モデルについて
名前のついた人物にモデルはいない。(著者の分身の術であるというのが最も近く、そう断ずる途端に激しく違う。)下図の段階で脳裏によぎる人は数人いたけれど、幸いにして書き始めた瞬間にかけ離れ、書き進むうちに全く脱離した。
そうでなければ書けたものではなかった。
二〇一七年 某月
引きこもりの元同級生の家へビデオカセットを返しに行く道々、あたかも天の好意を賜って、通り過ぎる家々には幸せなエピソードが充満しているように感ぜられた。エピソードたちはのどかに安らいながら、住人たちに思い出される時を待っているかのようだった。
家々に暗い事件が充満しているかのような日は天から疎んぜられていた。今日は大丈夫らしかった。
ビデオは十六、七年ほど昔に毎週録画されていたお笑い番組だった。コマーシャルが懐かしかった。映像が意想外にきれいだった。トラッキングを最良に合わせても少しブレたけれども、人類が滅んだのちもカセットテープだけはつくのではないかと思われた。
十階建てのマンションの七階だった。脱いだ靴をそろえつつ、これで褒められていた友人がいたのを思い出した。人の靴をもそろえるのだった。躾というより性癖のようだった。
脱ぎ散らかされているたくさんの靴というのはにぎやかでいいと思うけれども。また人の靴を触りまくるのは清潔な癖ではないと思うけれども、まあ褒められていたのでよかった。ある日とつぜんやめた。あァやめたなと思った。
座布団を出してもらって座る。借りたお笑い番組に出て来た台詞や仕草を真似た。二人の掛け合いだった。それは十六、七年ぶりのことだった。
彼とは水泳教室で一緒だった。半田といった。
お互いの友人の輪は別だった。水泳教室だけの仲だった。
幼年クラスが終わるのを待っているあいだ、よく話した。くだんのお笑い番組の話題がとりわけ盛り上がって、私が何か場面を再現すれば、半田があとを続けた。世間話が途切れて、ある程度の沈黙があれば再現し合った。それなので沈黙が始まると内心笑けた。
幼年クラスのあとはプールの水が小便だらけだろうと思われてイヤだった。一度大便まで沈んで揺れていた。先生が大きな注射器みたようなものを持って潜り、吸い取っているのを、隣のレーンを泳ぎながら見ていた。
プールサイドに座って、海パン越しのお尻に不快な水とザラザラした硬さを感じつつ、順番を待っている時、ふと真正面に女の子が顔を出した。鼻血が出ていた。きついゴーグルに眉間の肉が盛り上がって鬼のようだった。違う学校の、年下の女の子だった。目が合ったので、
「鼻血出たんか」
と私が聞くと、指で確かめた女の子は、うなずいたが、どうしようもなくふたたび水に顔をつけ、そのまま続きを泳いで行った。私はなぜか申しわけないことをしたと思った。
けっきょく水泳教室はけっこう短めでやめた。三つはやった習い事は、すべて短めでやめていた。事情はその時々でまちまちだったけれど、不熱心は共通していた。
当時やっていたテレビアニメの話は、当時はしなかったけれど、今すれば、やっぱり半田も見ていたのだった。中には少女向けのアニメもあった。けれども、これは私の友人たちも、じつはみんな見ていたのである。
高校生の頃、刺青の目立つガラの悪い海水浴場で、仲間を一人ずつ、無意味に胴上げしながら、最後は海へ放り投げるという遊びをしていた。その時、誰だったのかもうわからないけれど、ある少女向けアニメの主題歌を歌い始めた。するとみんな歌えたのである。声をそろえて歌いながら胴上げしては放り投げていた。
この騒ぎを気に入ったおじさんがビールをごちそうしてくれた。スキンヘッドの固太りなおじさんだった。あとで向こうに救急車のサイレンが止まったと思っていると、このおじさんが逃げて来て、
「女の子に飲まし過ぎた」と言って去って行った。
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