1
見渡す限りの緑が、改造された四輪駆動車の窓の向こうに広がっている。爽やかな緑ではなく、今にもすべてを飲み込みそうな毒々しく濃い緑に見える。進むとか引くとか、あるいは逃げ場とかを考える余地など全くここにはない。南米の僻地の見放されたカライグアズ共和国の北部にあるジャングル地帯は、ただひたすらに我々を拒んでいる。未舗装の乱雑な道の感触が座席越しに伝わる。そして俺の目の前には、会社のロゴ入り作業ジャケットを着た日本人の壮年の男と若い女が座っていた。男が俺に、顎で合図する。
「もう少し速度を上げるように言え」
「言ってみますが……。Conductor, este tipo te está diciendo que conduzcas un poco más rápido.」
「Si viniste aquí para subirte a una montaña rusa, te digo que vuelvas a tu país.」
「シモン、何だって」
「善処するそうです」
それから速度は大して変わらなかった。これからのことを考え続ける。さっき渡されて一目した後、横に放り出した新聞の一面にもう一度目をやった。何人か若い男女の顔が並んでいる。プロテスタント系伝道団体の失踪した女性伝道師二名。他にも山師、労働者。俺の新聞への視線に気づいたらしい、同乗していた、濃い肌の色の労働者が、新聞をつまんでこちらに寄こしながら、皮肉な笑みを浮かべた。助手席でライフルを持っている、白人の用心棒も笑う。
「男だけ消えた時は騒がねえで、アメリカ人の女が消えた途端にこれだよ」
二人の軽薄な声に、俺は合わせるように何とか笑みを浮かべた。緊張感はなかった。俺はさりげない風に、スペイン語で聞いてみた。
「やはり原住民が関与しているのですか。それともゲリラが?」
「アヤロだろう。野蛮人だ。あんな連中こうしてやる」
白人は笑い出し、肩をすくめた後、日焼けした首の、色の境目の辺りで、親指を横にやった。首ちょんぱだ。車はひたすら、ジャングルの奥深くの採掘基地へ向かっていた。かつては粗悪な金鉱掘りの拠点が点在するにすぎなかったが、巨大なレアアース鉱床の発見により近年この地域は、この国の歴史の百年分の記録を一夜で上回るほどに注目され、多くの力が関与しつつある。そしてその採掘基地の近くに、未接触部族が存在しているという。無論、彼らが攻めてきたのではなく、この世界の言わば資本や産業の方が彼らを囲い込みつつあるのだが。労働者は、首を切る合図をする白人を見て、目をそらした。彼はほとんど言葉を発さず、最低限のことしか話さない。この国の大多数は先住民とイベロ白人の混血である。向かいの席で女が話し始めた。
「本当に美しい土地ですね。緑がたくさんあって。本当に世界って感じ!」
「モトコさんは、こう言ったらアレだけど、珍しいね。ここまでホントに我慢して来てさ。いや俺もだけど。普通、東京のオフィスに居たい感じでしょう?」
「現場を知りたいんです! 日本のこれからを考える上で、資源問題は絶対に欠かせない。じゃあその資源はどこから来るのって、みんな知らないんですよね。それに、日本とカライグアズの懸け橋になれたらいいですね!」
「ああ、うちの娘に聞かせたいなあ。前話したかな、ちょうど大学三年の娘がいるんだよ……」
周囲に日本語が分からないのを良いことに大声で交わされる、その二人の社員の話を聞きながら、俺は、懸け橋ねえ、と心の中で繰り返した。
2
ジャングルの中の切り開かれた鉱床を見下ろす、残土で造成された高台の上に、プレハブの事務所があった。現地支配人の恰幅のいい男の指図で接待も兼ねてか、昼食として、その場仕立てのシュラスコが展開されていた。数人の男がハエを手で払いながら肉を焼いているのをよそ目に、一通りの事務的な話が俺の通訳で交わされる。そして彼らの話題はゴシップに移った。目の前に大きなイチボ肉が置かれると、一層話は弾んだ。「日本の資本によるショベルカーとブルドーザーの投入の前に、野蛮人は尻尾を巻いて逃げていくだろう」、と支配人はしきりに繰り返した。モトコは、荒れた鉱床を背に座り、肉に目を輝かせていた。そして配られる度に、一々その部位のスペイン語での名前を配膳人に聞いて、「勉強」し繰り返していた。
「こんなにお肉が食べられるなんて、本当に幸せなところですね! マスミさん」
「だよね、日本じゃこんなに食えないもんね」
