風の強い海辺の砂の上に、小屋から出した椅子を置いてそれに座って海を眺めていた。
手には冷蔵庫に入っていたビールを持っていた。それを飲みながら海を眺めていた。
何処までも広がる海を眺めていた。
空はどこまでも青く、雲の一つもない。太陽は真上、中天にあり、そこで照っていた。たまに手を透かしてそれを眺めた。透かした掌が燃えたように赤や、黄色、黄色くなった。薄っすらと手の中身が見える。
暑いと感じたら、感じていない時でも、たまに波打ち際まで降りて行って足を波の、海の中に入れた。裸足の。自分の両足を。そうして砂のついた足を洗った。
波が、波は足にあたる度に、白く砕けて、はじけて、じゃぶじゃぶと音を立てた。
寄せては返す波間、波が置いた自分の足、足を、足首を、踝を洗う様を眺めていると、何の前触れもなく不安がやってきた。得体のしれない怪物のように大きな、巨石や大木、山の様に大きな、大きな不安が、忽然と、悠然と、突然と目の前にいる。いた。そして、それで、私の中に。
安寧。
この安寧。今。この時を思うと、想うと、たまらなく不安になる。
次、次に目を覚ました時もしも、もしも、ここではない所にいたとしたら。ここではない所にいたら。ここじゃない所にいたりしたら。
そんな事を考える。最近。いつの間にか。いつ来たのかわからない。でも考えている。それが去来すると不安になる。たまらなく不安になる。体が押しつぶされるような気がする。形が。私が。押しつぶされるような。
そんな不安を胸に海を、そこに広がるすべてを、見るともなく眺めていると海の中に何かが見えた。
「……先生」
それは、その藻、海藻のように見えたそれは、それは先生であった。
「先生っ」
それは、私の両親が生前じゃぶじゃぶにお世話になった。なっていた。私もそう。本当にじゃぶじゃぶに御世話になっていた。御寺の御住職。内科医もしておられた。先生であった。
父の葬儀、母の葬儀で経文を読んでくださった。
火葬場まで来てくださった。納骨の時、私と一緒になって遺骨を押し入れてくれた。くださった。先生であった。父と母に戒名をくださった。先生であった。
波間に漂うビニールの袋のような、法衣を御召しになられた先生の所に急いで、走って向かった。
「先生っ先生っ」
御体を抱きかかえて浜辺、陸地まで引き摺って行く、
「先生っだいじょうぶですか」
その途中で、先生は突然ゲボゲボと咳をされて、どろどろした、口内から、どろどろとしたベビーローションのような水を大量に吐き出された。
「先生っ先生っ」
その先生は生きておられる。生きておられた。
噴水の止まった先生の事を背負って小屋まで戻り、ベッドに寝かせた。
口の前に手をかざすと、弱弱しくではあったが、しかし穏やかに、呼吸をされている。されていた。
濡れた法衣のままでどうしたらいいのか迷ったが、とにかくそのまま手近にあった自分の服の余りであるとか、布団を上からかぶせた。かけさせていただいた。
足袋だけは何とか脱がすと、砂だらけになった御御足が、砂にまみれた、不憫な、御御足が現界、顕現された。顕在された。
その御御足の砂を舌で舐めとった。
皴皴の、象の皮膚の様な、張りのない。既に、もうすぐ死にそうな人間の足。皮膚。先生の御御足。薄皮が剥がれそうなところもある。あった。先生の御御足。その表面についた砂を舌を使って舐めとった。砂が舌の表面にざらざらと感じた。
一本一本の指の間まで舐め上げさせていただいてから、舐め終えてから。今度はそれにじゃぶじゃぶとビールをかけて、かけてから、再び舐め上げさせていただいた。
その間、先生は起きることも無く、わずかな声を発することも無く、ただ静かに、穏やかに呼吸を繰り返していらした。
気が付くと床で寝ていた。ベッドを見ると先生が起き上がって床にいた私を、伺うように、谷底を覗き込むように見ていらした。
「ここは、何故、どうして、ここに」
先生は混乱しておいでであった。
先生はこの、今のこの状況を御理解されていない様子であった。
暫くして落ち着かれた先生を、先生に外にある、砂の上に置いた椅子に座っていただき、いただいてから自分は横で砂の上に直接座って、正座して先生のお話を伺った。
