濡れもこそすれ

十丸早紀

小説

54,835文字

なんてすかね。ちょっとした余裕が立腹を誘うっていうか、オシャレが身の丈にあってないっていうか、攻める場所を間違えてるっていうか。
「だったら割り切って全裸になればいいのにさー」
あー、そう! わかりましたよ! やりますよ! で、おお脱いだ脱いだ、って見てたら、靴下だけはちゃんと履いてる、って、そういうの。
とはいえ服着るのは一応ルールだよなー、とかまァだ思ってる。ほんといい加減にしたほうがいい。

 

四十代の山積した疲労の織りなすため息ほど、ティーンを憂鬱にさせるものはない。

「どしたんすか」

プリントを抽斗に収める谷先生に、しゃあなしで聞く。無視ほど冷ややかな処遇は他にない。

「すみれセプテンパーラブを歌えるのも今日までよ」

んなこたないけど。まあ事実、今日で九月は終わりである。

「一風堂すか」

「シャズナ」

しかもそっち。いいけども。

「はええわなあ。人生あっちゅう間。二十五歳が昨日のようですわ」

あたし、二十五歳まであと八年あるから、その感覚まったくわからん。が、言わない。

「で、もういいっすか」

そう、わざわざ昼休みを使ってまであたしが職員室を訪れた理由は、進路希望のプリントを提出してなかったからで、これを元に来年のクラスを決める先生方には、ちょっと都合が悪かったよう。わざわざ放送で呼び出されたってわけ。

「はいはい、構わんですよ。希望が変わったらまた担任の先生か俺に言うて」

うちは名目上偏差値が微妙に高いことになっているので、進路に就職、とか、専門、とか書く子は少ない。大抵、大学名、決まってない子でも大雑把に、私大文系とか書くらしい。

あたしは、東京、って書きたかったんやけど、東京大学と勘違いされたらえらいことになりそうだ、と勝手にビビって、なんて書こうかな、と思っていたところで、プリントの存在を喪失していた。呼び出された今、「東京行きたいです」「ん? 進学で?」「一応」「国立? 私立?」「決まってないす」という会話のあと、「まあ具体的にどこってより、文理区分だけ教えてもらえると」って言われて、別にやりたいこともないんやけどなあ、困ったなあ、と困ったフェイスをしていると、しばらくののち「リベラル」と谷先生が勝手に書いて、「高木の学力やったら、どこでも目指せるし」と言ったのだった。だから、変わったら言うじゃなくて、決まったら言うに近い。今後のあたしの任務は。

「青春、おもろい?」

不意な質問やったけど、回答に窮する。現状特に。

「まあまあちゃうっすかね」

ごまかしに掛かるあたし。このあたり、大人に好かれない理由ですな。

「俺ァ、おもろかったけどね。高校大学と。まあまあってことはなかったな」

谷先生はそう言ったあと、「でも当時そうやって聞かれたら、俺も高木みたいに答えたかもしれん」とも。

「どうでもいいかもしれんけど、歳は確実に取るから。ジジくさいとか思わんと、楽しみたまえ君も。実際君は変だから。わかってると思うけど」

とどのつまり、なにを言いたいのかはさっぱりわからんかったけど、斜め六十度くらいに設置したカメラから、はーい楽しみまーす、なんて左手挙げてニコニコしているあたしの姿が。助監の腕組みするモニターにばっちし映し出される。はいカーッ! 実に青春らしい良い画。ステレオタイプの。キャスティングだけ一丁前で。中身の薄い。ださい映画にありがちな。

フンフンフン、フーフンフンフウウン、と鼻歌を歌う谷先生にお辞儀して、あたしは職員室を去った。陽が、やけに強くて、ちょっと嫌だった。

昼休みなのに、案外静か。

ぐるっと中庭を回って、非常階段の方に出る。こっからが近い、教室まで。カナガナしい階段にローファーが当たって変な音がする。錆びてるし、非常時にみんなが殺到したら、ガッシャンいきそー、怖ー、とか思って笑う。果たして非常時に役に立たない非常階段てのも、せいぜい興ですね。あはれですね、ミズ・ムラサキ。

静かなる微笑みは、しかしそのまま維持されることもなく、成り行きのまま二階の踊り場から校庭を望む。校舎は丘の頂にあるので、谷間に向けて、どの季節も風がある。風が草木を泳がせる。

校庭に。大きな楠がある。小学校みたいに。

小学校、戻りたいかも、って。あんま過去に戻りたいとかない人間なんやけど、そう思った。別に昔っからこの程度の憂鬱はあったはずやから、小学生になったとて、いろいろ考えちゃったりすんでしょうけど。

悩みに大小をつけているのは、自意識ですから。だから本来ちっぽけな悩みも、大きな悩みも、本質的には同じ質量なはず。違いがあるとすれば、それは質感で、そいつはきっとヒトの個体によって全然感じ方がちゃうのよ。粗かったり、細やかだったり、ごつかったり、テロンテロンだったり。だから、同じ議題で、回答へのアプローチも違えば、出される答えも違うっていう。一括りにして、悩み、とか言ってもねえ。ヤ、悩みっていうからわかりにくいんすな、この説明。一括りにスカジャンって言ってもねえ、そんなもん別珍なのかサテンなのかで、全然アレやないすか。んー、スカジャンもわかりにくい。一括りにパンツって言ってもねえ、そんなもんシルクか毛糸かで、どっちがいいなんて言われても、そりゃあノータイムでシルクですわ。シルクのパンツは、なんか気持ちええもん。なァ!

