近頃ひんぱんに磐井を連れ出していた。余のドタマをかち割る丸太の彫刻もずいぶんはかどって、最低限のラインはとうに越し、あとは余白に磐井創作の幻獣や裸婦なんぞあしらうくらいのことだそうで、先方もゆとりがあったので。もっとも彼の家業に彫るのはドタマ丸太ばかりでなく、何の板なのか詳細は聞いておらなんだが誰それから預かって来て、依頼の図(七福神だの阿弥陀だの)を彫ってはどこか他県に運送したりなんかもしている身の上、田畑や鯉の養殖は言うに及ばず、無花果の果樹園も然りで忙しくないわけではなかろうに、よく付き合ってくれていた。
それにつけても返す返すで。取り巻きに残っているのは、国乱れて忠臣あらわる、つくづく磐井だけである。それはまあ奉祀の丸太の彫刻を代々担って来た彼の一族としての性質でなくもなかろうが、彼本人の優しさと、幼少期は余がいくらか乱暴者から守ってやったような貸し借りであったから――その内容は守ってやった側につき覚えておらぬけれども、磐井がそう言うのであった。もしこれが優しいウソなら、守ってやったという事実は冥界にのみ存する。そのほうがかえって余にはありがたいが――義務的のことばかりではなかろうと信ずる。
考えてみれば、磐井が供物になっていたら、丸太の彫刻は跡取りを他家から取って来んけりゃならぬところであった。自分の脳天に落とす分は、最後に自分で彫ったであろうが。彼は昔から体格もよかったし、充分その可能性もあった。しかしだからと言ってわざと負けた道理になろうか、いまだ余に付き合い続ける裏づけになろうか、左様な低級の惑いに乗る余ではない。
際限なくくり返されて来た思い出話を、今またあらためてくり返しつつ、昔みんなで遊んだ場所をめぐっていた。漫画図書館のようになっている林の中の防空壕に長逗留したのち、みんなでニホンイシガメを飼っていた廃用水路に行くと、気品あるおんすがたが今も元気に生きていた。美土里が独りでかかさず餌をやり続けていることを余も磐井も知っていた。
嗚呼しかし磐井と歩いていても大した気晴らしにもならぬ。こんな退屈な男は。図体のでかいのもしゃくにさわって仕方がない。とはいえ余はもはや涙が出るほどの大笑いでもすれば動悸の不調を大きに呈する病身で、笑いはもう余には毒であるから、こんな安全な連れもいないわけではあるけれども。
ほかの連中も残っていたらもっと楽しかったであろうか。取り巻きの中には金持ちのボンボンもいたけれど、余から食い物やおもちゃを賜るしもべであった。勉強もできて物のわかったカシコもいたけれど、余から事々しい訓戒を賜る弟子であった。
半ば以上が郷に残っているけれど、今では滅多に会うこともない。みんな余を避けているのである。余が暇に飽かして歩き回っていて、不意討ちをかけ、ばったり出くわせばオオと応じ、あたかも旧懐を喜び、短からず話しもする。こいつめと小突き合い、ハハハハと笑い合い、余のことを兄貴分のようにまだ扱ってもくれる。しかし仕事も家庭も持つ彼ら彼女らと、無為徒食の余はもう話も合わぬ。仕事も家庭もなく引きこもっておるのが一人いるけれど、暇つぶしにたびたび訪ねた余に、とうとう心を開かなんだ。ああいう輩は前世で勤労や社交のたぐいをぎゅうぎゅうやり終えたのであろうから、もしくは来世に繁忙を極める待機中なのであろうから、せめて現世は休ませてやることだ。
この退屈な磐井の奴も、うどの大木然としておるけれどもなかなか隅に置けないもので、余が去るまで入籍・挙式を差し控えている相手を持っていることくらい余も知っている。すでに子どもすらいるのである。隠しおおせるとは彼も思っていなかろうが、断乎話題には出さない。余も突っ込まない。
ただ余は磐井の婚約者と子どもに出会えば話しかけるし、鼻や口元なんぞ彼の幼少期を彷彿させる女児に飴なんかくれてやる。向こうも余を霊界の英雄としての畏怖だけでなく、磐井の心友としての親しみを以て、物をもらう恥辱に耐える。
ある日、磐井が言った。ただでさえ厳めしいつらをいっそう険しゅうして、平生の通りもごもごとしばらく要領を得なんだが要約すれば、こんな郷を造ったのはいったいどういう人やろか。
そう言う彼はどういう心境であるのだろう。余を絶命せしむる丸太に勝手気ままな仙女だの聖母だの彫りながらしばしば余と歩き回るを余儀なくされたる彼の底意の真相がどうであれ、いや言われてみれば郷を造りしは何者ぞ、現代的な、あまりに現代的な賢しら疑問ではあるけれど、愉快な発足感に気分も晴れた。
余と磐井は、磐井家の蔵を掃除すると言って磐井の祖父から許可を得ると、存分に漁った。しかしさて探し物をするにも掃除のせめて痕跡を残すにも、余の神経質も磐井の怪力も帯に短し襷に長しで、いい大人が二人そろってぐずぐず這い回るうちに時間ばかり過ぎて成果なく、しょっちゅう中断しては煙草ばかり吸っていた。