先生は、いつもの私の様に、いつも私がそこに置いた椅子に座ってそうしている様に茫漠と海を眺めながら。先生は自分が信仰を捨てた為にこの様な事になったのだ。と、おっしゃられた。
先生の法話は最初はゆっくりと、どろどろとした速度で始まったものであったが、すぐに堰を切ったようにじゃぶじゃぶとなった。
先生の奥様がお亡くなりになった。
大雨の日、夕刻、自宅の前の片側二車線の道を横断している途中、車に撥ねられた。その際、ボンネットに奥様のお体を乗せた車は、反対車線の側にあった家屋の石塀にぶつかり、その時の衝撃で奥様の上半身と下半身が千切れた。先生はそれを別所で行われていた宗派の会合が終わるまで知らず、夜、帰るという段になった時に知った。若先生はその頃まだ仏道修行の途上であった為に、自宅にはおられなかった。
奥様は先生が帰ってくるまでその状態のまま、車のボンネットの上で生きておられた。幸いなことに車に撥ねられた際の痛みとか、上半身と下半身が千切れた際の痛みなどは無かったそうだ。奥様の意識は死ぬ直前まではっきりとしており、雨のすっかり上がった夜気の中、先生と奥様はそこで最後の話をされた。
どういう話をしたのかは知らない。その後も先生からその時の話は何も伺わなかった。父も母もそれに関しては何も知らないようだった。噂話なんかでもその時の事は俎上に上がらなかった。
ここで先生は、海を眺めながらその時の話をされた。
奥様はその最後の時、先生に向かって、
「あの子に打ってと伝えて。打って。と。それから、●●には、あの人には見て。見て。と」
そう言ったのだという。奥様は死ぬ間際、そう言ったのだという。先生の御子息、若先生は学生時代、野球少年だったらしい。全国大会に行ったこともあるほど野球をしていたのだという。そして、それから夫である先生の前で、目の前で、先生の名前を出して、見て。とそう言ったのだという。
奥様はその時、最後のその時、その時、そこではなく、その場所ではなくどこか、いつかの昔の記憶の中にいた。死ぬ間際、最後の時に。先生との最後の会話のその時に。
「だから、私は、私はその時にこの自らの信仰を捨てました。生きている者は例外なく死に至る。この道に進んだ時にそう学んだ。わかっていました。わかっていたつもりでした。それなのに、なのに、ですが、しかし、そう、私はその時わかったんです。仏も神もどこにもいないんだと」
「先生、それはサインです」
先生。それはM・ナイト・シャマランのサインです。
それはM・ナイト・シャマランのサインです。OLDのあたりで、あの、っていう代名詞からサインが外れて、でも未だにシックス・センスはついてるけど。まあぼちぼち、あの、がヴィジットとかOLDになってきた感がある。でも多分シックス・センスは一生ついて回るんだろうなと思う。それはM・ナイト・シャマランのサインです。M・ナイト・シャマラン監督脚本制作主演サインです。
「おそらく、これから先生の御身にとても大きな危機が訪れるんです。とても深刻な事態に直面するんです」
大きな。大きな。とても大きな。サインみたいな。大きな。波打ち際で私の中に入ってきた不安なんかよりも大きな。大きな。森や雲のように大きな。大きな。
「だからきっと、先生。先生が信仰をお捨てになられる必要はないと、思います」
私なんかが先生にこのような事を申し上げるのは大変に礼を失する行為だとは思いますが。
その後も、先生はその事、サインについての事を私にお尋ねになられた。詳細を話すのも憚られたので、ビデオかDVDか何かがあるのではないかと思い、先生をそこに残したまま、私は小屋に戻った。
しかし小屋のどこを探しても無い。サインのDVDとかは出てこない。何処にも無い。出てこない。そうしてひっかきまわしているうちに古新聞の束の下に、
「ああああ」
「先生っ先生っ」
古新聞の下にあった雑誌を小脇に挟み、電池の入ったラジカセ、それから二本のコロナビールを持って先生の下に走って戻った。
