くちゅくちゅのビリヤニと太腿(JKの)

合評会2025年7月応募作品

眞山大知

小説

2,764文字

バスマティライスはおいしい。7月合評会参加作品。

警察が貴女のマンションに入ってきたとき、わたしはようやく救われた気がした。たくさんの足音。警官の怒号。逮捕令状。貴女の、白くて細くて、それでいて小皺がうっすら走る手首にかけられた手錠。わたしの頬に、安堵の涙がつたった。このままいけばわたしはヤンデレ殺人鬼JKにさせられYouTubeだったりTikTokだったりで世間の晒し者にさせられただろうから。

潤みきった視界。貴女が趣味のカレーづくりのためにこだわった、システムキッチンがぼやけて見える。わたしは床に座っていて、その場でうつむくと、左足は内側に曲げ、右足はだらしなく伸ばし、制服のスカートのプリーツと、わたしの太腿には、作るのに失敗した、くちゅくちゅのビリヤニのバスマティライスが乗っていた。――インドの炊き込みご飯。貴女がわたしの太腿を皿の代わりにして食べた、今日の夕飯。

 

 

朝十時あたりの山手線にぽつんとひとりで乗ってスマホと文庫本へ交互に目をやるJK。わたしはそんな類の人間で、保健室に登校して、ベッドに寝て、帰りたいときに帰る。おっさんの担任もおばさんの副担任も、わたしを腫れ物のように扱った。お父さんもお母さんも、大人なんて誰も理解してくれないし、同級生はわたしのことを蔑んだ目で見る。わたしは東京のど真ん中で、ひとりぼっちだった。ひとりぼっちは孤独を埋めるためにマチアプにすがるしかない。

高二の夏、わたしは貴女に会った。待ち合わせ場所の、ルミネ新宿のスープストックトーキョーで毒親本を読みながら待っていた姿が可愛かった。だから田舎出の秀才が新宿のカフェー嬢に惚れこんで破滅するなんて、谷崎潤一郎の小説みたいな身の滅ぼし方をわたしは貴女にさせていた。けど、わたしはカフェーでなく、コンカフェ嬢のJKだし、貴女は谷崎の作品に出てくる情けない弱者男性じゃなくて、わたしには絶対なれないバリキャリだ(まあ、アラサーなのにJKに手を出した貴女も、マチアプで知りあった年上の女にここまで入れこむわたしもろくでもない人間なんだけど)。

貴女のことは基本的にすべて好きだったけど、唯一、仕事中毒なところだけはどうしても受け入れられなかった。誕生日の日も、英語でリモート会議をして、わたしを置いてけぼり。「仕事が楽しいから」って貴女はよくふわふわのカールの髪を指でくるくる弄んで言っていたけど、いつも手の爪には噛んだ跡が残っていた。

髪も気を使ってるかもしれないけどよく目を凝らすと乱れている。貴女を見るたび、わたしは本能的に昂ぶってしまう。ああ、もうすぐ壊れるなって思うと背筋がゾクゾクする。世間知らずのJKのくせにって笑われそうだけど、わたしは貴女の終わりかけがわかった。瞳の奥で、頭蓋骨のなかで、心臓のなかで、静かに壊れる魂が。

貴女はわたしが止めない限り、会社で完璧なマネージャーだってことをいちいち自慢してくる。会議室では牙を剥き、プレゼンでは上司を黙らせ、しっかりKPIを達成し、クライアントには媚びも売る。誰より稼いで、誰より冷たい。

なのにわたしの前ではびっくりするくらい従順で、愚か。貴女、部屋でベッドでわたしに縛られたまま、「お仕事行かなきゃ……」って涙目で言ったね。わたしが「ダメ」って言って頬をビンタしたら、貴女はぴたっと素直に黙った。あのときの貴女の怯えるような顔を見た瞬間、わたしのなかで、バチンって音を立てて理性が弾けた。――好きって感情じゃない。もっと重たい。もっと暗い。なんていえばいいんだろうな、ああ、そうだ。破壊衝動だ。

わたし、高校生だよ? しょせん都立高の、出席日数も頭もギリギリのJKで、代々木のやる気のないコンカフェに出勤しても、あまり客に媚びず、むすーっとして、バックヤードで店長に嫌味を言われるぐらいの無能。

でも、いつの日だったか覚えていないけど、貴女の目は、わたしを本当の意味で「見た」。その怯えている目線は恋人に向けるものではなかった。おそらく、貴女は田舎から東京に逃げるまで、その目で実家で親を見ていただろう。

わたしは哀れみもこめて言った。

「わたしが、貴女のママになってあげる」

その言葉を、貴女がどう受け取ったのかは分からない。でも、その日から、貴女はわたしの言うことに逆らわなくなった。

ピアスを開けた。爪を毒々しい赤く塗った。コンカフェにも来て、貴女は「好きピが働いてるから♡」ってわたしに言って他の客に、蔑みと哀れみの混じった目を向けられても、笑ってた。

そしてあの夜、制服のまま座るわたしの足を、貴女がテーブルの下で舐めたときに確信した。もう、貴女はわたしなしでは生きられないし、わたしも貴女なして生きられない。

わたしの唾液がなければ喉も潤せない。わたしの許可がなければ何も食べられない。貴女は生きるために、わたしに命令させた。

 

 

貴女はビリヤニを食べていた。わたしの太腿に載せたビリヤニを、ひざまずいて、泣きながら。犬みたいに。

貴女は口からぼろぼろと、インドの米のバスマティライスを床にこぼした。わたしは貴女においしいビリヤニのつくり方を教えてもらったのに、あの日に限ってわたしはビリヤニづくりに失敗して、汁気たっぷりでくちゅくちゅになっていた、バスマティライスを。

貴女は「ママ、ママ。好き」なんて戯言を言いながら食べていたね。バカみたいだった。くちゅくちゅのビリヤニとJKの太腿に溺れてしまえと思った。

けどね、わたし、こんな惨めになりたくなかった。なにが悲しくて、干支一回り分より年上の女の母親代わりをしなければならないの。助けて。助けて。わたしもたいがいだけど、貴女はずっとずっとおかしい。

太腿のビリヤニを食べた貴女は満足したような、それでいてとても卑しい顔つきでわたしを見上げた。何もかにも怖くなった。貴女を殺さない限り解放されないんじゃないかって思った。わたしが泣きそうになったそのとき、遠くからパトカーのサイレンが聞こえだした。

 

 

結局お父さんの転勤についていって、わたしは東京から離れた。でもね、絶対にどこに行ったは教えられないの。お願い。できるなら刑務所から出てこないで。助けて。助けて。わたしは母親じゃない。貴女を産んだ覚えも、育てる義務もない。けど、あれから一年も経つのに貴女がずっと夢のなかに出てくるの。わたしがお母さんで、貴女は赤ちゃんになって、あの夜のように、赤ちゃんになって、私のおっぱいを咥えて、笑う。そして太腿に載せたビリヤニを食べながら、「ママ、ママ」って、甘えてきて、あんなぞっとする顔を見せてくるの。

わたしは貴女の母親じゃない。

なのに今夜も貴女は夢のなかで、わたしの目の前に這いつくばって、太腿に乗せたビリヤニを食べながら笑っている。

2025年6月6日公開

© 2025 眞山大知

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