五月二十一日、晴れ
嘉平さんの葬儀がようやく済んだ。
タケさんと幸ちゃんの葬式の日ははらはらと散っていた桜が、今は葉を青く茂らせている。暑いところの苦手だった嘉平さんのことだから、今頃墓の下は過ごしやすいと喜んでいるだろう。
ご隠居はこのふた月で十は歳をとったというが、全くそのとおりだ。二日もあけずに警察が来ては、検分、捜査、聴取、聴取、聴取と、商売に支障をきたすほどであった。あちらはそれが商売なのでたいそう繁盛だったに違いないが、こちらはまるで逆、ようやく落ち着いてほっとするばかりである。家の始末もとにかく大変で、ようやく片付いたと油断して腰を下ろそうものなら、べっとりとなにかが手につく。陽気もあいまって虫と悪臭が絶えず、ヨシが、
「もう堪忍だ。」
というのもしようがない。
夕に郡家から電話があったが、善ちゃんもずいぶん元気になったようだ。電話口であれこれと楽しく話しているところは以前のままだし、寝小便はまだ治らないそうだが、あの愛嬌が戻ってくればもう心配はあるまい。幸ちゃんの葬儀の時はずいぶんとふさぎ込んでいたので心配した。
しかしそれにしても随分な事件であった。これが嘉平さんでなければ知らぬ存ぜぬでほったらかしておけばよいが、なにぶんご隠居の秘蔵っ子だった嘉平さんのことである。自分も生前は世話になったし、彼のことを思えば放り出すのも忍びない。放り出してもあの人のことだから小さくなって庭の隅に座っていそうだが、それもそれで気味が悪い。生まれだとか、血だとか、卑しい生まれの自分には判らぬ事であるが、
「嘉平さんも実に難儀な人生であったナァ。」
などとヨシと話した。
実に大変な事件だった。
しかし考えて見れば、大変な時代の只中である。おかげで衆目に好奇の目で晒されずにすむのだから運がよい。
閑話休題。
平生筆など帳簿をつけるくらいしか持たない自分であるが、こうして書をしたためているのはわけがある。
ひとつは、厄落としである。嘉平さんはまさか祟るような人ではあるまいが、人には気分というものがある。厄を落として災があったとも聞かないし、落として損のあるものではなさそうだ。
ふたつは、ご隠居からの頼みである。いづれ、善ちゃんか、あるいは善ちゃんの子らに話さねばならない日がくるかもしれない。そのときにうろ覚えでは申し訳が立たないから、記憶の新しいうちにしっかりと書き留めておくように、とのことである。嘉平さんの家系はたいへんな家系であるそうなので、ご隠居がそうというのであればやぶさかではない。
みっつに、私には警察に話していないことがある。警察に嘉平さんの秘密を全て話しても到底信じてはもらえない上に、
「貴様なにを隠している、さては真犯人だナ。」
と疑われるに決まっているからだ。痛くない腹をさぐられるのは不愉快であるし、商売の差し障りになるのもよくない。しかしなんというか、この秘密を墓場まで持っていくのはどうにも重いし、自分が持っている必要もあるまいと思うのである。
さて、なにから記録すべきかと迷うが、まずは嘉平さんのことでも書く。
筺原嘉平(旧姓尾古)は、五つで筺原家に養子に入った。自分等兄弟の中では一番の古株であり、背は六尺弱、軍の記録では五尺九寸だとのこと、若い頃は木箱二つ担ぎ、山道をあるいたと聞いたことがある。斯様に頑健であったうえ、ちょうどあの日露戦争開戦の前年に二十歳となり、軍に徴用された。軍では大本営写真班に借用され写真術を学び、退役後は筺原の援助のもと大阪で写真館を開業するに至る。実に華々しい経歴である。
妻はタケ、長女は幸子、長男は善司郎という。幸子の幸は、ご隠居の奥様(幸恵)から一字をいただき、善司郎の善は軍で写真術を学ぶために口をきいてくれた大尉(杉浦善兵衛)の名から、司は大本営写真班の班長(小倉倹司)から、そして郎はご隠居(筺原治郎吉)からであるとのこと。どの並びにすべきか迷っていたそうなので、ご隠居が年齢順に並べたそうだ。