しかし先生は既にそこにはおらず、椅子の上には先生が着ていた法衣だけが残されていた
法衣はびしょびしょに濡れており、その至る所に小魚だの、小エビだの、小さな蟹だのが絡まっていた。
小さな蟹を一匹捕まえてロープで結んだ虫かごの様なものに入れて、ちょっとした崖みたいになっている所から海に投げた。
暫くしてから引き上げるとかごの中にロブスターが蠢いていた。海水を入れた鍋に火をかけ、そのロブスターを茹でてから、ビールと一緒に食べた。
「うまい」
最高にうまい。
砂の上に座ったままロブスターを食べてビールを飲みながら、古新聞の下にあった雑誌、7月30日発売の『ROCKIN’ON JAPAN』2015年9月号特別付録『JAPAN’S NEXT 2015 SPECIAL CD』を開封した。ラジカセにセットして、最後の、トラック10を再生する。
するとラジカセから、水カンのカーネルdemoが流れ出した。
風が強い場所なので、ラジカセのボリュームつまみを目一杯ひねった。最大ボリュームのカーネルが流れだした。
カーネルはdヒッツとかのサブスクサービスでは聞けなかった水カンの曲。
アルバムとかにも入ってない。その雑誌、7月30日発売の『ROCKIN’ON JAPAN』2015年9月号特別付録『JAPAN’S NEXT 2015 SPECIAL CD』でしか聞けない。あとようつべとかでしか。
先生のおかげでその雑誌を見つけた。先生に感謝した。本当に心から感謝した。感謝しても感謝しきれない。
私はそれを聞きながら、リピートして何度も聞きながら、再び先生を御遣いくださった海に祈り捧げた。地面に両手両足、両膝をつけて砂浜の砂に額を押し付けて長いあいだ海に向かって祈り続けた。出来うる限り長い時間そこで祈り続けた。
散らかしてしまったのを片付けようと思って小屋に戻ると、床の上に全く見覚えのないバットが転がっていた。それを波打ち際まで持っていって、そこで振り回した。
もしかしたら、何かのきっかけで、偶然で、先生の御子息、若先生の代わりに自分がサインのホアキン・フェニックスの役を仰せつかる事があるかもしれない。勿論そんな可能性は低い。無い。でも、それでも一応。控えとして。控えの控えとしてでもいい。控えの控えの控えでも。補欠でも。なんでもいい。
私はバットを振り回した。握る時左右どっちの手が上なのかも下なのかもわからない。力任せに振り回して腰を痛めたりするかも知れない。
それでもとにかく振り回した。バットを振る度に足に当たる波がじゃぶじゃぶと音を立てた。
中天の太陽の下、否応なく噴き出した汗を拭う事もせず、呼吸を荒げながらバットを振り回し、耳コピしたカーネルを歌っているうちに私の中に溜まっていた不安が薄らいでいく。
薄らいで行くのが見えた。目に見える様だった。
見上げるほどに大きく、天まで届く神や御仏の様だったそれが、老醜者や、健忘症患者、記憶障碍者の頭の中の記憶のように、ほろほろと、小さく、細かく、細切れにされて、ほろほろと、低温調理器で作った鶏のハムのように、ほろほろと。
頭や、精神、体内、あるいは体外にある心、私から剥がれて落ちてゆく。剥落してゆく。
私から剥がれて落ちてゆく。
不安が落ちてゆく。
陽の光を浴びて地面に吸い込まれて消えてゆく朝靄のように。
不安が落ちてゆく。
下半身まで落ちて行って足から海に溶け出していってるのかもしれない。
不安も雑念も海に溶けていく。
それが海の色を青くしているのかもしれない。
全て海に流れていく。
何もかも溶けて流れていく。
やがて空に登り、空の色さえ青くする。
波に足を入れ、空の下、中天の太陽の下、バットを振り回し続けた。一振り毎に不安が消えていくのが見える。見えた。耳には水カンが聞こえる。歌っている自分の声も聞こえる。じゃぶじゃぶと海の、波の音も聞こえる。バットを振る度にその音も聞こえる。自分の呼吸も。このままずっと振り続けたら、もしかしたらそのうち先生の声も、死んだ父の声も、母の声も。
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