濯物を干していました。下着だけは、自分の部屋で乾かしましたが。
「おはよう。毎朝ご苦労さん」
細身で眼鏡をかけた父が、ベランダのわたしに朝の挨拶。
一番ご苦労さんなのは、父なのですが。父は昨夜も遅くに帰宅したのに、もう起きてワイシャツ姿です。けれど、疲れた顔は決して見せません。少なくとも、わたし達家族の前では。
丸顔で童顔、全体的にまん丸の可愛らしい体型をした母が、家族みんなの朝食を作り始めます。
寝坊助の弟も起きてきました。父親似の小柄な体。
「ふあぁぁ……今日も明日も日曜だったらいいのに」
「起きるの遅い!」わたしと弟の毎朝の挨拶。
何かゴニャゴニャ言いながら、弟は顔を洗いに行きました。自然と笑みがこぼれます。
新しい一日は、お互いの笑顔で始まります。
家族みんなで囲む朝食のテ―ブル。穏やかに流れる、朝の優しい一時。
朝食後、わたしと弟は小学校への登校の準備を始めます。
この辺りから、弟の顔は曇り始めます。弟は、本当によく頑張って登校しています……。
「二人とも行ってらっしゃい。車に気をつけてね」
いつもと変わらぬ母の笑顔。それを見た瞬間だけ、弟の顔に少し元気が戻ります。
「うん、行ってきまーす」
「じゃあお母さん、行ってきます」
専業主婦の母を残し、わたし達は家を出ました。

わたしと弟は同じ小学校。いつも一緒に登校します。
「お父さんさあ、また日曜は用事が会って、出掛けるんだってさ」
「仕方無いよ。お仕事だもん」
弟のいつもの愚痴に、わたしのいつもの返事。
「ゴルフが? お父さん、いつからプロゴルファ―になったの?」
吹き出してしまいました。弟も冗談で言っているので、微笑んでいます。
家族唯一の悩み。それは、父の激務。中々、家族全員で遊びにいけません。
でも一度だけ、家族全員で遊園地に出掛けました。あの一日は、永遠に忘れられない、忘れたくない宝物の一日。
沢山の人混みに揉みくちゃにされました。
「みんな! お父さんの体のどこでもいいから掴んで! 絶対にはぐれちゃ駄目だよ!」
わたし達は、必死で父の服や腕を掴みました。
「お姉ちゃん、ここで迷子になったら……ずっとお姉ちゃんともお母さんともお父さんとも会えなくなっちゃうような、そんな気がする」脅えた小動物のような目をした弟。
「大丈夫! わたし達が離れ離れになるなんて、絶対無いから」
当時のわたしは、自信満々にそう答えたものです。
大人気のアトラクション前。
「うわあ! 待ち時間一時間だって!」弟が驚嘆の声を上げます。
「一時間、休憩だと思えばいいさ。これから一時間は、みんなでお喋りの時間だよ。そうだ、お父さんアイス買ってくるよ」
「僕、チョコバニラ!」現金な弟。
美味しいアイスクリ―ムを、家族みんなで食べた一時間。そして、沢山話をして、沢山笑った一時間。最高の一時間!
何よりも鮮烈に覚えているのは、家族四人で一番前に乗ったジェットコースター。
低速でカタカタと車体を震わせながら、レールを上っていきます。早くも、弟の賢治の目に溜まる涙。そして最上に到達。一瞬車両が止まり――凄まじい勢いで落下!
あの快感! あのスリル! 魂が肉体から切り離されたような浮遊感! 弟が発した、女の子のような「キャ―ッ!」という悲鳴を、わたしは今でもからかっています。

 

ある朝。ゴミ捨ての日。
「お母さん、ゴミ捨てるの手伝うよ」両手にゴミ袋を抱えた母を見かねて、手伝おうとしました。
「いいのよ。もう制服に着替えてるでしょ。それより、学校に遅れちゃうよ」
でも汚れていけないのは、母の綺麗な服の方だと思うのですが。
母はいつも綺麗で、それに見合った値札のついた服を着ています。でもそれは、見栄などではありません。物心つく前から、それが当たり前の環境で育ったから。
朝食を摂っていると、母が帰ってきました。その変わりように、わたしは呆然となりました。綺麗な空色のスカ―トは汚い灰色の汁で汚され、母の体は腐臭を強烈に放っていました。
「お母さん、どうしたの!」慌てて駆け寄るわたし。
「うん……本山さんのゴミ袋が破れちゃってね。袋からゴミが出てきちゃって、少しお母さんにかかっちゃった」そう言う母は、やっぱり笑顔。
「少しどこじゃないよ! いっぱいゴミがお母さんにかかってる! 本山さんケチだから、ゴミ袋がパンパンになるまでゴミ詰めて、それで乱暴に放るでしょ。それで……」
「怒らなくていいの。誰も怒らなくていい。誰も怒られなくていい」
笑顔の母が静かにそう言うと、それ以上、何も言えません。
後日、近所にあるス―パ―で、家族で買い物をしていました。すると、行き交う会話のなかで、わたし達の苗字が聞こえて、立ち止まりました。
品物の棚一つ隔てた隣で、本山さんと他の主婦が立ち話をしているようです。
「……で、うちのゴミが藤堂さんに少しかかっちゃったのよ。それで私、藤堂さんに謝ろうとしたの。そしたら……笑ってるのよ、あの奥さん! でも目は笑ってなくて……怖かったわよ! あの奥さん、きっと頭おかしいのよ。いつも笑ってるでしょ? でも、あの時は違った。何かこう、目がね……私、殺されるかと思ったわ!」
わたしは買い物籠に入れたパック詰めの卵を、全て握り潰してしまいました。
あの中年女の心は、袋から破れ出たゴミよりも汚い!