斯様に不足なく、まるでこの世の春を過ごしているような嘉平さんであったが、去る三月二十九日、無理心中を謀った末、首を吊って死んだ。タケさんと幸ちゃんは撲殺され、顔も判らぬ程であった。善ちゃんは幸い難を逃れたが、喪心の為、ひと月あまりは前後不覚であった。今は療養のため郡家に戻り、静かに過ごしている。
善ちゃんが夜分だというのに裸足でかけてきたのは、しとしとと春の雨がふっている寒い日であった。木綿が湿気てしまわぬかとヨシがいやに気を揉んで、火鉢のそばでぶつぶつ言っていたことを覚えている。
裏口から飛び込んできた善ちゃんは蒼白となり、体をぶるぶると震わせていた。寒さのせいか唇まで真っ白だったので、慌てて濡れた服を脱がせ、そのへんの褞袍でくるんでやったが、それでも震えが収まらない。しかも錯乱してよくわからないことをしきりに話そうとするが、可哀想に言葉が出てこず泣きだしてしまう始末だ。今思うと話しようの無いことかとも思うが、あの時は兎に角わからなかったものだから、確り話せなどと叱ってしまった。すまないことをした。
ヨシが騒いだせいで寝入っていたご隠居が起きてくると、ついに善ちゃんは泣き始め、
「父ちゃんが怖い。」
「父ちゃんが追いかけてくる。」
などと譫言を盛んに口にする。嘉平さんの様子は二年ほど前からずっとおかしかったので、自分もヨシもぴんときて、善ちゃんを奥へかくまっておいたほうがよいと話した。
しかし、ご隠居が善ちゃんを落ち着かせ、奥に連れて行こうと宥めすかしている間に、唐突に善ちゃんは悲鳴を上げ始めた。この世のものとは思えぬ悲鳴である。まるで生きながら皮でも剥がれているのではないかという、実に恐ろしい声だった。こちらまで全身の血の気が引き、ヨシなどくらくらとして土間に座りこんでしまったほどだ。
すわ、狂ったかと慌てたが、また次の瞬間には善ちゃんはピタリと静かになり、そのかわりぐうと背中をそらしてひきつけをおこした。白目を剥き、泡を吹いていた。これは危ないということでその辺の手ぬぐいを口に突っ込み、自分は使用人を医者へやらせた。
あの声は源太郎にも聞こえていたらしく、火がついたように泣いていた。いくらあやしても泣き止まず、その上小便をしたいと暫くは夜な夜な駄々をこねてすっかり参ったなどと女中が言っていたが、それ程に恐ろしい悲鳴であった。
善ちゃんのひきつけは幸い長くは続かず、医者が来る頃にはぐったりとして失神していた。息はあり、全身に汗を掻いている。またひきつけが来るかもしれないが、ご隠居が嘉平さんのことを頻《しき》りに口にして見に行ったほうが良いというので、自分はあとをヨシにまかせて、耕介と嘉平さんの店へ走った。
街燈が霧雨にけむり、辺りはしんと静まり返っている夜であった。
「こんな闇の中をたった七つの子が駆けて来たのか、余程切羽が詰まっていたのだろう。」
と、自分は思った。ただならぬことが起きたのだと考えるが道理である。そしてそれが嘉平さんのあの性質に関係していることも疑うべくないことであった。
嘉平さんがおかしくなったのは二年ほど前と皆はいうが、ご隠居は善ちゃんが口をききはじめた頃からだと言っている。
たしかに善ちゃんは口達者な子であった。それで時折大人を怒らせ、タケさんにピシャリと尻を叩かれることも多くあったが、懲りることもなく同じことを繰り返す。愛嬌があるためにその物言いは時に愛らしくもあり、
「まぁまぁいいじゃないか、可愛いもんだナ」
などとつい許してしまうのが良くないのだろう。
そうやって愛嬌があるだけならよいのだが、善ちゃんの場合、まるきり悪意もなく嘉平さんの考えを口にしてしまう。なんでも不思議な話であるが、尾古の家系というのはそういう家系なのだそうである。