赤身肉を細切れにして食べていたモトコは、グリルの方を見ると次第に言葉が少なくなり、次いで俺の顔を見た。
「シモンさんは良くシュラスコを食べるんですか?」
「いや、まあ、そうしょっちゅう食べるものでもないから」
「シモンさんはどことどこの国の人なんですか?」
「母親がここのカライグアズ出身で、父親が日本人ですが」
「キャーッ、すごい」
何がすごいのか良く分からないが、とりあえず俺は笑いながらイチボ肉を噛みしめる。血の滴る味がする。確かに美味い。後の腹の調子のことを気にしていては、食事は進まない。モトコの背のさらに向こうの窪地に、トタンなのか合板作りなのかよく分からないが粗末な宿舎が見えた。彼らのことなど、ここではほとんど話題に出なかった。まして、部族など、ここでは古い西部劇に出てくるインディアンと同じ扱いである。カライグアズ政府も、レアアース鉱床の前に彼らの存在を無視しているようだ。そして俺はどこにいるのだろうか。上司のマスミが大きなロースをくわえ込む横でモトコは喋り続ける。
「シモンさんはどうして通訳になったんですか?」
面接か、職質か、と思いながら俺はイチボ肉を飲み込んだ。いや、人に聞かれるのは良い。興味を持たれないよりは。だが、俺は自分の説明がいつも下手だった。何故だろうか。水を飲んで時間を稼いだ。
「……懸け橋になりたかった」
いつものように嘘をついた。懸け橋になりたいとか、懸け橋になれる地点があるなどと思ったことは……いや、嘘なのかどうかもわからない。指標がないからだ。いわゆる大和魂も、仮にカライグアズ魂も、俺には遠いものだった。俺は常に混血という言葉が念頭にあり……そしてそれは何の立場も生み出しようがないのかと最近思っている。
「いいですね! 私もこの仕事を通じて色々な人の懸け橋になりたいんです! 懸け橋になりながら、自分探しもしたいなって!」
「おっ、いいねえ。自分探し。是非日本の資源戦略の未来を担える人財になってほしいね。財産のザイね」
目の前の男女の、自分探しという言葉にしがみつく話を聞きながら、俺はグリルの方を向いた。焼けた鳥が乗っている。自分探し。俺が中学の頃にこの言葉がもてはやされ、ある教師がやたら「自分探し」を称揚していた。そして高校に上がると今度はこの言葉は「空虚で意味がない」行為として蔑まれるようになっていた。言葉なんて急に生まれては消耗していく。だが俺はそれほど悪い印象を持っていなかった。もし、そういう理由でしか実際に行動や旅の理由が見いだせないなら、それを行えばいいとすら思っていた。その結果訳の分からない社会に組み込まれるしかなかったとしても。太った白人の支配人は、クーラーボックスからバドワイザーを出し、全員に振る舞い始めた。ここも、もうじき衛星通信システムに組み込まれるという。そして最後に、鉱床の方ではなく、ジャングルの比較的景色が良さそうな面を背景に、タブレットで記念写真を撮った。
3
「また四時間揺られっぱなしか」
運転手がバドワイザーを飲んでいることに誰も突っ込みもしなかった。モトコは真面目なのかそれともそういうフリなのか、タブレットで何かの報告書を早速書き始めようとしていたが、車が揺れるしタブレットも固定できないのでさすがに諦めたようだった。
「いやあ、手ごたえがあった。モトコさんもしっかり見たよね」
「はい! こんなところまで、三回飛行機を乗り継いで来た甲斐がありますね! お肉も美味しかったし!」
車が上下する。アメリカ、ブラジル、更にブラジリアの空港で乗り換え、三回。この国は、下手な観光地よりも遥かに遠い。その距離も、俺から色々な感傷すら消え失せさせている。
「しかし……先住民、というか野蛮人がいるんだってなあ。何とかしてもらわんと」
「世界がこんなにも進歩しているのに、自分たちだけの世界や事情で暮らしたいということはもう無理なんですし、もっと広い視野で世界に向き合ってほしいですね」
「ああ。サルみたいなものだろう。えーシモン、スペイン語でモノっていうんだって? サルモノ追わず、ワハハ! 戻ったら、より厳重な警備会社にもアテを付けないといけないな。シモンにはその時連絡を頼む」
少なくとも直接一度も見たこともない人々を、よくここまで雑に振り回せるな、と思いながら、俺は適当に頷いた。万事が適当だった。もうじき、この通訳という仕事も、AIに完全に代替されるだろう。
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