絶滅者 5

hongoumasato

小説

3,934文字

人間は生きるに値するか? 少女の復讐、始まる。

父が闇金に堕ちたのを知ってから、わたしは闇金について学び始めました。でも学校の図書館にあるのは、生きる上で何の役にも立たないお伽噺ばかり。そこで公立図書館に行き、闇金関連の書籍を貪るように読みました。

「これじゃあ、何の役にも立たないな」

本に並んでいたのは、義憤にかられたキレイ事ばかり。実際に闇金の取立て屋達の「追い込み」を食らったことが無い、裕福な弁護士や評論家達が、威勢良く机上の論理を並べているだけ。

実務は、我が家にやってくる取立て屋達から、痛い程学びました。

奴等は何度も我が家に押しかけました。今日も、つい先程まで来ていました。顔ぶれは毎回同じ。

奴等が来る度に、わたしは踊り場で耳を澄ませますが、姿は見えても声が聞けません。たまに耳に届くのは、二人のチンピラどもが放つ威嚇の怒声だけ。そんなもの、何の役にも立ちません。

本物の悪党である、中年ヤクザの言葉を聞かなければ。

わたしは玄関に一番近い和室に潜みました。隔てる物は障子だけ。自分の影が障子越しに映らぬよう、細心の注意を払いながら。

いつもは吠えるチンピラ達をわざとらしく宥めた後、低い小声で話をする中年ヤクザ。でも遂に、中年ヤクザ自らが父を恫喝しました。奴等には「脅しの手順」があります。金を返せない父に、中年ヤクザは紳士面を剥がしたのです。

「藤堂さん。ヤミ金対策法があるから、甘く見てるよな?」

「い、いえ、私はそんな……」

「ナメんじゃねえ!」中年ヤクザの怒声。後ろのチンピラ二人まで直立不動。

「『違法な金だから返さなくていい』と高括ってんのか? 馬鹿かテメエは! テメエも元銀行屋だろ、金貸しだろ! 『バブルの頃は、頭下げて借りてくれって言った銀行が、バブル弾けたら金返せの大合唱だ』って世間からバッシングされて、中小零細企業の経営者が首括ってよお。じゃあそれで金の回収止めたか? それこそ鬼のような顔して銭取り立てたんだろうがあ! 同じなんだよ! 金借りたら返せ! 銀行と街金なんて変わんねえよ。表にいるか裏にいるか、その違いだけだ。金返せねえなら、この家貰うか、テメエの娘、十二才だったか、風俗に沈めるぞ!」

「そ、そんな……こ、この家は、私達家族の全てなんです。それに娘はまだ十二才なんだ。小学生なんだ。風俗なんて……」

「裏世界のビジネス事情を教えてやる。いいか、十二才だから金になるんだ。ガキ専門の店に沈めるんだよ。ロリは最高に金になる。規制が厳しい分、上手くやってる奴等はボロ儲けだ。家も嫌、娘も嫌って言うなら、テメエが何とかして稼げ! 死ぬ気で銭掴んでこい! 逃げたら……な?」最後は不敵な笑みで締めくくる中年ヤクザ。

顔が蒼ざめるわたし。でもそれは、恐怖からではありません。

わたしの優しい父に、何てことを!

何人かが先に玄関を出たようでした。一人残ったのは、どうやら海坊主。

「いいか、さっきの兄貴の言葉は脅しじゃねえ。鉄砲玉になりてえ若い奴はゴロゴロいる。極道の世界も、金を稼げる奴がのし上がる世界になっちまった。腕っ節だけのノータリンどもは、鉄砲玉やって『務め』でも果たさねえと、上へ行けねえ。要は、テメエを殺したい奴はわんさかいる。『ヤミ金対策法』ができてから、態度がでけえバカも増えたしな。見せしめが何人かいるんだよ」

海坊主ののっぺりとした声。聞く者を芯から震え上がらせる、感情の無いその声。

「それとな。テメエの借金なんて、他の馬鹿に比べりゃあ、実は大した金じゃねえ」

苦笑が海坊主から洩れたようでした。いや、嘲笑でしょうか。

「だから逆に、だ。テメエから金を回収できねえと、兄貴の面子が潰れるんだよ。組内で『アイツはあれっぽちの金も回収できねえのか』ってな。いい笑い者だ」

海坊主がその不気味な顔をヌッと、父の俯き加減の顔に近付けたようでした。

「だから何があっても、銭は回収する。弁護士だの警察だの相談してえならしろ。余計、テメエと家族を危険に晒すだけだ」

「オイコラ、何を長話してやがる! さっさと行くぞ!」外から中年ヤクザの怒声。

わざとらしい。自分が家を出た後に父を恫喝するよう、あらかじめ海坊主に指示していたくせに。

「スイマセン、兄貴! すぐ行きます!」調子を合わせる海坊主。

「臓器売る気なら、連絡しろ。金返して、さらに大金が転がり込むぞ。ガキがいたな。ガキの臓器はスゲえぞお」

海坊主の鬼畜の発言。きっと父は俯いて震えているでしょう。怒りと悔しさと無力感で。

外で、海坊主を呼ぶクラクションが鳴りました。それでようやく、海坊主は退散。帰り際に、チラリとわたしの方を見たような気がしましたが……。

三人組が消え、家に落ちる凍った静寂。

その日を境に、父から「表情」が消えました。家族に心配をかけまいとする作り笑顔さえ、浮かびません。父を追い詰めたヤクザ達に募る憎悪。

臓器を売れ? 何てことを……そんなに臓器が欲しいのなら、アイツらの内臓をわたしが抉り出してやる!