確かに、母はいつも笑顔です。性格も、少女のようなあどけなさを残しています。
常に顔に張り付いている笑み。まるで、それ以外の表情を知らないように。
けれど……。

わたしが通う小学校では月に一度、保護者会が開かれます。
保護者会なんて、いつもは茶話会程度の形式的なもの。
しかし、その日は違いました。
当時広まっていた醜聞――ある若い男性教師が、この小学校の女子生徒を妊娠させた……。会合で、事の真偽を学校側が釈明しました。
噂の少女はまだ、わたしと同じ年の十二才。とても可愛らしいけれど、とても内気な女の子でした。
その十二才の女の子は、自殺しました。
学校の屋上から飛び降りたのです。下は、固く冷たいアスファルト。
彼女自身の体も粉々になり、お腹に宿っていた小さな命も四散しました。
彼女が残した「お父さん、お母さん、本当にごめんなさい。お腹の赤ちゃんもごめんなさい」という簡潔な遺書。
完全に自殺。刑法上、問題はありませんが……。
会合に現れた、疑惑の男性教師。上等だけど嫌味に見えない、落ち着いたス―ツ姿。
火があろうが無かろうが、煙が立ち、それを見られてしまった以上、何か手を打たねば。不審火のまま放置すれば、どこに飛び火するやら……。
そう考えた学校側が取った戦術は、正面突破。
「禊をさせる」ため、あえて彼を前面に出したのです。
彼の父親は教育委員会の幹部。ゆえに学校側に課せられた使命――それは彼の死守。
彼の毛並みの良さは、学校側にとってはアドバンテ―ジ。そして死守の報酬は、教育委員会幹部への大きな貸し。
普段は爽やか笑顔で、特に女子生徒から人気のある男性教師。彼はまず沈痛な面持ちで、女子生徒に冥福を祈りました。その前口上が終わると彼は俯き、顔を強張らせました。
「私が、生徒を妊娠させたという噂が広まっています。しかし私は教育者として、聖職者として、そのような唾棄すべき行為は断じて行っておりません。このような噂が広まった原因があります。実は放課後に、何度か彼女から相談を受けていました。それは非常にデリケ―トなもので……故人を悪く言いたくありませんが、率直に申し上げます。彼女は失恋のショックで万引き癖がついてしまったと、涙ながらに訴えたのです。私は彼女の担任ではありませんが、学校全体の生活指導を担当しています。それで彼女が……」
疑惑を黒から灰色へ、そして霞がかった白へと塗り替える、華麗なるトークショ―。
彼の演技の毒が、体中に回り始める保護者達。ほくそ笑む学校幹部。
「嘘をつくな! このケダモノ!」
突然の怒声。落雷に打たれたように、その場にいた者は硬直しました。
声のした方に向けられる、皆の大きく見開かれた目。その先にいた人間――それが誰か、初めは誰も分からなかったそうです。
母からいつもの優しい笑顔が消え、悪鬼の如き形相だったから。
「純粋で綺麗だった女の子を汚して、その女の子が魂になってしまったら、何とでも言えると考えてるのでしょ! 恥を知りなさい! あなたは人間のクズよ! だからこんな、悪魔のような真似ができるのよ!」
その後会合がどうなったのか、わたしは知りません。
しかし母の話は、疾風の如く校内に広まりました。
「わたしの母は頭がおかしい」と誰もが囁き合いました。
そして「疑惑の男性教師」は、この学校で教職を続けることになりました。
軽薄な笑みの裏に、邪な歪さを持った男。そんな男に審判が下されないなんて!
けれど何よりわたしが衝撃を受けたのは、母がそのクズに怒鳴ったこと。そして――母の顔から笑顔が消えたこと。笑顔以外の母は見たことがなかったから。
元々、学校に友達などいないわたしは、この件で周囲がわたしから距離を置いても、何とも思いません。
大好きな家族と我が家で過ごす時間――それがわたしの全て。

 

ある曇天模様の日。ドンヨリとたちこめた深い灰色の雲が人間を見下ろしている朝。
母は父のために、経済新聞を門まで取りに行きました。
「ウギャ―アッッッ!」朝の静寂を切り裂く母の絶叫。
わたしは外に飛び出しました。
門の所で、父に後ろから抱きしめられた母がいました。母は肩で息をし、体が小刻みに震えていましたが……笑顔でした。目からは大粒の涙が溢れ出ているのに、笑顔でした。まるで、笑顔の消し方を忘れたように……。
母を驚愕させた原因――それは門のすぐ側に置いてありました。
切断された猫の頭。
怨念に溢れ、全ての人間を憎悪する怜悧な猫の目。
母の口からは、涎とも泡ともつかぬものが溢れていました。そんな母を、父は固く目を閉じながら、後ろからただ抱きしめていました。
タイミング悪く、その顔を元山さんに見られてしまいました。彼女は今日中に、母の狂人ぶり近所に拡散するでしょう。人の口に戸は立てられない? なら、その口を針金で縛ってやればいい。
母が錯乱状態の中、弟が一人ポツンとそれを見ていました。気が弱いはずなのに、なぜか無表情の弟。わたしの視線に気付いた弟は、ハッと我に返ったようでした。
なぜかその目に哀しみを宿して、弟は二階の自室に駆け上がって行きました。
その後もこの近辺で、小動物が惨殺される事件が続きました。
「手口が段々、凶悪になっていく」町の人々が噂します。
でも、わたしの印象は違います。
手口は徐々に「洗練されている」。

2019年2月7日公開

© 2019 hongoumasato

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