亦、裂帛の声在り、繰返し裂帛の声在り、引き続き裂帛の声在り、耳を塞いでも亦、こちらが幾ら沈黙を貫いても四方八方から裂帛の声在り、ならばと耳を澄ませてみれば、その声愈々大きく、恰も死を慫慂するが如き気合在りて、烈々たる幽世に加えて烈々たる私、焉んぞ久しく心臓の音を聞かんと、はたとそれに思い至り、更に胸に去来するは、昨夜の大火に街が消えた事であるが、どうやらそれも無かった事として扱われているらしく怪しく思う、然るに今日と云う日、彼岸に見えるは矍鑠たる佇まいのあの老婆、もう十日もあそこに立ち尽くしているが誰もそれを気に掛けていない様子でともすれば私の双眸にのみ映っている一箇の虚像に過ぎないのやも知れず、はて、あの女に触れる事が出来るのかしらんと近づいて見れば、車が通り、槍が降り、戦争が始まり、亦戦火に街が沈む、今日も亦戦火に街が沈む、疫病流行り、亦疫病流行り、繰り返し疫病流行り、亦、裂帛の声在り、繰り返し裂帛の声在り、果たして街は人々にのみ在る恐怖に包まれる、やがて恐怖は他国に伝播し在りもしない疫病への恐怖が世界即ち幽世を覆い尽くす、誰も本統の事は言っては成らぬ、正しく恐れねば成らぬとの事を必定の事として、亦、繰り返し裂帛の声として街に、他国に、世界に、即ち幽世に皇帝の玉音響き、人々は認知的不協和を恐れ、其の玉音に従い、即ち己を失う、それが此の百年であり千年である、つまり認知的不協和これが世界の原動力であるわけだが、ここで云う世界は必ずしも幽世に等しい概念ではない、それは今も未だ彼岸に見える矍鑠たる佇まいのあの老婆の存在がそれとなく私たちに伝えんとしている間違いのない事実である、あの老婆即ち希望であるが、それにしても希望が幾ら矍鑠たる佇まいとて老婆と云うのは情けない話である、恐らく齢九十にも成らんとしているあの老婆、八十年前であれば尚希望然としていたのであろうが、既にしてそれは八十年前の希望であり、今にしてみれば埃を被った希望ではあるまいか、若すぎる人も信用が無いが歳を行き過ぎている人も亦信用に欠ける、ともあれあの老婆が希望であるのは、容易に近づけない事からも僚かな事である、何やら大きな手があの老婆を隠そうとしているのは僚かであるが、ただ一人私だけがあの老婆即ち希望の存在を知っている様で、幽世でただ一人私のみが知っているのであれば何もそれほど躍起に成って隠そうとする必要も無く、ちらちらとあの老婆の存在を見せて来るのは私を狂わさんとしているのであろうか。いずれにしてもまだしばらくは裂帛の声が繰り返され浮標の如き毎日が続く。
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