五時から五時

かくおとこ(第13話)

吉田柚葉

小説

2,079文字

一日中散歩していました。まあ、一時間半なんですけど。

 ふだんは七時はじまりの五時おわり。出産時期になると五時はじまりの五時おわりで、三ヵ月間やすみなしだよ。その時期は、二週間ほどで記憶がなくなる。

 と、北の大地で羊飼いをしている、よく肥えた、ふるい友人が言った。その三ヵ月をぬけると、とたんにものを書きたくなるという。

「あれはふしぎなもンで、本当に記憶がなくなるンだよ。牧場で羊の世話をしている五時から五時までをふっと飛びこえて、気づけば、自宅にひとりでいる。畳であぐらをかいて、テレビがついてるんだ。それを見るともなく見てる。で、ふとした瞬間に記憶がなくなって……、目覚めたらまた、五時から五時だ。あの羊が病気になった、とか、その対応をしているうちに、きのうまで元気だったほかの羊がとつぜん死んだ、とか、そういう記憶は、三ヵ月してから追体験するように思いだす。ドッとつかれが来るンだけれど、それとは別に、何か腹にものがたまっているのが判るンだナ。それはトイレに行くとか、そういうことではなくて、やっぱり、書かないことにはしかたがないンだ」

 私はうなずいた。ふるい友人は、手もとのグラスに手をのばした。そこにはギネスビールが注がれている。赤茶けた、太い指がグラスをつかむ。

 かれが呑んでいる間に、

「羊はかわいいか」

 と私は質問した。「書く」ことにかんする話題をうちきりたかったからだ。かれは、グラスをテーブルに置き、

「ただの家畜だよ」

 と言った。私は笑った。ふるい友人は馬鹿笑いした。

 しばらくして店を出た。駅に入り、電車にゆられた。腕時計を確認すると、日をまたいでいた。

2020年2月2日公開

作品集『かくおとこ』第13話 (全14話)

かくおとこ

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© 2020 吉田柚葉

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