それでもやがて重々しい長持から磐井の先祖が何か書き連ねた冊子のようなものが出て来た。栄華を極めた紙魚も死に果てて久しい古紙に、墨で書かれたぐねぐねの達筆に漢文なんぞ混ざって読めなかったから、磐井の祖父に読んでもらおうと決まったけれど、念のためケータイにいくらか撮影しておいた。あんのじょうざっと目を走らせた磐井の祖父は朗読してくれず、二度と触るなと言い置いて、冊子を持って蔵に消えた。
さんざん散らかした分をせめて戻しておかねば済まない旨伝えたけれど、磐井の祖母はにこにこしつつも断乎として、もう掃除は結構どうもご苦労様でした。
相談のすえ雉子の旦那に画像を見せると、内心欣喜雀躍であろうにおくびにも出さぬ涼しさで、画面に触れた指をくいくい広げて拡大しスクロールし、早くも老眼の気配を示して顎なんぞ引いておると思えば、さすがは知識人くずれで、当て字、異体字、変体仮名、合字、崩し字まみれに書かれた和漢混交文をすらすら読んだ。
いわく、郷を造った人物の孫の手になる手記らしい。郷を造ったのは都から落ち延びて来たインテリで、地上の楽園を造ろうとした。孫は祖父に嫌悪感を抱いていたように思われる節が行間に嗅がれる。書き記した動機のようなものの弁明くさい箇所がずいぶん占めて、肝心のところを押しのけているのがもったいない。(もしくは旦那が、我々には読めないのをいいことに何か隠していることのありやなしや。まあ強いて疑うのも面倒だし、あるまいと信ずる。)
いわく彼(郷の造り主)は、いわゆる新興宗教の開祖であった。その狂的な幽冥論が受け入れられず、逮捕・暗殺の噂がいよいよ現実味を帯びて来たところで各地から信者らの声明読み上げられて申さく、開祖処刑されし場合は信者の追い腹熾烈を極めるであろう、また加担せし直接的処刑者・間接的煽動者どもへ親類縁者・子々孫々含め甚大なる天誅が下さるるであろう云々、騒ぎが長引けばかえって新たなる信者の増加も懸念され、じっさい焚書坑儒の噂から経典の流布増刷は凄まじく、一刻も猶予ならずと早々に追放せられたが、当人は蛙のつらにしょんべん、材大なれば用為し難し、大廈の倒れんとするは一木の支うるところにあらずとキッパリ諦め、この地へ至ったとあるが真偽は如何。
当時の客観的な記録をあたって裏を取ってみるという旦那の口約束も如何。
彼(造り主)はそののち、この辺鄙な土地で邪宗を完成させようと尽力していたようである。簡単な経典の抜粋がかろうじて載っていた。
旦那が端折り端折り朗読するのにいわく、吾人が今しも生命を投影せられているこの覚束なき現世における観念・空想のたぐいは、半ばは経験からの連想、半ばは純粋世界なる幽冥界からの想起なり、その識別法は、現世にあるものの直接的発展は経験からの連想、現世にないものの間接的発展は幽冥界からの想起、すなわち地獄のたぐいは現世に材料が充満し、ありありと描き得るが、極楽のたぐいは現世に材料がないために、直接的には首肯すべからざる代替物を用いて、蓮だの大量の仏菩薩だの、それ自体では幸福と結びつかぬものでがんばっている、すなわち極楽の概念は幽冥界の不十分なる想起にほかならぬと知るべし。
どうすれば極楽を、地獄図における火や血や釜や刃物のごとく、現世にあるもので以てありありと描き得るか、美味なる御馳走のたぐいは如何、しかし食い物は殺生から成り、腐るものにして、美味であるほど消化に悪く、排泄せられて不浄に片づく、また満腹の幸福は飢えの前提がなければ成り立たず、やがて過ぎ去る、酒酔い然り、安眠然り、淫楽然り、床払い然り、幸福物は不幸物の反作用としてのみ現じ、泡沫に消ゆ、然るに飢えは満腹を前提とせず、限度を越しても翻らず、時が経っても消え去らず、眠け然り、凍え然り、無聊然り、痛痒然り、孤独然り。地獄を表現する材料としての不幸物は現世に蔓延るのに対し、極楽を表現する幸福物は甚だ模糊とせり、然るが故に、極楽は経験からの連想にあらず、幽冥界からの想起なり、斯くも現世における幸福物に実体なき所以は、幽冥界に厳存する幸福物の影に過ぎぬ故なり、因って以て幽冥界の様相は、純粋なる極楽の直接的材料のみで構築せらるるものと知るべし。
吾人は幽冥界において老病衰悩を持たず、然るが故に神仏も持たず。生前の業にかかわらず、死ぬるのち必ず赴くなり。現世に生まれて来ると謂うは、あたかも悪夢を見るがごときものにして、覚めてのち幽冥界に起く、起きてのちはまったき極楽が還って来。
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