「みなさん、ごきげんよう。私はトリニティ・カレッジ教授のジェームズ・ジョージ・フレイザーです。今日は私の愛する家族を紹介します。まずは長女のリリー・メアリー」
「こんにちは、リリー・メアリーです」
「母さんに似て、良く通る声だ。次は長男のグレンヴィル」
「こんにちは、グレンヴィルです」
「しゃきっとせんか! そして優秀な助手であるダウニー」
「先生、僕は家族じゃありません」
「私は君を、三番目の子供だと思っとるよ」
「先生……」
「最後は、長年にわたり私の研究者人生を支えてくれたリリー」
「ジェーーーーーーーーーーーームズ!」
「なんだ、リリー、いるのか?」
「私の後ろにいます、先生。ヤドリギのように、密着して」
「イギリス、フランスで認められた高名な学者様がのんきに講演会ごっことはね! 執筆はどうしたの? 本がホコリをかぶって、まあ汚い!」
「ちがいます、奥様。先生の伝記を書くために、僕が頼んだんです」
「はあ?」
「僕が! 頼んだ!」
「理由を言え!」
「先生、ご自分の話をなさらないから、講演風なら、すらすら出るかと思って」
「はっ! あんたは何年助手をやってんの!この人の舌なんてね、ただの飾り! 今引っこ抜いたってね、なーんの影響もありゃしない! 書くしか能のない老いぼれだよ」
「リリー、それはちょっと、私に対してひどいのではないかな」
「そうですよ、奥様、あんまりです」
「家族なんかどうでもいいくせに! リリー・メアリーはインフルでとっくに天国行き、グレンヴィル、あの放蕩息子、外国に行ったきり手紙ひとつ寄越しゃしない!」
「リリー、天国はない。キリスト教はまやかしだ」
「へえ! じゃあ可愛いメアリーはどこにいるのかしらね!」
「虚無だ」
「それではサー・ジェームズ、あなたも娘のいる訳のわかんないところへ送ってさしあげましょうか?」
「と、ミセス・フレイザーは金切り声をあげて言った」
「そんなこと伝記に書いたら承知しないよ!」
「でも、書いた本の話ばっかりじゃつまんないですよ!」
「あんただってもうわかってるだろ! この男は本と心中できりゃそれで満足なんだよ!『金枝篇』とエッセイ読んだら大体わかる。陰気で、本、本、本で、ちょっと休憩して、また本、本、本! なんという人生!」
「すみません、先生。僕はしばらく暴漢になります」
「ん? どういうことだ、ダウニー?」
「おら! おら!」
「えいや! 負けるもんか!」
「おい、二人とも何やってるんだ? ダウニー、説明してくれ」
「先生、ちょっとお待ちください。おら! すぐ口述に戻りましょうね」
「うら! うら! ダウニーはどうやら暇が欲しいみたいだね! なら、くれてやる!」
「うっ! うう……」
「おい、本の山が崩れたんじゃないか」
「あーらら、サルスティウスとウェルギリウスが、ぺっしゃんこ!」
「私の蔵書になんてことを……」
「次はもっと分別のある助手を探さなきゃ!こんな男だからジェームズも気が散るんだ!」「私はダウニーでないと仕事はせんぞ」
「先生……」
「あなたは黙って言うこと聞いてればいい!」
「君の言うことなら、ずっと聞いてきたよ」
「誰と付き合い、誰と付き合わないか、ちゃんと守ってないだろう!」
「ダウニーのことは君も賛成したはずだ」
「最初はね! でも大失敗! 本当に人を見る目がない! 家を見る目だってない! あのボロ屋の浴室に閉じこめられて、気が変になりそうだった!」
「風呂のドアまでわかるはずないだろう」
「そうやって責任逃れ!」
「私が悪かった。仕事に戻るから、な? ダウニーの伝記が終わったら……」
「ダウニーはぁぁぁぁ、クビィィィィ!」
「先生、今こそ反抗です。頑張って!」
「言われてみればその通りだ。我慢ならん!」
「かかってこい! ほら!」
「まってろ、お前を、ぐっ!」
「黴臭いお足下にお気を付け下さいませえ!」
「先生、捕まえました! 僕の声の方へ」
「よーし、待ってろよ……とっちめてやる」
「イギリス紳士にあるまじき下品さ!」
「さあ、先生、これが首ねっこです。積年の恨みをぶつけてやりましょう!」
「うおお!」
ジェームズが首を掴んだ、その時だった。彼のファンが書斎の窓枠いっぱいに顔を並べていた。尊顔を一目見ようとやって来たのだが、偉大な学者の凶行に恐怖を覚え、帰ってしまった。助手に状況を説明してもらったものの、弁解する余地はなく、噂は一気に広まった。自身と妻で築き上げた地位は不動だったが、それでも暴力夫の汚名はしばらく消えなかった。夫妻がこれ程激しいケンカをしたのは、後にも先にもこの一度きりだった。
※参考文献 『評伝J・G・フレイザー その生涯と業績』上下 法蔵館文庫
"J・G・フレイザー教授、乱心の末に社会的評判を落とす"へのコメント 0件