近くまで行かないとわからないことがある。遠くからでないと気づけないこともある。遠くから眺めたこと、近くで見つめたこと、どちらが記憶に深く刻まれる? 大きいものはカメラをぐーっと引こう。小さなものはこっそり覗き込もう。遠い。まだ遠い。近い。近すぎて。だからAの手が必要だ。まだなんだ。僕は、僕の腹の傷跡だけじゃだめだって知ってるだろうが。
光射す午後に、僕らは海沿いの道路へやってきて車を降りて歩き出す。ここは昔、街の若者が車でチキンレースをよくやっていたような長い長い直線道路だ。
「僕、あれからまた店に行ったんだ。だって、納得いかないだろ? 君があんなふうな扱い受けて」
「今更どうでもいいよ、俺は慣れてるし」
「でも、君の左手見た瞬間にあんな態度って。僕、食い下がったんだ。そしたら片手でも操作できるように改良できるケースがあって、そういう人向けのバイクも海外では普及してるって。だけど、やっぱり、その、丸々無いっていうのは……」
「ほらな、そんなこともう忘れようぜ」
「僕がバイクを運転して、君が後ろに乗るってのは」
「それじゃだめなんだって」
「そうだよね」
「お前が俺をじゃない。俺が、お前を、連れて行くんだ。バイクでやるってのは無しだよ。でもちょっとロマンチックだったろ?」
「うん。わかった。……ねえ、キスして。頭、撫でて」
「右手? 左手?」
「焦らさないでよ」
「わかってるよ、気持ちいいか?」
「うん」
「なんでこの無いほうの手がお前には感じるんだろう?」
「わかんない。でも気持ちいいんだ」
「……なあ、あれ」
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