そして父は、二階の自室に籠るようになりました。

ここ何日間か、黒塗りの車と、強面の男達が我が家を出入りしたことから、近所では下世話な噂が飛び交っていました。なのに、わたし達に会うと笑顔で会釈する近所の人間達。母は笑顔で挨拶を返していましたが、その表情は強張っていました。

弟の賢治は完全に塞ぎこんでいます。学校では山本達にいいようにいたぶられ、オアシスであったはずの家にも、暗澹たる空気が……。

比例するように、小動物虐殺に拍車がかかりました。

しかもその手口は、さらに洗練されていました。最初の猫の首は、強引にザクザクと「千切って」いるだけの代物でした。それがやがて、鋭利なナイフで切断したかのように「上達」。今ではまるで、ギロチンで切断されたように、キレイに切り裂かれていました。

そして置き場所にも、変化が現れました。

最初は近所に点在していました。けれど放置される場所に、一定のパターンが表れたのです。弟の担任が住んでいる職員官舎。弟の同級生達の自宅前。

でも、わたしに分からないことが一つあります。切断があった日は必ず、母が台所で熱心に包丁を洗っているのです。とても悲しげで、それでも全てを受け入れたように。

わたしを見る弟の目には、何か脅えのようなものが走り、わたしに何かを訴えているようでした。優しく水を向けても、モジモジするばかりで、自分の部屋に走りこむ弟。

小動物への虐待は始まりのサイン。やがてその殺戮は、人間へ……。

わたしが弟を何とかせねばと、必死になりかけていたその時……。

突然父が、「しばらく家を空ける」と言い出しました。

理由を、わたしも母も必死で尋ねました。弟は不安で目に涙を溜めています。

「大丈夫。必ず戻るから」

「こんな状況で家から出て行かないでほしい!」と、わたしと母は父に強く言いました。

「この状況を……この地獄を変えるためなんだ」俯いて声を絞り出す父。

その声に溢れる決意。父は父なりにこの状況――この地獄を変えようと、腹を括ったのでしょう。

母は何とか父を慰留しょうとしましたが、わたしは父の決意を尊重することにしました。何かを決意し、実行する父。それを見届けるのが、わたし達家族の務め。

そして父がいない間、この家を守り抜くことも。

父は夜遅くに、ドラムバックを抱えて車で出発しました。行き先は告げぬまま。見送るわたし達に「心配ないから」と作り笑顔。ふと、父はわたしに囁きました。

「お父さんがいない間、家を頼む」他の家庭ならば、夫は妻に子供のことを託すでしょう。しかし、我が家は違うのです。わたしは父の言葉に、無言で頷きました。

そして、父は出発。どこに行くのか、何をするのか、いつ帰ってくるのか……。その全てを明かさないまま。

 

なぜ父が母でなく、わたしに家を任せたのか。

私は考えないようにしていますが、母が精神的に障害を抱えているのは明らかです。

「常に笑っている人間」は、正常ではありません。

教え子を孕ませて隠蔽した教師の一件だけしか、母の顔から笑みが消えたことはありません。

二年程前、大きな地震が発生しました。家にいたわたし・母・弟は、慌ててダイニングの机の下に隠れました。窓ガラスが震え、食器棚の皿が甲高い音を立てて暴れます。

わたしは至って冷静でした。弟の賢治は体を震わせ、目をギュッとつぶり真っ青な顔で、わたしと母にしがみついていました。

そして――そして、母は笑っていました。でも大地震の恐怖で、目からは涙が溢れていました。母は恐怖を感じていたのです。しかし、浮かんだ表情は笑顔。いつも通りの笑顔。

母の精神障害の詳細は分かりません。

家にヤクザが来ても笑顔。目は恐怖で脅えているのに。

そして、ここ最近の包丁洗い。包丁が毎回どこに放置されているのか、わたしは知りません。しかし、それを誰が何の目的で使用したかは、弟の親なら気付くでしょう。

それでも弟を咎めず、ただ黙々と、惨殺された小動物の血液を洗い落とす母。

一部の人間達は、母のことを「狂っている」と侮辱します。

ならば、その人間達自身がマトモかどうか、頭蓋骨を割って脳ミソを見せてみろ。

母は無論、気が狂ってなどいません。ただ、原因不明の障害を抱えているだけ。

これまでは父が高給取りだったので、母は用が無い限り、家にいられる環境でした。でもこれからは、我が家で家族だけの世界に籠ることはできません。

借金があるのに、パートにも出ない母。しかしそれは、外で仕事ができないからです。近所付き合いですら、あの笑顔を提供することで、何とかこなしているのに。

わたしは、藤堂一族の会合を思い出しました。女達は皆、冷遇されていました。

単なる男尊女卑程度だと考えていたのですが。全ての答えはあそこにあった?

2019年2月9日公開

© 2019 hongoumasato

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