なんの話やねん。

でもまあ正味、おしっこ売ってくれ、とは言われんわなァ、小学生のあたし。

結局コンモトはそこなんすよ。奴なの。あ奴なの。あ奴の気っ色悪い手紙なのよ。春風情なのに紫陽花があしらってある便箋を秋に寄越してきよった、あの!

やられてますよね。あー、マジで西辻終わってんなァ。終わり倒してる。終わり散らかしてる。

この風に吹かれて、こんなにも気持ち良くならんことなんてないよ。城之崎温泉にも負けないくらい心地いいって評判なんにエぇ。浸かったことないけどさァ。評判ってのも今作った話やけどさァ! もーーー!

 

放課後の音楽室に人が少ないのは、ぼちぼち学園祭の準備が本格化するかららしい。後輩情報。

当該所属のクラスも出し物があるけど、いまいち乗り気がしないので、専ら当日の仕事がちょこっとあるくらいの裏方に徹する。演劇するってさ。新劇を大阪弁で。まあどーぞって感じ。

吹奏楽部は例年通り乾物を売るようで。なんで乾物かって、顧問の実家が乾物屋だからです。なんか文句あっか。

噂によると、今年は三年生が学年合同で出し物だそう。歌って踊ってと聞いた。それでまとまると思ってるところがすごい。実際ものになったらもっとすごい。ならんやろうけど。

うちの学園祭には毎年コピーがついてて、今年は「男男女女老老少少」。意味は知りません。ちなみに去年は「日本一恥ずかしい歌を舞え」やったはず。これもよく意味がわからん。

こういうときのあたしのスタンスは、できるだけ笑みを崩さず、それでいて意見もせんっていういつものあれ。水を差したくない一心で、一分一秒に超集中ですよ。

「人おらんと自分の音だけ響いてうっといっすね」

チューバ担当、後輩の田辺くんがごつ。ひとりでブオブオ鳴らしてるのが嫌になった模様。この人は身体つきがおっさんで、しかもハゲかかってるので、とても十六歳には見えない。いじられキャラの愛されキャラである。

「出しもんせえへんの?」

学園祭がホットトピックだと踏んだあたしは、一応という冠をつけて聞いてみる。

「クラスやったらありますよ。お茶屋さんが。ほぼ女子主導なんで」

「有志は?」

「やるわけないじゃないっすか。意味ないっすもん」

意味ないって言っちゃったら、学校で起きることなんかだいたい意味ないでしょうに。どこまで考えて意味ないと仰るのか。口には出さんけど。

「コントくらいしたええやん」

というわけで無茶ぶりしてやる。喰らえィ!

「やらんすやらんす。滑るっす」

ええやないか、滑れ滑れ。ツルツル行け。ツルツル行けィ!

「そういや、原田先輩、やるって聞いたんすけど、屯田兵体操」

滑るの延長線でこの話題。あたしは心の中で苦笑いする。そして田辺くんの口から屯田兵体操ってワードが出てきたことには、本笑い。ほんま売れとんな、原田の野郎。

「あー、らしいね。今日の昼聞いた」

「マジなんすね」

「うん。昼休み帰ってきたら直で言われたわ。高木、俺踊るわ、って。全然いらん報告やけどね」

おっと本音が。あぶいあぶい。

「ようやるっすね」

「ようやるねえ。なんか音楽もつけるとか、壮大な構想を語られた」

原田の目はギラついていた。牙が顎くらいまで伸びて、開いた口からはヨダレがダラダラと滴り、左手でアメリカンなジェスチャーを交え、右手には柿を持っていた。なんで柿を持っていたのかは謎。食べるつもりだったのか、しかし皮はついたままだった。

高校生活でなにを残したかが、自分の人生に途轍もなく影響を与えるのは稀な例や、と心のどっかで思ってたりする。身近な人でいうと、たとえばあたし、お母さんが高校時代なにしとったとか聞いたことないし。なんかしとったとて今は未亡人で、やりとうもない仕事とかやってるわけやんか。主婦になるんやって、高校でなにしとったとか関係なさそうやし、そもそもなんか残さなあかんみたいなんも、正味な話、ないやんか。だから別に原田やって、屯田兵体操とか踊る必要ないし、有志とかもせんでええし、なんやったらクラスの出しもんも、学年の出しもんも、ちゅうか学園祭自体、やる必要ないことやないすか。

でもなんやろね。まわりまわって、みたいなこと言い出したら、やっぱこういうのって積極的に参加する方がええんかなァとか思っちゃう。なにごとにも無関心、人間関係とかそういうのにも、ってのは、いつか痛い目食らったときに、人生真っ暗みたいなことにもなりかねんと思うのよ。左手は絶対に壁から放さないって決まりを守ってても、その壁やって暗闇の中では、いつ壁じゃなくなるかわかんないもん。全然ちゃうもんのこと、壁やと思って彷徨い続けるかもわからん。じゃあどうしたらええんって、いたって簡単。暗闇に行かんかったらええだけって話。暗闇に行かんためには、こういう学校行事みたいなんも、ちゃんとやったほうがええんかもな、って推測。

それにつけても、屯田兵体操はやる必要なさそうやけど。

一個一個に意味とか考えちゃうから、いろいろだるくなるんやろなァ。

森の奥深くで眠りたいわ。眠りたいものだわ。ハンモックで。

2017年10月9日公開

© 2017 十丸早紀

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