尾古の男の物覚えがよいことは自分もよく知っていたが、父の心の中が読めるという話は聞いたことがない。しかしご隠居がこっそりと話してくれたことによれば、大昔の尾古は人の心を読むことができたのだそうだ。しかしそれは良くないことだということで我慢するうちに次第に人の心はわからなくなったが、父親のそれだけは残ったとかなんとかいう話だ。
自分はそんなものは与太話だろうとはじめ信じていなかったのだが、しかし善ちゃんが話すようになってからはさもありなん、寧ろなんと難儀な家系かと同情すらした。
なにしろ嘉平さんが大人として本音をのみこんでも、善ちゃんが悪意もなくばらしてしまうのである。気のいい嘉平さんは悪しきことを腹の中で企むような人間ではないので、実のところさして害はないが、しかし常人であれば、勝手に心を盗まれたなどとは思いもよらない。嘉平さんが隠れてそんなことを口にしているかと、ヒソヒソ噂するものがいても仕方のないことである。
善ちゃんも叱られれば口は噤むが、しかし所詮は思慮の浅い子供である。ご隠居には特に心を許しているので(これも嘉平さんの影響だろうか)、ついつい飴が欲しいと思えば、
「『筺原に遊びにいかせると旦那さんが善に際限なく饅頭を与えるので困る』と父ちゃんは思うけど、飴なら怒られない。」
と、そんなことを言うのである。
ご隠居も善ちゃんにはどうにも甘く、
「そうやって父ちゃんのことを外でおおっぴらに言ってはいかんよ。」
と窘め、善ちゃんが聞き分けよくうん、うんと頷くと褒美として飴をやってしまう。子供なのでそうした策略をめぐらせ飴をもらったことなどすぐに忘れ、うっかり口を滑らせるので、あとあと嘉平さんが申し訳なさそうに礼を言いに来たものだ。
筺原でそんなふうにしているのはそれほど害がないが、しかし家のなかでも善ちゃんはあいかわらずの調子だったらしい。それどころか、叱られない分、筺原にいるときよりずっと嘉平さんにべったりと張り付いてさえいた。
嘉平さんも頭の中身を面白がって全て並べ立てられてはかなわないだろう。サトルの化け物の話があるが、魂を喰われるような心地を何度も味わったに違いないのだ。
それで、いつしか嘉平さんは善ちゃんを疎ましがるようになった。
「善がおそろしい」
「善は化け物なのかしらん」
等とご隠居に何度も漏らしていたそうで、あの時にうちで引き取るなり、距離を置かせるなりさせておけばよかったとあとあと自分等は悔やんだものである。
善ちゃんもその心はすぐに悟ったが、理由は理解できず、また善ちゃんの嘉平さんに対する親愛の情はもって疑わざるべきものであったので、叱られようともなにかと纏わりつき、気を引こうとする。あのなにを言っても怒らなかった嘉平さんが癇癪をおこし、善ちゃんがベソをかいて逃げ出すということが、この二年では随分増えた。
果たしてそのせいで嘉平さんは心を病んでしまったのだろうか。
二年ほど前から譫言が増え、
「アレッ、白い珠が、」
「佐助兄が遊びにきている。大福はあったかい。出してやらねばナ。」
などというようになったので、店の者も気味悪がり始めた。はじめは目の錯覚だろうと放っておいたのだが、何度も同じことを言い、しかも時折恐れるようなことも言い、しまいには病状が進んだのか、今度は人の形まで見えるようになったらしく、親切に茶を勧め、話をしてさえいる有り様だ。しかし自分等の目にはそこにいるらしいものが見えないのである。
タケさんは随分と気に病み、幸ちゃんもすっかり分別のつく年頃になっていたので、嘉平さんが誰かと話し始めると黙りこんできゅっと眉根を寄せ、怒った顔をしていた。
嘉平さんの平易ならざる有様を書くには、昨年の八月の一幕が十分であろう。明日、書く。
"瞑目トウキョウ 第三章 祖父(2)"へのコメント 0件