ある週末、マチネ上映の古い映画を観に行った帰りのことです。わたくしは劇場に入る前から降り続けていた長雨を避けて傘を差し、急ぎ足で路面電車の停車場へ向かっていました。入り組んだ脇道を抜けて大通りに出ると、細かい雨脚の向こうに電車が停まっているのが見えました。日曜の午後にしては珍しく車の往来はパタリと止んでおり、雨粒が静かに傘を打つ音しか聞こえません。わたくしは迷わず車道を横切り、通りの中央に作られた停車場に駆け寄りました。停車場は川の真ん中に石くれが積もってできる中州の形をしております。
そのとき、深みのある低い声がわたくしの背中に突き刺さりました。
「ちょっと止まりなさい、そこの奥さん」
ぎょっとして振り返ると、二十代後半くらいの背の高いお巡りさんが一人、わたくしのすぐ後ろに立っていました。日焼け顔の中で二重まぶたに縁どられた大きな瞳が輝いています。通り沿いの派出所から駆けつけてきたのでしょう。肩で息をしています。筋肉質の体に濡れて貼りついた制服から若い汗の臭気が漂ってきて、わたくしの鼻をくすぐりました。
「……奥さんではありません。独り身ですの」
不意に呼び止められて動揺したわたくしはそう答えるのが精いっぱいでした。今から考えると馬鹿な答えに思えます。わたくしに夫があるかどうかなんてお巡りさんが気にかけるはずもありませんもの。
「駄目ですよ。ちゃんと横断歩道を渡らないと」
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