この章ではディーダラスの勤める小学校の様子が描かれる。子どもたちとのやり取り、ユダヤ人嫌いを平然と表する校長ギャレッド・ディージーから給料を受け取る場面。子どもたちを相手しながら、内心で彼らを毛嫌いするディーダラス。かと思えば、算術の課題をやる為に一人取り残されたサージェントに自身を重ねて優しさを見せる。この二面性、自己矛盾でディーダラスの屈折を見て取れる。彼が母を亡くしたことが大きく関係していることは言うまでもない。
後半では、校長室でディージーと会話を通じて彼の人柄が表される。ギリシア神話とシェイクスピアを引き合いに出して彼らの関係性が浮かび上がってくる。ここでディーダラスはディージーから口蹄疫についての投書を、新聞社と関わりのあった彼に届けるよう頼まれる。ディージーはユダヤ人の破壊工作が始まっていると、陰謀論を憚りもなく熱弁する。
トランピズムや反ワクチン、現在の旧統一教会をめぐる問題まで昨今の社会問題に陰謀論がつきまとっていることを考えると、このディージーの描写は極めてリアリズムをもって立ち現れてくる。百年が経っても人は本質的に変わらない。そういったことを改めて思う。百年後に今の社会問題を普遍的物語へと昇華した小説が読まれることがあるのだろうか。ひとまず、ジョイスはそれを成し遂げた。そう言っていいだろう。
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